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第1航空団
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第1航空団(だい1こうくうだん、英称:1st Air Wing)とは、航空教育集団に属している航空団のひとつである。司令部は浜松基地(静岡県浜松市)に所在しており、主に中等練習機による操縦教育訓練を操縦学生に実施するとともに、同基地の管理業務を担当している。
略称の「1空団」は一般によく「いっくうだん」と読まれることが多いが正しくは「いちくうだん」である。
概要
以前は対領空侵犯措置の任務を行う実戦部隊を配備し、「戦闘機操縦課程」の教育も兼務していた航空団だったが、現在は第11飛行教育団や第12飛行教育団での「初級操縦課程」を経て、第13飛行教育団での「基本操縦前期課程」を修業した学生パイロットに対して「基本操縦後期課程」の教育訓練を行っている。この課程の履修中に航空従事者技能証明(事業用操縦士・飛行機・陸上多発)の技能審査を受ける。後期課程の修了者には、ウイングマーク(航空機搭乗員徽章)が授与され正式な操縦士となる。戦闘機操縦士を目指す者は、その後「戦闘機操縦基礎課程」の教育訓練を経て、松島基地の第4航空団や新田原基地の飛行教育航空隊で行われる「戦闘機操縦課程」に進む。
沿革
- 1955年(昭和30年)12月1日 - 「航空団」が浜松基地に編成。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 第5飛行隊(F-86F)を新編。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 浜松北基地に移駐。11月1日、第5飛行隊(F-86F)が松島基地に移動し、第4航空団の隷下に編入。
- 1960年(昭和35年)
- 1964年(昭和39年)10月26日 - 第33飛行隊(T-33A)を築城基地に新編。
- 1965年(昭和40年)
- 1971年(昭和46年)
- 7月1日 - 松島派遣隊を編成し、廃止となった第4航空団第5飛行隊の機材(F-86F)を承継。
- 7月30日 - 全日空機雫石衝突事故が発生。
- 1973年(昭和48年)8月23日 - 松島派遣隊が廃止。
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 松島基地の第4航空団第35飛行隊(T-33A)が浜松北基地に移駐し、これを隷下に編入。第1飛行隊(F-86F)が廃止し、戦技研究班は第35飛行隊下に編入。
- 1981年(昭和56年)12月27日 - 戦技研究班が解散。(直後の1982年1月に、流れを受け継ぐ「戦技研究班」が松島基地の第4航空団第21飛行隊下で新編)
- 1989年(平成元年)3月16日 - 航空教育集団の隷下に編入。10月2日、第31飛行隊(T-4)を編成。
- 1990年(平成 2年)3月31日 - 第32飛行隊(T-4)を編成。10月1日、第33飛行隊(T-33A)が廃止。
- 1991年(平成 3年)3月31日 - 第35飛行隊(T-33A)が廃止。
- 2007年(平成19年)8月 - 戦闘機操縦基礎(FTB)課程新設。
- 2012年(平成24年)5月31日 - 無事故飛行200,000時間達成[1]。
- 2021年(令和 3年)10月29日 - 第3輸送航空隊の第41教育飛行隊(T-400)が美保基地から移動し、第1航空団隷下に編入[2][3][4][5]。
- 2024年(令和 6年)3月21日 - 整備補給群検査隊を整備隊に、基地業務群通信隊をサイバー運用隊に改編。
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部隊編成
主要幹部
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脚注
外部リンク
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