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愛宕山武司
日本の力士 (1936-2000) ウィキペディアから
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愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り[1]。
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来歴・人物
愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる[1]。
初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。
なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
出世は順調で、満20歳で迎えた1956年1月場所で新十両に昇進(前場所での地位は東幕下26枚目で、8戦全勝という好成績を評価されての抜擢であった。当時の内規では、幕下20枚目以内に於いての全勝でないと、無条件で十両に昇進できなかった)。1957年3月場所で新入幕を果た[1]し、一時十両に陥落するも、同年11月場所からは幕内に定着した。西前頭15枚目に在った1959年9月場所では優勝争いに加わる健闘を見せたが、終盤に連敗して、優勝も三賞受賞も逸している。
左四つからの寄りや突っ張りを得意としたが、連相撲も少なくなかった[1]。
左足の怪我を克服して前頭3枚目まで進出するも、腎臓病や糖尿病に罹った事などもあって、1960年以降は低迷[1]。同年5月場所を最後に、幕内の座から遠ざかった。
現役晩年は幕下64枚目まで番付を落とし、1962年1月場所終了後、26歳で引退(なお、引退時の四股名は「大沢」である)[1]。
引退後は角界から離れ、東京都内にて不動産業に従事した。
2000年5月5日に死去。64歳没。
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エピソード
主な成績
- 通算成績:263勝256敗62休 勝率.507
- 幕内成績:104勝120敗31休 勝率.464
- 現役在位:50場所
- 幕内在位:17場所[1]
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1957年9月場所)
- 幕下優勝:2回(1954年5月場所・1955年9月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
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改名歴
- 大澤(おおさわ、1951年9月場所-1952年1月場所)
- 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1952年5月場所-1960年11月場所)
- 大沢(おおさわ、1961年1月場所-1962年1月場所)
脚注
参考文献
関連項目
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