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神戸地方気象台

日本の兵庫県神戸市にある地方気象台 ウィキペディアから

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神戸地方気象台(こうべちほうきしょうだい)は、兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通一丁目にある地方気象台であり、大阪管区に属する。2013年までは気象庁直轄の神戸海洋気象台であり、海洋気象台としては日本で最も古い歴史を誇っていた[1][2]2005年7月に神戸空港出張所が開設されたが、2006年4月に関西航空地方気象台の出張所へ移管した。

概要 神戸地方気象台 ...

兵庫県気象観測等の業務を行っている[2]1920年大正9年)8月25日に、海洋気象台として創設[1][2]神戸海洋気象台を経て現在の組織となっている。

全国に4つあった海洋気象台函館舞鶴神戸長崎)のうちの一つだった。

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沿革

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創設時の海洋気象台、1920年(大正9年)撮影
  • 1887年(明治20年):気象台測候所条例が公布[3]
  • 1896年(明治29年):宇治野山(現・神戸市中央区中山手通七丁目14-1)に兵庫県神戸測候所ができ、地方天気予報や警報を発表[3]
  • 1918年(大正7年):兵庫県知事清野長太郎が、海洋気象台建設のため海運業者に出資を諮る[3]
  • 1920年(大正9年)8月:神戸測候所の敷地内に、日本初の海洋気象台が誕生[3]海洋気象台として観測および予報業務を開始[2]
  • 1922年(大正11年)12月:船舶向け気象情報の無線送信開始。気象専用放送としては世界初[4]
  • 1923年(大正12年)1月:北太平洋天気図の作成開始[4]
  • 1927年昭和2年)3月:観測船春風丸I世竣工。海洋観測開始[4]
  • 1939年(昭和14年):気象官署官制の施行に伴い、先の神戸測候所は海洋気象台に合併[3][4]
  • 1942年(昭和17年)8月:函館海洋気象台の発足を機に [3]、神戸海洋気象台と改称。宇田道隆、神戸海洋気象台長(恩師藤原咲平中央気象台長の懇請による)[4][5]
  • 1995年(平成7年)
  • 1996年(平成8年)1月:神戸海洋気象台長 菊地正武 一般社団法人日本船主協会誌「せんきょう」199601号に「随想 神戸海洋気象台の歴史 震災および転居」を投稿[7]
  • 1999年(平成11年)9月:現在の神戸防災合同庁舎に移転[2][4]
  • 2001年(平成13年)4月:観測船啓風丸配置[4]
  • 2010年(平成22年)4月:啓風丸が再び本庁へ移管[4]
  • 2013年(平成25年)1月29日:神戸海洋気象台が神戸地方気象台となり、大阪管区気象台の管轄に入ることが閣議決定された[2][8][9][10][11][12][13]。なお、改変後も業務上の変更点は特にないとしている[10]
  • 2013年(平成25年)10月1日:神戸地方気象台へ改組[2][4][11]
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海洋気象台の建設

海洋気象台の設置は岡田武松(後に海洋気象台初代台長となる)の進言などにより1918年文部省に認められるものの、建設費の国費支出は叶わず、文部次官田所美治が知己であった兵庫県知事清野長太郎に相談、清野は交友のあった河内研太郎を介して海運界の代表を公邸に招き、岡田を交えて話し合い、出資の合意に至った。神戸や大阪を拠点とする海運各社は総トン数に応じて分担し総額23万3,500円を出資、建物の建設に充てられた。また別に14万3,800円の出資も集められ、無線施設の建設に充てられた。これら出資社名は気象台に残る「海洋気象台建設趣意」の銘板に列記されている[4][14][15]

初代建物は地上2階・地下1階、白色の化粧煉瓦と赤屋根を意匠とする洋館だった。その第一庁舎にあったステンドグラスの一部は現庁舎に移設されている。当初の無線設備は高さ60mの鉄塔2基の間に吊架された高さ55mのT型アンテナ、送信機は瞬滅火花式・アーク式入力、受信機は3球式と、初期の技術が用いられている。毎日3回定時の全国20か所の気象実況と、随時の警報を送信しており、夜間はパラオまで届いていたという[4][14][16]

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兵庫県南部地震

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)では、818galという大きい加速度が観測された(この観測波形は「JMA神戸波」として、建物等の耐震試験に用いられている)。ただし、兵庫県南部地震において神戸海洋気象台周辺の家屋倒壊率は3%に過ぎず震度7判定区域の範囲外で、これを以て「阪神淡路大震災の揺れに耐える」と考えるのは危険とされる[17][18]

庁舎に大きな被害はなく一部損壊ですんだものの[2]、気象台と大阪管区気象台の専用回線L-アデスに障害が発生し、当初の震度情報の提供に遅れを生じた。 このため地震発生当初の地震報道では、京都彦根・豊岡の震度5が最大震度であった。「神戸震度6」の情報がVHF通信で大阪管区気象台に伝えられ、マスコミに流れたのは地震発生から約30分後のことだった。 結果、災害対策の初動が遅れたとの指摘もあり、以降バックアップ体制の強化が全国的に執り行われた。

所在地

  • 〒651-0073 兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通一丁目4-3 神戸防災合同庁舎[2][19](標高5m[20]
  • (1999年の移転まで)〒650-0004 兵庫県神戸市中央区中山手通七丁目14-1[2][19](標高56m[20]

兵庫県の地方区分

北部

南部

管理する地域気象観測所

脚注

関連項目

外部リンク

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