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成山明
日本の力士 (1931-1978) ウィキペディアから
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成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。
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来歴・人物
成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年(昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山の小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。
初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越し、序二段に付け出された。
なお、当初の四股名は、所属の小野川部屋に因んだ「小野若」であった。
1953年(昭和28年)1月場所、21歳で十両に昇進。この場所では初日から9連勝したが、これが当時の新十両の初日からの連勝記録で、55年後の2008年(平成20年)11月場所、翔天狼がこの記録に並んだ。その後、1953年9月場所で新入幕を果たした。この場所では14勝1敗で優勝した東富士に次ぐ12勝3敗という好成績を残して技能賞を受賞、新入幕での技能賞受賞は初めてのことだった。
1956年(昭和31年)3月場所では小結に昇進、史上初めて本名での三役力士となった。同場所では3勝12敗と大敗し、三役は結局、この1場所しか務まらなかった。
左差し右おっつけの速攻で、場所の序盤にしばしば上位を倒し「成山旋風」を巻き起こし、颯爽とした風貌で人気も高かった。久保田万太郎は新入幕時の快進撃を「秋場所や けいこの甲斐をかくも見せ」と詠んだ。しかしながら、日頃のえびすこぶりと大酒が祟ってか、持病の糖尿病のため終盤まで持たなかった。
1962年(昭和37年)5月場所限りで廃業し、その後は東京都千代田区九段地区で料亭を経営した。
1978年(昭和53年)5月8日、心筋梗塞のため東京都港区内の病院で逝去。46歳没。
息子(明秀(あきひで)、1963年(昭和38年)1月22日生まれ)は同年3月に角界入り(出羽海部屋へ入門)し、本名でもある「成山」の四股名で西幕下2枚目まで進んだが、親子関取昇進は果たせなかった(1987年(昭和62年)5月場所後に廃業し、現在は、東京都内で相撲料理店「ちゃんこ 成山」を経営している)。
なお、成山が亡くなったのは、息子・明秀が序ノ口の土俵に初めて上がった日でもあったという。彼の同期生には、水戸泉、琴稲妻らがいる。
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主な成績・記録
- 通算成績:454勝433敗15休 勝率.512
- 幕内成績:261勝294敗 勝率.470
- 現役在位:61場所
- 幕内在位:37場所
- 三役在位:1場所(小結1場所)
- 三賞:4回
- 殊勲賞:1回(1956年1月場所)
- 技能賞:3回(1953年9月場所、1957年1月場所、1958年7月場所)
- 金星:6個(東富士1個、鏡里2個、吉葉山2個、若乃花1個)
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1953年1月場所、1953年5月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
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改名履歴
- 小野若 明(おのわか あきら)1949年1月場所-1951年1月場所
- 成山 明(なるやま あきら)1951年5月場所-1960年1月場所
- 成山 準(なるやま じゅん)1960年3月場所-1961年9月場所
- 成山 明(なるやま あきら)1961年11月場所-1962年5月場所
関連項目
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