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芦沢真矢
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芦沢 真矢(あしざわ しんや、1958年1月1日 - )は、山梨県中巨摩郡櫛形町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。選手時代の登録名は「芦沢 優」(あしざわ まさる)。
役者の芦澤梨沙(作家名義:沙川りさ)は娘[1]。
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来歴・人物
要約
視点
プロ入り前・プロ入り後
巨摩高では、四番・捕手として1975年夏の甲子園予選北関東大会決勝に進出。群馬の強豪である樹徳高を破って高校初の甲子園出場を果たすが、選手権大会では2回戦(初戦)で三重高に敗退[2]。
同年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。
1978年に一軍へ初昇格し、同年は6試合に先発マスクを被る。その後も大矢明彦の控えとして起用される。
1981年には大矢の衰えや、二番手捕手であった八重樫幸雄の不振もあって30試合に先発出場を果たす。
1983年からは正捕手に定着した八重樫の控えとなる。
引退後
引退後は広島東洋カープに移籍し、ブルペン捕手(1989年 - 1990年)→一軍バッテリーコーチ補佐(1991年 - 1992年)→二軍コーチ補佐(1993年 - 1994年)→一軍コーチ補佐(1995年)→一軍ブルペンコーチ(1996年 - 1997年)を歴任。
1998年から2000年までは家族を広島に残し、台湾大聯盟・台中金剛でバッテリーコーチを務めた[4]。
2001年に山梨へ帰郷。
2004年までの約4年間は産業廃棄物の処理センターに勤務。
2005年、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズ初代監督に就任。
2006年にはチームを優勝へと導いたが、同シーズン限りで監督を退任。その後は同球団のチームアドバイザーとなる。
2007年には新たに発足した北信越BCリーグの石川ミリオンスターズ運営部長も兼任した。2007年のシーズンはこの2つのチームがそれぞれのリーグで優勝を果たし、グランドチャンピオンシップを争う形になったが、芦沢は石川の運営部長として参加した(結果は香川が優勝)。
2008年、BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督に就任し、2年ぶりに現場に復帰。2008年7月12日、前年最下位のチームを上信越地区の前期優勝に導き、改めて指導力を示した。後期は地区2位。後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズは2連敗し、年間プレーオフ進出はならなかった。
2009年は前後期とも2位となり、前後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズ(群馬は1勝すれば優勝)に敗退し、前年に続いて地区年間優勝を逃した。
2010年は前期地区3位、後期地区2位の成績で通算勝率2位。3年連続の出場となった前後期優勝の群馬との地区優勝決定シリーズは前年に続いて敗退し、地区年間優勝はならなかった。2010年シーズン限りで契約満了に伴い退団[5]。2011年は横浜ベイスターズ一軍ブルペンコーチを務めた。
退任後は工事現場での勤務を経験。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
- 29 (1976年 - 1988年)
- 97 (1989年 - 1997年)
- 88 (1998年 - 2000年)
- 3 (2005年 - 2006年、2008年 - 2010年)
- 89 (2011年)
登録名
- 芦沢 優 (あしざわ まさる、1976年 - 1988年)
- 芦沢 真矢 (あしざわ しんや、1989年 - )
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脚注
関連項目
外部リンク
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