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胡金龍
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胡 金龍(フー・ジンロン、1984年2月2日 - )は、台湾(中華民国)の台南市出身のプロ野球選手(外野手)。
台湾出身選手としては初のMLB内野手であり、MLBおよび歴代においても史上最も短い名字であった(英語表記で「HU」の2文字)。なお、MLB史上最長の名字はシメオン・ウッズ・リチャードソン(英語表記・空白を含めて16文字)。
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経歴
要約
視点
ドジャース時代

2003年1月31日にロサンゼルス・ドジャースと契約、プロとしてのキャリアをスタートさせた。この年はルーキーリーグでプレーした。
2004年はA級まで昇格した。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。
シーズンではドジャースのAA級でプレーし、同年のオールスター・フューチャーズゲームに選出された。

オフの11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では優勝を果たした。
2007年には同年のオールスター・フューチャーズゲームに選出され、2年連続2度目の選出を果たした[1]。このオールスター・フューチャーズゲームでMVPを受賞した[1]。7月12日にAAA級に昇格すると、9月のロースター拡大に伴いメジャー初昇格を果たす。9月11日には台湾人野手としては初となる本塁打を放った[注 1]。オフには北京オリンピックアジア予選のチャイニーズタイペイ代表として出場を果たした。
2008年シーズンは開幕から控えの内野手としてロースターに入り、正遊撃手であるラファエル・ファーカルの故障で、代替遊撃手として出場が増えた。しかし、打撃が2割に満たない不振で、結局ドジャースはロイヤルズからアンヘル・ベローアを獲得し、25人ロースターから外され、再びマイナー降格となった。オフの10月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では準優勝を果たした。
メッツ時代

2010年12月27日にニューヨーク・メッツへトレードされた。その後、オーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、アデレード・バイトに所属した。
独立リーグ時代

(2012年3月12日)
2012年は独立リーグであるアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスでプレーした。
義大・富邦時代
2012年にCPBLの義大ライノズにドラフト1位指名され、チーム史上初の元メジャーリーガーとなった。CPBLでは、外野手にコンバートし、主にレフトの守備に就いている。
2014年は115試合に出場し打率.350、162安打をマークし首位打者、最多安打[2]、ベストナインを獲得した[3]。
2015年は108試合に出場しキャリアハイとなる打率.383、171安打、16本塁打を記録し、2年連続で首位打者、最多安打を獲得した[4]。
2017年開幕前の1月23日に第4回WBCのチャイニーズタイペイ代表に選出された[5]。
2018年は100試合に出場し打率.374、14本塁打、80打点を記録し、自身2度目となるベストナインを受賞した。
2019年は2年連続、3度目となるベストナイン(指名打者部門)を獲得した。シーズンオフの11月に開催された2019 WBCSプレミア12に出場し[6]、キャプテンを務めた[7]。同月15日のアメリカ戦(東京ドーム)ではバックスクリーンへ一時勝ち越しとなるホームランを放った[8]。
2020年は4月18日の楽天モンキーズ戦でCPBL史上23人目となる通算1000安打を達成した。これは試合数、打席数、打数でCPBL史上最速の記録達成となった[9]。しかし、6月に出身高校のOBのLINEグループ上で監督の洪一中の悪口を書き込んでいたことが同じグループの参加者によって暴露された。本人は弟が自分のスマートフォンを勝手に操作して書き込んだのだと釈明したが、同月26日に球団からイメージを傷つけたとして2軍行きを命じられ[10]、以降は2軍でも試合に出場することはなかった。このトラブルによってわずか41試合出場に終わった[11]。
統一時代
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選手としての特徴
ゴルフを趣味にしているせいか[14]、 低い球に対してのすくい上げるバッティングを持ち味にしている。その一方で初球から積極的に打つタイプで四球が極端に少ない。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- CPBL
表彰
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲームMVP:1回(2007年)
- CPBL
- ベストナイン:1回(外野手部門:2014年 / 指名打者部門:2018年 - 2019年)
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:2回(2006年 - 2007年)
背番号
- 60 (2007年、2009年 - 2010年)
- 14 (2008年)
- 25 (2011年)
- 15 (2013年 - 2021年)
- 51 (2022年 - )
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2006 アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
- 北京オリンピックアジア予選野球チャイニーズタイペイ代表
- 2010 アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2019 WBSCプレミア12 チャイニーズタイペイ代表
脚注
関連項目
外部リンク
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