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FNS歌謡祭
フジテレビ系列の音楽番組(特別番組) ウィキペディアから
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『FNS歌謡祭』(FNSかようさい)は、フジテレビ系列(FNS)で1974年から主に毎年12月上旬に生放送されている音楽番組。
放送開始当初はコンテスト形式だったが1990年でコンテスト形式の「FNS歌謡祭音楽大賞」は終了した。2015年以降は2DAYSとして2週に分けて放送されるのが恒例化されている。公式な通称は特にないが、主に『FNS』と呼ばれることが多い[注 2]。
→夏放送の『FNS歌謡祭 夏』については「FNSうたの夏まつり」を参照
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沿革・概要
要約
視点
コンテスト時代(1974年 - 1990年)
「FNS歌謡祭音楽大賞」は、フジテレビ開局15周年となる1974年に制定された。目的は「テレビを通して新しい日本の歌謡曲の方向を定め、明日のテレビ文化の創造を目指し制定する事」としていた。日本音楽事業者協会や音楽出版社協会、日本レコード協会が協賛。大会委員長はフジテレビジョン社長。その他副委員長には関西テレビ放送、東海テレビ放送などの代表が務めていた。主に以下の賞が設定されていた。
- グランプリ(1974年・1975年は「年間最優秀グランプリ」、1976年・1977年は「最優秀グランプリ」)
- 最優秀新人賞(1974年のみ「最優秀ホープ賞」)
- 優秀新人賞(最優秀新人賞候補)
- 最優秀歌唱賞
- 最優秀ヒット賞
- 最優秀視聴者賞
- 優秀歌謡音楽賞(最優秀歌唱賞・グランプリ候補)
- 最優秀作詞賞
- 最優秀作曲賞
- 最優秀編曲賞
- 特別賞
グランプリ受賞者に贈られる賞金は当初100万円であったが、後に500万円までに増額された。ノミネートについては、視聴者4000人を対象に実施したアンケート調査の結果を元に選抜された。
1974年と1975年については年に2度、上期賞が6月に、下期賞が12月にそれぞれ設けられていた。審査対象期間は上期賞を前年の12月1日から本年5月31日まで、下期賞を本年6月1日から11月30日までであり、下半期の決定後に両者の内からさらに年間最優秀グランプリを決定していた。第5回(1976年)から開催は年に一度になる。
第14回(1985年)までは、予選と本選の2部制で放送された。まず12月第1火曜日に予選として「発表!FNS歌謡祭'76〜'77音楽大賞」「発表!FNS歌謡祭'78〜'85優秀賞」と題し、部門別に発表されたノミネート曲の中から優秀新人賞・優秀音楽賞(のちに優秀歌謡音楽賞)が選考された。12月第3火曜日に本選として「決定!FNS歌謡祭'76〜'77音楽大賞最優秀グランプリ」「決定!FNS歌謡祭'78〜'85グランプリ」と題し、グランプリ等の最終審査が行われた。第15回(1986年)からは2部制を廃止し、12月の第1火曜日(一部は第2火曜日)に「決定!FNS歌謡祭'86〜'90グランプリ」と題し民放初の試みとして3時間の生放送枠を取り、ノミネート曲の発表から最終審査までの模様を一度の中継放送で一挙に発表する形式に改められた。
放送枠は永らく火曜日の『火曜ワイドスペシャル』(以降『火WSP』と略記)の時間帯で、前後の他番組の枠と合わせて放送された[注 3]。
平成に入ると、音楽祭受賞に左右されないアーティストが増え、ヒット曲を出しているにもかかわらずノミネートを辞退するアーティストが続出したことで音楽祭としては成り立たないことから、『日本歌謡大賞』や日本テレビ系列『日本テレビ音楽祭』やテレビ朝日系列『全日本歌謡音楽祭』、テレビ東京系列『メガロポリス歌謡祭』等、民放テレビ局主導の音楽賞番組が次々と姿を消していく中、本番組も例外ではなく、第19回(1990年)限りでコンテスト形式の「FNS歌謡祭音楽大賞」は終了した。この期間の年間最優秀グランプリ受賞回数は、五木ひろしの3度が最多である。
歴代受賞一覧
グランプリ(大賞)
※1974年から1975年までは「年間最優秀グランプリ」、1976年から1977年までは「最優秀グランプリ」として授与された。
最優秀歌唱賞
最優秀新人賞
※1974年は、「最優秀ホープ賞」として授与された。
最優秀ヒット賞
最優秀視聴者賞
最優秀歌謡音楽賞
特別賞
コンサート時代(1991年 - )
上記の通り、賞レースへのノミネートを辞退するアーティストの増加により、コンテスト形式での開催が成立しなくなったことから、第20回(1991年)から『FNS歌謡祭』のタイトルをそのまま踏襲し、賞を争わないライブコンサート形式に形態を変更したものの、初年度は歴代の最優秀グランプリ受賞者が招かれ、それぞれの代表曲を披露した。
番組構成は、当初はアーティストが順番に数曲ずつ披露していく形式であったが、第34回(2005年)からアーティスト同士のコラボレーション(共演)が増え、一組のアーティストが入れ替わり立ち代わり何度もステージに立つ形式が定着する。これにより他局の同様の音楽特番との差別化に成功し、20%前後の高視聴率をキープした。また、同年から『僕らの音楽』司会の草彅剛(当時SMAP)をメイン司会に起用し、一部の年を除いてSMAPがトップバッターと大トリの双方を担当した。
放送時間は、第26回(1997年)からは『火WSP』および『サザエさん』(再放送)枠の廃止に伴い、放送日が木曜日に変更になった。第32回(2003年)は東アジアサッカー選手権放送の都合上一日繰り上げて水曜日に放送され、以降定着する。また放送時間もさらに延びて23時台まで、4時間超の放送となる。第39回(2010年)は、当時水曜日にレギュラー放送されていた『クイズ!ヘキサゴンII』(19時台)、『はねるのトびら』(20時台)、『ホンマでっか!?TV』(21時台)、『ザ・ベストハウス123』(22時台)などの高視聴率の人気番組の放送休止を避けるため、この年のみ土曜日に放送された。なおこの間、2013年4月-2016年3月には「フジテレビ水曜10時枠の連続ドラマ(水10)第3期」が放送されていたが、当番組の放送された週はドラマは放送休止となった。2022年4月から再開された「水10ドラマ第4期」最初の当該作品『親愛なる僕へ殺意をこめて』は11月で放送終了だったので影響はなかった。
派生番組として、2012年からは、毎年夏(7月下旬または8月上旬)に当番組のスタッフが制作する『FNSうたの夏まつり』(2020年より『FNS歌謡祭 夏』に改題)が放送開始した。メイン司会者やスタッフ、演出が当番組と共通するなど、当番組を意識した姉妹番組である。さらに、2016年と2017年は、毎年春(3月下旬)に『FNSうたの春まつり』(2022年より『FNS歌謡祭 春』に改題して復活)が放送されている。これらに伴い、フジテレビ系列では当時は現在、毎年3番組の大型音楽番組が放送されていた。さらに、2021年には秋(10月上旬)に『FNS歌謡祭 秋』が放送されており、これに伴い、FNS音楽特別番組が全ての季節での放送が網羅した。
第44回(2015年)からは、前年の『僕らの音楽』放送終了[注 4] に伴い草彅が司会を降板し、同年から始まった『水曜歌謡祭』MCの森高千里と渡部建(アンジャッシュ)が抜擢された。更に、同年から2DAYS方式を採用し、例年通りの演出での放送の1 - 2週間後に、スタジオライブ方式の「第2夜」が放送されるようになった。
第48回(2019年)からは、放送開始45周年を機にリニューアル。第47回(2018年)までの基本的なコンセプトやフォーマットなどはそのままに、司会は森高と渡部に替わり、相葉雅紀(嵐)と永島優美(フジテレビアナウンサー)が抜擢された。2DAYS方式も引き続き採用。また、放送時間も第1夜と第2夜を合わせて計8 - 9時間という冬の大型音楽番組では最も大規模で大体的に放送されている。
番組の進行
会場(2015年以降は2DAYSの第1夜のみ)はグランドプリンスホテル新高輪「飛天」を貸し切って設営しており、原則として非公開となっている[注 5](コンテスト時代は、ほとんどの年が公開生放送)。理由は、他局とは一線を画した厳か、且つ豪華で格調の高い音楽番組を制作するためであると言う。一時期はフジテレビクラブ会員が少数招待されていた。
会場には、両端にステージが二つ、向かい合わせに設営される。演奏は両ステージから交互に行われるため、アーティストや演奏者のセットチェンジを向かいのステージの歌唱中に行うことが出来、スピーディな放送進行が可能になっている。両ステージ間には円卓が並べられ、出番の合間のアーティストが着席して観覧をしている。
オープニングは放送開始(2019年以降『Live News イット!』とステブレレスで接続)とともにいきなり1曲目(2017年・2018年の第1夜は見どころ紹介後、2019年以降の第1夜は相葉の曲紹介後)が始まり、司会者の挨拶は最初の数曲が終了した後に入る。また歌前トークは原則ないため、司会の出番は他の音楽番組と比べて少ない。会場にはアーティストの他に、披露される楽曲のタイアップに関連する著名人(俳優・スポーツ選手・お笑い芸人など)がゲストで招かれ、幕間に司会とのトークが挟まれる。第1夜では、ジャニーズの出演者から、ジャニーズカウントダウンライブの開催および放送が決定した旨を伝えるお知らせが行われることが恒例となっている。ただし、カウコンが中止となった2023年は出演したお笑い芸人によってぽかぽかゴールデンの放送が決定した旨を伝えるお知らせが行われた。
2DAYSの第2夜の放送では、フジテレビ本社「FCGビル」のスタジオ内で、一般の観客を入れて行われている。司会者は第1夜と同じで、コラボレーションやメドレーが行われるのも第1夜と同様である。出演アーティストは基本、第1夜か第2夜のどちらかのみに出演するが、一部のアーティストだけ第1夜と第2夜のどちらも出演して、それぞれ異なる楽曲とコラボレーションでパフォーマンスが披露される。
歴代トップバッター&大トリ
- トップバッター
- 大トリ
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放送データ一覧
要約
視点
視聴率
以下、断りのない限りはビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
- 当番組最高の平均視聴率は第6回(1977年)の本選の36.0%。最低は第52回(2023年)第2夜(第1部)の5.4%。
- 視聴率は1996年から2015年の第1夜までは15%以上を維持しており、2003年から2007年にかけては、5年連続で20%超えを記録した。民放各局の年末音楽特番では、近年まではほぼ毎年視聴率1位を獲得していた。
関西地区
関西地区では関東よりも視聴率が高い傾向がある。以下、2002年からの視聴率データ。ビデオリサーチ調べ、関西地区。
受賞
- 2008年1月23日に「フジテレビ社長賞」を受賞。音楽番組で初の社長賞受賞となった[1]。
特別編
- FNS歌謡祭 うたの夏まつり2011(2011年8月6日、土曜日 19:00 - 23:10、総合司会:草彅剛・高島彩、視聴率:17.8%〈ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム〉)
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演奏
- 1974年 - 1975年、1977年 - 1984年:ダン池田とニューブリード(指揮:ダン池田)
- 1976年:小野満とスイングビーバーズ(指揮:小野満)
- 1985年:ザ・ニューブリードスペシャル(指揮:三原綱木)
- 1986年 - 1988年:THE HIT SOUND SPECIAL(指揮:新井英治)
- 1989年:THE HIT SOUND SPECIAL(指揮:三原綱木)
- 2004年 - :武部聡志音楽団
※1990年よりオーケストラ制度が廃止されたが徐々に生演奏の良さが見直され、2002年頃より小規模ながら復活した。しかし1989年までのオーケストラの編成の形はとられず、バイオリンのみというのが多い。指揮者も設置されず。2004年以降紹介された楽曲のうち半数がハウスバンドによる生演奏となる。
武部聡志音楽団
番組テーマソング
- 本番組のテーマソングとして、「花咲く歌声」(JASRACで登録されている正式な曲名、作詞:保富康午、作曲:広瀬健次郎)がある。コンテスト時代の番組中では、副題「音楽大賞讃歌」とともに、テロップで紹介されていた。
- このテーマソングは、コンテスト時代の第1回(1974年)から第19回(1990年)までのオープニング及びエンディングにおいて、東京混声合唱団によるコーラスで歌われていた。また、1980年代のオープニングでは歌詞テロップも表示されていた。
- コンサート形式に変更された1991年以降は歌われなくなり、インストルメンタルのみとなっている。それまでもインストルメンタル版は提供クレジットのBGMとして使われていたがコーラスだったメロディ部分をエレキギターの演奏に差し替えている。また、曲名のテロップも表示されなくなった。これは歌詞の一部に「歌に賞を贈ろう」という趣旨のものが含まれており、コンサート形式には合わないことによる(この楽曲の歌詞についてはノートの項目を参照)。第1回から50年近く使われていたが、2020年は番組本編において一切使われなくなった(事前に放送された番宣CMでは使用)ものの、2021年は2019年以前までと同様、随所で使用された。
- CM前後のジングルは、コンテスト時代の1980年代以降2000年まで長らく同じものが使用されており、CM前ジングルは、一時期この番組の5秒CMにも使用されていた。
- コンテスト時代の1980年代にはオープニングで「花咲く歌声」を演奏する前(19時の時報直後)に1分ほどのパイプオルガンをベースとしたオーバーチュアとトロフィーやFNSのネットワークシンボルが登場するCGタイトルが流されていた。オーバーチュアはコンサート形式に移行した後も数年間、約40秒に短縮して編曲・再録音されたアレンジバージョンをオープニングタイトルのBGMとして使っていた。
- 2001年、「花咲く歌声」の演奏楽器がオーケストラからシンセサイザーに変更された。
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エピソード・その他
- 1975年、第3回(本選)の生放送開始直前、超満員の観客が見守る中でナイフを持った34歳(当時)の男がステージに向かい、司会の吉永小百合を襲うというハプニングが起きた。会場は一時騒然となったが、男はその場で取り押さえられ、吉永にも怪我はなかった。
- 1985年、中森明菜がグランプリを受賞した際はトロフィーと花束で両手が塞がりマイクが持てなくなる一幕があった。中森はそのことを口にせず周囲は対応を取ろうとしなかったが、候補者として同じステージにいたアン・ルイス、岩崎良美が中森から花束を受け取ってさりげなくフォローしたため、スムーズに歌唱へと移った。
- 美空ひばりは芸能生活30周年を迎えた1976年に特別賞を受賞し、1度だけ出演したことがあり、「雑草の歌」を歌唱した。1989年、ひばりの死去に伴って特別賞が授与された(死後追贈)。
- 韓国勢を除く日本国外からジャッキー・チェン(1984年)、ケニー・ロギンス(1984年)、フィンツィ・コンティーニー(1986年)、a-ha(1987年)、マライア・キャリー(1994年。ニューヨークからの衛星中継[3])、スティング(2001年)、デスティニーズ・チャイルド(2004年)、ダニエル・パウター(2006年)、シェネル(2012年)などが出演している。
- コンサート形式に変更されてからの数年間は、「ベストヒットセレクション」として1990年代のみの形式変更後の曲しか放送されていなかった。その後「秘蔵VTR感動の名曲集」(第1回からの名場面ピックアップ映像集)は、2002年に初めて放送された。
- 2001年は「2001 FNS歌謡祭・放送10周年記念」と題して行ったが、これはコンテスト時代の年数を勘定に含まない形で「10周年」としていたためであった。2004年は第1回(1974年)から通算した年数により「30周年記念・2004FNS歌謡祭」と題して行った。なおコンテスト形式時代には、1984年7月19日に『FNS歌謡祭10周年記念特別企画 栄光のビッグスター 想い出のシーン 涙の感動編』が『木曜おもしろバラエティ』で放送された事があった[4]。
- 2005年(第34回)では男性司会者の草彅剛がSMAPとしても出演しトップバッターと大トリで歌唱し、女性司会者の黒木瞳も歌手としても出演(芸能生活25周年記念)し、「すみれの花咲く頃」、「運命〜ぐうぜん〜」の2曲を歌唱したため、司会が双方とも歌手としても出演する初の形となった。以降、草彅が司会の常連になる(2014年まで。2008年を除く)と同時にSMAPがトップバッター(2014年まで。2011年を除く)と大トリで歌唱するのが恒例となっていた。2007年には黒木と彼女がかつて在籍していた宝塚歌劇団のメンバーで『すみれの花咲く頃』を歌唱した。
- 2008年の放送(第37回)では、番組開始35周年と開局50周年を記念して「フジテレビ音楽番組50年秘蔵映像」を放送。過去の本番組からはもちろんのこと、『夜のヒットスタジオ』、『ミュージックフェア』、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、『僕らの音楽』、『ヒットパレード90's』、『G-STAGE』、『SOUND ARENA』『日本歌謡大賞』などの歴代フジテレビ系列音楽番組からの秘蔵映像が紹介された。また『情報プレゼンター とくダネ!』(当時、木曜日に「朝のヒットスタジオ」という歌のコーナーを放送)司会の小倉智昭・菊川怜が会場出演。以後小倉の出演が恒例化していた(小倉は翌朝の『とくダネ!』で後日談を語るのも恒例)。『とくダネ!』の終了に伴い、小倉・菊川の出演も終了した。
- 2020年の放送(第49回)では、第1夜でトリを務める予定だったNEWSに加え、第2夜に出演予定だったAKB48も別の仕事での共演者が新型コロナウイルスに感染した関係で出演を見合わせ、代わりに過去の出演シーンの名場面集が急遽放送された。
- ラブライブ!シリーズの声優ユニットのうち、AqoursとLiella!は出演したことはあるが、フジテレビがあるお台場を舞台とした虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は出演したことがない。
- 客席にフジテレビの若手女性アナウンサーが映ることがしばしばあるが、これは港浩一(現・同局社長)曰く「見切れてもいいAD」なのだそうで、彼女達は出演者誘導などの裏方仕事に従事している。
- 2011年の放送(第40回)からは番組の放送中にインターネットの連動で、番組公式のTwitterで出番前や出番後のアーティストや番組の裏側を紹介するツイートが投稿されている。以降、毎年行われている。
- TVerにて2022年春から開始したフジテレビ系リアルタイム配信では放送楽曲の権利関係等の事情で番組の同時配信はされず、2022年は代替として同年9月の『FNSラフ&ミュージック2022〜歌と笑いの祭典〜』放送時にも行われた、カンニング竹山と渡邊渚アナウンサー(放送当時)の司会による「"うら"生配信」と題した独自番組の第2弾が生配信された。同配信では第1夜はグランドプリンスホテル新高輪の別室から、第2夜はFCGビル内にある社員食堂「ラポルト」をスタジオ代わりに使用し、本番に出演した芸人やアーティストを迎えてトークが行われた。番組の進行は地上波に合わせているため、地上波がCM中は配信も中断されてフィラーとしてテロップ代わりの手書きイラストを作成しているスタッフの様子をバックに環境音が流されている。
- なお、2023年のFNS歌謡祭では初のTVerリアルタイム配信での配信及び見逃し配信が行われた。
他番組でのパロディ
- 2005年4月6日放送の『ワンナイR&Rスペシャル』で松浦ゴリエプロデュースによる「FNS志賀歌謡祭」という企画を放送していた。アシスタントプロデューサーの志賀直哉に対して離婚経験芸能人が判定する『行列ができる離婚相談所』や生放送部分もあった(この企画はFNS歌謡祭責任者の港浩一の許可が下り、実現した)。
- 2011年7月24日放送の『FNS27時間テレビ めちゃ2デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』では、本番組のメインステージに似せたセットを使用し「FNS歌へた祭」というパロディコーナーが行われた。
- 2012年12月5日と2013年6月19日には、『森田一義アワー 笑っていいとも!』において、タカ(タカアンドトシ)と当日担当のテレフォンアナウンサー(2012年12月は本田朋子、2013年6月は生田竜聖(いずれも放送当時のフジテレビアナウンサー))のMCで「(年号)FNSタ歌謡祭」という企画が行われた。2012年12月放送回は「2012FNS歌謡祭」放送当日に行われ1980 - 1990年代前半にヒットした曲を歌手が生歌唱する内容。2013年6月放送回は当日の「テレフォンショッキング」ゲストの田原俊彦が代表曲を歌唱する内容だった。なおCM前後のジングルなどのは本家のものがそのまま使用された。
- 2015年7月26日放送の『FNS27時間テレビ めちゃ2ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』では、本番組のメインステージに似せたセットを使用し「FNSドリームカバー歌謡祭」というパロディコーナーが行われた。
- 日曜19時枠(旧:木曜21時枠)でレギュラー放送されているお笑い番組『千鳥のクセスゴ!』(旧:『千鳥のクセがスゴいネタGP』)ではお笑い芸人のクセがスゴい歌ネタだけを集めた「クセスゴ歌謡祭」というコーナーがあり、コーナーのタイトルやロゴが本番組に酷似している。また、2021年8月28日放送の『FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜』で行われた時も同様だった。
- 2023年7月23日放送の『FNS27時間TV 鬼笑い祭』では、『千鳥の鬼レンチャン』とコラボして、かつ本番組の総合演出を務める浜崎綾が演出を担当する「FNS鬼レンチャン歌謡祭」というパロディコーナーが行われた。この反響を受け、2024年5月29日にこの企画が独立、単独特番として第2弾が3時間越えで生放送された。
緊急特番
- 2011年3月27日には「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)復興支援」を目的とした本番組の特別編『FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう 〜うたでひとつになろう日本〜』が19:00 - 21:54(JST)に放送し、司会は草彅剛と高島彩が担当した。また、同番組はAMラジオ局ニッポン放送・茨城放送で同時生放送、東北放送・IBC岩手放送・ラジオ福島で翌日未明(同日深夜)に録音放送された。そして8月6日(テレビ大分は8月14日)には同年2度目の本番組特別編『FNS歌謡祭 うたの夏まつり2011』を放送した。それ以降も『FNSうたの夏まつり』のタイトルで毎年7月下旬から8月上旬のプライムタイムで放送が行われている(前述の通り2016年からは春に『FNSうたの夏まつり』の春版として、新たに『FNSうたの春まつり』も放送されるようになる)。
- 2020年3月21日には新型コロナウイルスの感染拡大により『2020年世界フィギュアスケート選手権』の開催が延期[注 40] になったことにともない、空いた放送枠のうちの1日分を利用して本番組の特別編『緊急生放送! FNS音楽特別番組 春は必ず来る』が19:00 - 22:00(JST)[注 41] に放送し、司会は榎並大二郎と永島優美(どちらもフジテレビアナウンサー)が担当した[5]。
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ネット局
過去のネット局
- 系列は放送終了時点のもの。
ネット局に関する備考
- 系列局でも、テレビ大分ではクロスネットの都合で、水曜日放送になってからは日時を差し替えている。新潟総合テレビでは、テレビ新潟開局まで『NST土曜スペシャル』内で放送されたことがある。
- 過去のネット局のうち、テレビ山口は、1987年9月30日限りでフジテレビ系列から脱退(TBS系列のニュース・番組の関係でクロスネット局であったTBS系列にフルネット完全移行)したため、遡っての1986年度限りでの放送終了を余儀なくされた。広島テレビ(日本テレビ系列)では、テレビ新広島開局まで放送されていたが、木曜に放送の第1回から3回までの本選は、21:00からの日本テレビ番組の関係で20:55まで同時ネット・20:55以降の内容を同日深夜の『11PM』放送後に録画時差ネットとなる場合があった。山形県では当初から1992年までは山形テレビで放送されたが、1993年4月のテレビ朝日系列へのネットチェンジの影響でしばらく放送されなかった[注 42] が、1997年4月にさくらんぼテレビが開局したため、4年ぶりに山形県での放送が復活した。
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スタッフ
- 2024年 第1夜
- 構成:山内浩嗣
- 作家:菅原祐也
- 音楽監督:武部聡志
- エグゼクティブプロデューサー:石田弘
- 進行プロデューサー:相場優衣子、渡辺由貴
- プロデューサー:中村峰子、太田秀司、島田和正、土田芳美、宇賀神裕子、後藤夏美、加藤万貴、福井倫子
- 球体演出:川上惇
- 総合演出・プロデューサー:浜崎綾
- 制作:竹内誠
- 制作著作:フジテレビ
- 2024年 第2夜
- 構成:山内浩嗣
- 作家:竹内浩平
- 音楽:武部聡志
- エグゼクティブプロデューサー:石田弘
- 進行プロデューサー:相場優衣子、渡辺由貴
- プロデューサー:中村峰子、太田秀司、土田芳美、宇賀神裕子、後藤夏美、加藤万貴、福井倫子、川上惇
- 球体演出:花輪研斗
- 総合演出:島田和正
- チーフプロデューサー:浜崎綾
- 制作:竹内誠
- 制作著作:フジテレビ
- 過去のスタッフ
- 監修:塚田茂
- 構成:塚田茂、玉井貴代志、野中浩之、大野ケイスケ、小林久枝、川嶋結衣 / スタッフ東京
- 音楽:広瀬健次郎
- 美術デザイナー:妹尾河童、根本研二、馬場文衛
- プロデューサー:藤森吉之(1977年)、疋田拓、森正行、大前一彦(以前は演出)、清水宏泰、冨田哲朗(以前はディレクター)、石川綾一、黒木彰一、若林美樹、河本晃典、湯瀬恵理子、萬匠祐基、岩田恵、早川和希
- 演出・プロデューサー:疋田拓、渡邉光男
- 演出:高田明侑・浜口哲夫(1977年)、井上信悟、新井義春、熊田共一、木村忠寛、前川尚史、平野昌一、深瀬雄介
- ゼネラルプロデューサー:中嶋優一
- チーフプロデューサー:大島正俊(1977年)、きくち伸(以前はプロデューサー)
- 制作統括:港浩一
- 制作:井上信悟(以前は演出 → プロデューサー)、水口昌彦(以前はプロデューサー)、金田耕司、夏野亮、板谷栄司(以前は総合演出 → 演出・プロデュース → チーフプロデューサー)、佐々木将、太田一平、三浦淳
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脚注
関連項目
派生番組
関連番組
各局の年末音楽特番
外部リンク
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