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福澤朗

日本のアナウンサー、タレント (1963-) ウィキペディアから

福澤朗
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福澤 朗(ふくざわ あきら、1963年9月14日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー(元日本テレビアナウンサー)、タレント総合司会者ニュースキャスター俳優である。

概要 ふくざわ あきら福澤 朗, プロフィール ...
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来歴

要約
視点

生い立ちから日本テレビ入社

1963年9月14日、東京都新宿区に生まれる。早稲田中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修を卒業。大学在学中に俳優の道を模索し、1984年演劇集団 円の研究生となるが、研究所最終年の団員昇格選考で落選したため役者への道を断念する。円の研究生時代の1986年に、日本テレビ系ドラマ『火曜サスペンス劇場・魔性の星の女』、フジテレビ系ドラマ『花嫁衣裳は誰が着る』『時にはいっしょに』に端役で出演したことがある。

2年留年したのち、1988年3月に大学を卒業。同年4月に日本テレビへ入社する。同期には関谷亜矢子永井美奈子村山喜彦小栗泉らがいる。同年にフジテレビアナウンサーになった八木亜希子は大学時代からの友人。

局アナ時代

全日本プロレス中継』の実況に抜擢されると、スタン・ハンセンウエスタン・ラリアット小橋建太ムーンサルトプレス川田利明の顔面蹴りの際に「ジャストミート!!」、三沢光晴のダイビング・エルボーの際に「ファイヤー!!」とそれぞれ連呼したことで認知度を高める。同番組の「プロレス・ニュース」のコーナーでは「プ・プ・プ・プロレスニュゥ〜ス」のタイトルコールで印象を残すとともに、「福沢ジャストミート朗」として黒縁眼鏡に白い鉢巻を巻いて話題となる。1990年代はプロレス以外の番組でも「福澤ジャストミート朗」名義で多数の番組に出演した。なお、「ジャストミート!!」を実況で使用しはじめた頃は、のちの時代のようにシャウトする形でなく、技が決まったことを冷静に伝える台詞として用いていた。

1991年、フリーに転身した福留功男の後任として『全国高等学校クイズ選手権』『アメリカ横断ウルトラクイズ』の2代目総合司会となる。頭に鉢巻を巻いたスタイルでバラエティ番組に数多く出演するようになり、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』ではタレントに混じって体当たり企画にチャレンジして話題になった。『ズームイン!!サタデー』初代総合司会を経て、1998年、福留から引き継いで『ズームイン!!朝!』3代目総合司会となる。番組が2001年に『ズームイン!!SUPER』にリニューアルされてからも総合司会を続投したが、2003年1月31日をもって降板した。この降板をめぐっては、共演する大桃美代子との確執が原因であると報道された[3]

当時の日本テレビから受けた期待は大きく、『ウルトラクイズ』『高校生クイズ』『ズームイン』は福留から、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は元フジテレビアナウンサーの逸見政孝から、『摩訶!ジョーシキの穴』は尊敬する古舘伊知郎から、それぞれ総合司会を受け継いだものである。

フリーアナウンサーに

2005年6月30日に日本テレビを退社し、7月1日に番組制作会社イースト系列の「イーストプロダクション」に所属。その後、同社のマネジメント部門「ノースプロダクション」にアナウンサーとして初めて在籍する。7月1日にニッポン放送高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、7月6日に文化放送吉田照美のやる気MANMAN!』にゲスト出演。同年8月4日、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し、日テレ以外のテレビ局の番組に初めて登場する。8月27日には裏番組である日テレ『24時間テレビ28』とコラボレーションしたテレビ朝日SmaSTATION!!』にゲスト出演し、9月19日にはTBSDOORS!』(18時55分 - 22時54分)で日テレ以外のテレビ局で初の実況を務めた。2005年12月9日には関西テレビさんまのまんま』にゲスト出演している。

2006年10月からはTBS『ピンポン!』の総合司会を務め、全曜日のテレビ番組でレギュラーを受け持つ。2008年5月5日にはNHK総合『ママがのぞいた子どもの時間』で司会を担当し、NHKの番組に初出演を飾った。2016年4月、石坂浩二の後任としてテレビ東京開運!なんでも鑑定団』の司会に就任した。

2020年11月30日、15年間所属したノースプロダクションを退所。12月1日よりオールラウンド所属となる[4]

2021年3月28日、番組放送開始当初かつ局アナウンサー時代から18年半にわたって務めた日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』の総合司会を降板し[5][6]、日本テレビアナウンサーの桝太一に後を託した。

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人物

  • 特技は卓球[7]。趣味は日本酒を飲むこと、樹木ウォッチング。鉄道ファン、メダカ好き。好物は和菓子で、自らを「あんこマン」と称する[8]
  • 家庭環境からか、日本テレビに入社するまではプロレス観戦はおろか、『全日本プロレス中継』やテレビ朝日ワールドプロレスリング』を視聴したこともなかったという。『全日本プロレス中継』の実況担当を言い渡されたのちは、技の名前を覚えるのに苦労しつつも、古舘伊知郎(元テレビ朝日アナウンサー、現在フリーアナウンサー)のF1実況や古舘が実況を務めていた1987年3月以前の『ワールドプロレスリング』の実況を聞きながらプロレス実況を勉強したという[9][注 1]
  • 高校生クイズ』2代目総合司会者に就任した当初は、プロレス実況で用いる「ジャストミート!!」を決め台詞として使う予定だった。だが、番組スポンサーのライオンと競合する花王が洗剤「ジャスト」を販売していたことから、沖縄大会の開催前に「『ジャストミート!!』は用いない」との判断を日本テレビから告げられ、前任司会者の福留功男の決め台詞「燃えているか」を英語にした「ファイヤー!!」に変更した[10][11][注 2]
  • 自身の愛称となった「ジャストミート!!」の台詞は発表直後からかなりのインパクトを放ち、1991年12月13日にTBS系列『金曜テレビの星!』枠で放送された『1億2000万人の流行語大賞II』でも『ウルトラクイズ』のワンシーンとして紹介された。
  • 赤塚不二夫2008年に死去)の漫画のファンで、小学生時代に友人たちと赤塚の仕事場「フジオプロ」へサインをもらいに行ったことがある。その際に応対した人物が漫画家の北見けんいち(当時は赤塚のアシスタント)で、赤塚のサインとともに北見のサインももらった。赤塚とは同じ誕生日でもあった(赤塚は1935年生まれ、福澤は1963年生まれ)。
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出演履歴

要約
視点

★はレギュラー出演中(連載中)、〇は不定期出演中

日本テレビ時代

報道・情報番組(フリー後も含めて)

さらに見る 期間, 番組名 ...

バラエティ・スポーツ・単発特別番組(フリー後も含めて)

テレビドラマ
映画
吹き替え

フリー転向後

テレビ

報道・情報番組

さらに見る 期間, 番組名 ...

バラエティ・スポーツ関連・単発特別番組・ドラマ出演

ウェブテレビ

ラジオ

ゲーム

イベント

映画

MV

テレビドラマ

配信ドラマ

  • Hulu U35クリエイターズ・チャレンジ「まんたろうのラジオ体操」(2022年2月、Hulu) - アナウンサー 役

テレビアニメ

CM

雑誌

  • 卓球王国 『ジャストミート・ピンポン』 連載★

舞台

日本テレビの後輩アナウンサーを集めて2004年、「福澤一座」を結成。自ら書き下ろした脚本で演出も手がけ、演劇集団キャラメルボックスの協力で上演した。

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著書

関連項目

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脚注

外部リンク

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