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山本慎一 (実業家)
日本の実業家、馬主 ウィキペディアから
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山本 愼一(やまもと しんいち、1921年[1]11月30日[2] - 2018年12月16日[3])は、日本の実業家、馬主。
繊維の製造・卸売や不動産業を手掛ける三陽株式会社の代表を務めたほか、えりも農場代表、日本馬主協会連合会第9代会長を務めた。山本 慎一とも表記される。
経歴
1921年、和歌山県出身[1]。幼い頃から乗馬に興じ、国民体育大会にも出場していたという[6]。復員後の1947年に繊維問屋を設立し、1950年に三陽株式会社に改組した[1][注釈 1]。1981年時点で同社取締役[8]。1970年にはブラウスの製造を手掛ける山兼株式会社の社長に就任し、翌年同社の商号を株式会社エリモに変更、1984年に会長となった[1]。繊維業のほか、ゴルフクラブの「エリモゴルフクラブ」などを運営する五場開発株式会社の代表も務めた[9]。1998年時点で三陽グループの会長[2]。2018年12月16日に死去[3]。97歳没。
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は水色、赤袖、黄二本輪、冠名には「エリモ」を用いるほか、かつては「パッシング」という冠名も使用していた[注釈 2]。28歳の時に初めて馬主となり[6]、1955年に馬主登録を行った[2]。1989年4月には日本馬主協会連合会の会長に就任した(1993年3月まで)[10]。
1969年には北海道えりも町の田中牧場を買い取り「えりも牧場」(1983年に「えりも農場」、2003年に「エクセルマネジメント」に改称)として再建した[6]。
「エリモ」の冠名を用いた関連名義として、息子の山本敏晴(株式会社西欧館元代表、1957年5月24日[4] - 2013年10月17日(56歳没)[11])のほか山本菊一(サンアパレル株式会社元代表、1930年11月[12] - 2013年8月29日(82歳没)[11])がいる。また孫の山本将裕はエクセルマネジメント代表を務めていたが、2008年5月8日[13]、31歳の若さで不慮の事故のために死去している[14]。
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主な所有馬
八大競走・GI競走優勝馬
重賞競走優勝馬
- パッシングゴール(1972年新潟記念、関屋記念、天皇賞・秋2着)
- エリモシルバー(1971年CBC賞)
- エリモホーク(1972年
アスコットゴールドカップなど) - エリモジエニー(1971年阪神4歳牝馬特別)
- エリモマーチス(1974年札幌記念、毎日杯)
- エリモファーザー(1976年毎日杯)
- エリモカップ(1973年函館記念、1972年ガーネットステークス、中京記念)
- パッシングベンチャ(1976年京都大賞典)
- サニーフラワー(1979年スプリンターズステークス、牝馬東京タイムズ杯)
- サニーシプレー(1980年阪神3歳ステークス)
- エリモローラ(1982年毎日杯、1983年京都記念、京阪杯、1984年日経新春杯)
- エリモターン(1989年京都大障害・春)
- エリモフォーサイト(1994年阪神障害ステークス・春)
- エリモダンディー(1997年京阪杯、1998年日経新春杯)
- エリモブライアン(2000年菊花賞3着、2001年ステイヤーズステークス)
その他の所有馬
- パッシングサイアー(1982年白百合ステークス、菊花賞2着)
- エリモタイヨー(1982年阪神3歳ステークス3着、1984年エメラルドステークス、短距離ステークス、比叡ステークス)
- エリモファイナル(2005年紅梅ステークス)
- エリモエクスパイア(2007年天皇賞・春2着、ダイヤモンドステークス2着)
脚注
参考文献
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