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德永英明
日本のシンガーソングライター、作曲家、俳優 (1961-) ウィキペディアから
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德永 英明(とくなが ひであき、1961年〈昭和36年〉2月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。
福岡県柳川市生まれ、兵庫県伊丹市育ち。身長175cm。所属レコード会社は日本コロムビア[2]。公式ファンクラブは「TONY'S CLUB」である。俳優、歌手、モデルとして活動しているレイニは次男である[3]。
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経歴
要約
視点
生い立ち
福岡市立別府小学校、伊丹市立南中学校、伊丹市立伊丹高等学校を卒業後、大阪の観光専門学校(のちに中退)へ。
中学2年の時にラジオから流れてくる音楽に励まされ勇気をもらっていた。中学3年生の時に、井上陽水の「氷の世界」を聴いて衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになる。
デビューまで
専門学校を中退後、19歳の時に上京、アルバイトをしながらミュージシャンを目指す。レコード会社近くの飲食店などで働き、顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。またこの頃から新宿ルイードで定期的にライブを行う。父親から「25歳までにデビュー出来なかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告された[4]。
オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に出場。山下達郎の「RIDE ON TIME」を熱唱するが、惜しくもスカウトされず。同じ日に松本明子(渡辺プロダクションからスカウト)、本田美奈子も出場していた。デビューのきっかけを求め22歳で俳優養成校TBS緑山塾入塾。
1985年8月、第2回マリンブルー音楽祭においてグランプリ受賞。
1985年、上記マリンブルー音楽祭を主催する上野義美が1982年に立ち上げたミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称:KIDS)[注釈 2]制作・総指揮をとるロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」の概要を発表[注釈 3]。德永もオーディションに参加する。オーディション参加者にミュージカルスターやダンサーを目指す者も多く激戦であった。最終オーディションではSAM(のちにTRFに所属)と德永が競い、役柄のイメージとルックス、歌唱力が抜きん出ていた[注釈 4]德永が主演・トニー役を射止める。のちに設立されるファンクラブ名「TONY'S CLUB」は、この公演の役名から拝借した。同年10月、東郷神社特設ステージにて10日間の公演が行われた。共演は七瀬なつみ(本名・滝沢美千代名義)など。
プロデビュー
1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりレコード・デビュー。先述の父親との「25歳まで」の約束ギリギリの24歳10ヶ月でデビュー[4]。24日に新宿ルイードでメジャーデビューライブ。
同年2月8日、朝日放送(ABC)『ヤングプラザ』出演、「Rainy Blue」を歌う。メジャー・デビュー後初のテレビ出演。
同年4月15日、オフィシャルファンクラブ「TONY'S CLUB」設立。
同年9月20日、KBC新人歌謡音楽祭優秀新人賞受賞[5]。
1987年、Radio Cityレコードを同じ文化放送と渡辺プロダクションの合弁会社であったアポロン(後のバンダイ・ミュージックエンタテインメント)に統合、業務移管。德永もアポロンへ。
「輝きながら…」のヒット
同年8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」が、自身初めて週間オリコンチャートの10位以内に入るヒット曲となる[6]。またTBSテレビ系『ザ・ベストテン』や、日本テレビ系『歌のトップテン』に初ランクインを果たした。
1988年12月14日・12月15日、初の日本武道館コンサート。TBS緑山塾時代に宣言した、「5年後に武道館でライブをやりたい」目標を実現させた。
1989年12月28日、フジテレビ系ドラマ『悲しいほど好き! 〜Mr.ダンディお嬢様に恋をする〜』の神崎邦彦役でテレビドラマ初出演&初主演。
事務所独立
1990年、事務所を独立。プライベートオフィス「マゼラン」設立。
同年1月16日、シングル「夢を信じて」をリリース。テレビアニメ『ドラゴンクエスト』主題歌。現時点で同曲が、自身最大のシングル売上数・39.7万枚(オリコン)を記録[6]。
同年7月7日、シングル「壊れかけのRadio」をリリース。本人も出演したTBS系金曜ドラマ『都会の森』主題歌。前作「夢を信じて」に次ぐ売上数・36.6万枚(オリコン)を記録[6]。当時の德永はヒット曲を生み出す重圧に苦悩しながらも、中学生の頃に純粋に音楽と向き合っていた頃の自分を思い出し、同曲を書き上げたという[4]。
同年10月9日(トクの日)、アルバム『JUSTICE』をリリース。
1991年3月、德永自身初めてのCM出演・カネボウ「ZENITH」(男性化粧品)がオンエアされる。
同年4月10日、上述のカネボウ化粧品・CMソング「Wednesday Moon」をリリース。4月22日付で自身初となる週間オリコン1位を獲得[4]。
同年9月5日、月桂冠のCMソングに採用された「LOVE IS ALL」をリリース、自身3番目のシングル売上数・35.4万枚(オリコン)を記録[6]。
1993年1月、声帯ポリープ手術のため、ツアーを延期。
同年2月、児童環境づくりのための期間限定ユニット「USED TO BE A CHILD」に参加。『僕らが生まれたあの日のように』をリリース。
結婚〜レコード会社移籍
1994年9月、元モデルの女性との結婚を発表。
1995年、第一子誕生。
1996年、レコード会社「アポロン」が「バンダイ」に吸収され「バンダイ・ミュージックエンタテインメント」となる。
1997年11月、進むべき道を見失い、原点に戻る意味でシングル「Rainy Blue 〜1997 Track〜」をリリース。ベスト・アルバム『Ballade Of Ballade』をリリース。初のバラード・コンサートを行う。
1998年、第二子誕生。スペインに単身で渡り、充電期間を過ごす。レコード会社をキングレコードへ移籍。
2000年、バンダイ・ミュージックエンタテインメント解散により、同社から販売されたCD・ビデオなどが回収。
もやもや病の発症
2001年1月6日より、TBS『スーパーサッカー』メインパーソナリティーを務める。
2001年5月、もやもや病[注釈 5]のため、コンサートツアーを中止。『スーパーサッカー』降板。
2002年11月、もやもや病を克服。レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍、活動再開。
2003年5月、よみうりランドにて野外ライブ「赤い太陽の日」を開催。以後、夏恒例のイベントとなり、2009年まで7回連続で開催。
カバー・アルバム『VOCALIST』のリリース
2005年、女性ヴォーカルの曲をカバーしたアルバム『VOCALIST』をリリース。
2006年、デビュー20周年記念のベスト・アルバム『BEAUTIFUL BALLADE』をリリース、コンサートツアー「Beautiful Ballade」・「Beautiful symphony」を行う。また、2作目のカバー・アルバム『VOCALIST 2』をリリース。年末には第57回NHK紅白歌合戦に初出場、『壊れかけのRadio』を披露。
2007年5月、奈良の薬師寺で行われた「“Present Tree Live〜音楽の力で森をつくろう〜”薬師寺本尊開眼1310年記念奉納コンサート」に出演。3作目のカバー・アルバム『VOCALIST 3』をリリース。
2008年、ベスト・アルバム『SINGLES BEST』とカップリング曲を集めたベスト・アルバム『SINGLES B-side BEST』を同時リリース。
2010年、4作目のカバー・アルバム『VOCALIST 4』をリリース。德永は1980年代から2010年代までの4つの西暦10年代連続でアルバム首位を獲得(1980年代:『BIRDS』、1990年代:『JUSTICE』・『Revolution』、2000年代:『VOCALIST 3』・『WE ALL』、2010年代:『VOCALIST 4』)。男性アーティストによる4年代連続のアルバム首位獲得は德永が初(女性アーティストを含めると、1970年代から2000年代まで4年代連続でアルバム首位を獲得した松任谷由実以来、2組目)。
近況
2016年2月22日、もやもや病による脳梗塞発症予防のため左複合バイパス手術を行う[7]。3月11日、退院[8]。3月いっぱい加療のため活動を休止[7]。
同年7月と8月に急性咽頭喉頭炎のため、全国ツアー「30th ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2016」の一部公演を延期[9]。
2018年9月、軽度の脳梗塞を発症し入院[10]。予定されていた公演を延期。9月11日、退院[11]。10月7日の大阪公演から全国ツアー再開[12]。12月5日、移動の新幹線車中で体調不良を訴え、「過度の肉体疲労による過換気症候群」と診断され、翌6日に予定された富山公演を延期[13]。
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人物
- 音楽活動以外にも、映画『シンガポール・スリング』(1993年公開)の企画・原案、TBSドラマ『都会の森』(1990年)に俳優として出演、ラジオ番組『From C Side』の進行、TBS『スーパーサッカー』の司会なども歴任している。
- 熱狂的な大のサッカーファンとしても知られており[14]、TBSの『スーパーサッカー』の司会を生島ヒロシに続いて2代目を務めた[15]。
- 1987年10月29日の『ザ・ベストテン』に出演時「輝きながら…」を歌った際、歌う德永のバックでハゲた男性たちが一斉に野球帽を取るというドッキリを仕掛けられたことがあった[16]。
- 1988年3月10日、浅間神社で「風のエオリア」のヒット祈願を行い、そのまま同地から「ザ・ベストテン」に中継で生出演した際、歌い終えた直後に突然倒れ救急車で搬送された。この出来事の後、高音が歌えるようになった[16]。
- 息子は俳優、ミュージシャンのレイニ[17]。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
カバー・アルバム
オリコン調査では、シリーズ累計売上は300万枚を突破した。出荷枚数は350万枚を突破[20]。
ライブ・アルバム
ボックス・セット
映像作品
ライブ・ビデオ
ミュージック・ビデオ
参加作品
非売品CD
- 風の言葉(1990年、べにばな国体 THEME SONG)
- I'M FREE…(1998年、Ballade of Ballade memorial CD)
- 君のいる場所に僕は生きてゆく(1999年、honesto memorial CD)
- シングル「小さな祈り〜P.S.アイラヴユー」のカップリングとして収録された。曲調はこれとは異なりロック調。ミュージック・ビデオも製作され、「SINGLES BEST BOX」の特典映像として収録されている。
- まほろば(2000年、remind memorial CD)
- We All(2006年、A Day of Red Sun IV LIMITED SINGLE)
- アルバム「WE ALL」の最後に収録。タイトルを小文字から大文字に変更し発表。歌詞はこれとは異なりThe Best of Glow Tourのエンディング「負けないでどんな時も」歌詞を一部取り入れたもので、曲調も異なる。
- ことば(2007年、1000TH Live memorial CD)
- 2008年1月10日・11日に配布。後にシングル「愛が哀しいから」、アルバム「WE ALL」に収録。
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タイアップ一覧
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楽曲提供
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カバー
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受賞
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出演
NHK紅白歌合戦出場歴
ラジオ
- DJステーション(文化放送、1985年10月 - 1986年3月)
- ミュージックステーション(文化放送、1987年4月9日 - 1988年9月)
- From C Side(文化放送、1989年4月10日 - 1990年10月5日)
- 徳永英明・WHAT'S UP TOKUNAGA?(文化放送)
- 德永英明のバグースナイト(文化放送、2005年10月7日 - 2006年3月24日)
- 德永英明のオールナイトニッポン(ニッポン放送、1992年12月21日)
- フリーキャンパスKYOTO金曜日(KBS京都、1987年4月3日 - 1988年3月25日)
- 德永英明のRadio days(FM東京、1993年4月3日 - 1994年12月31日)
テレビ
- NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1、2006年-)
- FNS歌謡祭(フジテレビ、2010年12月4日他)
- HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ、2011年5月2日他)
- MUSIC FAIR(フジテレビ)
- Music Lovers(日本テレビ、2011年4月18日他)
- MUSIC STATION(テレビ朝日)
- SONGS(NHK総合、2011年5月11日他)
- 火曜曲!(TBS、2012年5月22、29日)
- スーパーサッカー(TBS、2001年、2006年12月23日[VTR出演])
ほか多数
テレビドラマ
- 悲しいほど好き! Mr.ダンディーお嬢さまに恋をする(1989年、フジテレビ)- 主演・神崎邦彦 役
- 都会の森(1990年、TBS)- 日下清彦 役
映画
- シンガポール・スリング(1993年) - 原案・エグゼクティブプロデューサー・音楽
- 旅の贈りもの 0:00発(2006年)
CM
その他
- 青春の誓い/中井貴一 - カラオケの映像に出演(自転車に乗っている青年)、1987年10月29日放送「ザ・ベストテン」で紹介された。
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コンサート
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書籍
- 由比良『未完成―徳永英明ストーリー』(自由国民社、1988年9月10日)
- 『DEAR - PHOTO ALBUM』(白泉社、1988年9月29日)- 写真集
- 『MYSELF』(CBS・ソニー出版、1990年9月29日)ISBN 4-7897-0505-6
- 『ONE OF THEM 夢の行方』(集英社、1993年8月5日)ISBN 4-0878-0195-0
- 『新版 MY SELF』(ソニー・マガジンズ文庫、1994年7月25日)ISBN 4-7897-0904-3
- 『半透明』(幻冬舎、2006年3月)
脚注
外部リンク
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