トップQs
タイムライン
チャット
視点
吉田川清四郎
ウィキペディアから
Remove ads
吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19日 - 没年不明 )は、山梨県富士吉田市出身(出生地は東京都八王子市横山町)で時津風部屋(入門時は音羽山部屋)に所属した大相撲力士。本名は真田 征四郎(さなだ せいしろう)。最高位は西前頭13枚目(1952年9月場所)。現役時代の体格は171cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、押し[1]。
略歴
- 1941年…音羽山部屋へ入門し、この年の5月場所で初土俵を踏む[1]。
- 1943年5月場所…本名と同じ「真田」の四股名で、序ノ口に付く。
- 1945年…双葉山道場(翌年11月より、時津風部屋に改称)へ移籍。
- 1949年10月場所…新十両に昇進し、それに伴って「吉田川」に改名。同場所では11勝を挙げ、十両の優勝争いにも加わる。
- 1950年5月場所…新入幕を果たすも、6勝9敗と負け越す[1]。
- 1951年5月場所…再入幕。
- 1952年1月場所…幕内4場所目にして、初めて同地位で勝ち越す(成績は8勝7敗)。
- 1954年9月場所…西十両18枚目で2勝13敗と惨敗して次場所での幕下落ちが確定し、場所後に廃業を表明[1]。
来歴
13歳の時、元前頭2枚目・白岩が率いる音羽山部屋に入門し、1941年5月場所で初土俵を踏んだ[1]。その後、師匠・音羽山が部屋経営から手を引いた事に伴い、1945年より双葉山道場(後の時津風部屋)へ移籍[1]。
1949年10月場所で新十両に進み、その際に四股名を、本名でもある「真田」から郷土の地名に因んだ「吉田川」へ改めている。
新十両の場所に於いて優勝次点を記録し次の場所でも10勝するなど、2場所続けて大きく勝ち越して、翌年5月場所で新入幕を果たした。入幕時の年齢は、22歳であった[1]。
左四つからの寄りや押しを得意手としたが、組まれると脆かった[1]。入幕後は主に、幕内下位から十両上位で活躍した。
現役晩年は大負けが続いて十両18枚目まで番付を下げ、1954年9月場所を以って26歳で廃業。その後はプロレスラーに転身したが、早々と引退している[1]。
主な戦績
- 現役在位:31場所
- 通算成績:170勝185敗3休 勝率.479
- 幕内在位:11場所
- 幕内成績:72勝93敗 勝率.436
場所別成績
幕内対戦成績
改名歴
- 真田(さなだ、1943年5月場所-1949年5月場所)
- 吉田川(よしだがわ、1949年10月場所-1954年9月場所)
関連項目
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社)
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads