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藤原正和

日本の長距離走選手、指導者 ウィキペディアから

藤原正和
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藤原 正和(ふじわら まさかず、1981年3月6日 - )は、日本の元陸上競技選手。現陸上競技指導者。専門は長距離走マラソン兵庫県神崎郡大河内町(現神河町)出身。西脇工業高等学校を経て中央大学文学部卒業。現在は中央大学陸上競技部長距離ブロック監督

概要 藤原 正和, 選手情報 ...

世界陸上競技選手権大会男子マラソンに過去3回日本代表ユニバーシアード北京大会ハーフマラソン、2010年東京マラソン優勝者。初マラソン元日本最高記録保持者。

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略歴

要約
視点

大学時代まで

中学時代は3年時(1995年)に全日本中学校陸上競技選手権大会3000mに出場し2位の成績を残した。また第72回東京箱根間往復大学駅伝競走での小林雅幸の活躍を見て、箱根駅伝と5区の箱根山上りに憧れたという[1]。高校時代は故障に悩まされるが、3年時(1998年)にはインターハイ3000mSCに出場し3位入賞。第49回全国高校駅伝2区を区間4位で走り、西脇工業の2年連続7度目の全国高校駅伝優勝に貢献した[2]

大学時代は、中央大学の中心選手として長距離トラック種目や駅伝において活躍を見せ、大学4年間の3大駅伝(出雲全日本箱根)には全て出場を果たした。2001年中華人民共和国北京において開かれたユニバーシアードの男子ハーフマラソンにおいて優勝を果たした。 箱根駅伝では1~3年時に山登りの5区を担当し1年時に区間賞を獲得。このうち2001年、2年時の第77回箱根駅伝では前を行く法政大学・順天堂大学を交わし、中央大学37年ぶりとなる往路優勝のゴールテープを切っている。

4年時には花の2区に出走し8人抜きの走りを見せ、松下龍治(駒澤大学)やO・モカンバ(山梨学院大学)を抑えて区間賞を獲得。中央大学の襷を3区戸塚中継所へ35年ぶりに先頭でたどり着かせた。また、大学4年時の2003年には、世界陸上選手権男子マラソン代表選考会を兼ねた第58回びわ湖毎日マラソンに出場[3]。残り5km付近までトップ争いを演じ、日本人トップとなる3位入賞を果たした。この時記録した2時間08分12秒のタイムは、五輪銀メダリスト森下広一の初マラソン最高記録や佐藤敦之早稲田大学)の日本学生最高記録を上回る新記録となった。この結果により、世界陸上パリ大会代表に内定した。

社会人(ホンダ所属)時代

2003年にホンダ入社後は日本選手権などに出場。しかしその後、右腸脛靭帯炎[4]を発症、その症状が悪化してしまい世界陸上選手権出場を断念、1週間前に出場辞退を表明した[5][6]。この後には故障と肝機能低下により思うように走れない期間があったという[7]。2008年第52回全日本実業団駅伝では7区アンカー区間を走り、区間賞を獲得した。2010年第54回全日本実業団駅伝では4区を担当、前を行く北村聡日清食品グループ)・尾田賢典(トヨタ自動車)を後半で交わし、先頭に立った。

2010年2月28日の東京マラソン2010では、雨や雪が降る悪天候で20kmの通過が1時間1分41秒とスローペースで進むレース展開の中、40km過ぎからスパートして抜け出し、藤原新・佐藤敦之らを抑え2時間12分19秒のタイムで優勝[8]。3度目の挑戦でマラソン初優勝、また男子日本人選手による初優勝となった。

2012年2月26日の東京マラソン2012では、ライバルの藤原新・川内優輝らと共に国内招待選手でエントリー、日本人トップと同年8月開催のロンドンオリンピック男子マラソン代表選出を目指して出場。序盤の3km付近、外国選手らハイペースの先頭集団へ積極果敢についた日本選手は藤原正和一人だったが、17km過ぎで先頭集団から徐々に遅れ初め、中間点辺りで日本選手らの第2集団に吸収される。その後25km地点を過ぎると第2集団からも離されて31位となった。

2013年3月3日の第68回びわ湖毎日マラソンでは、30kmを過ぎた後ロンドン五輪男子マラソン代表・山本亮ら他有力選手が脱落する中、先頭集団に位置してレースを進めるが、37Km辺りから徐々に後退。優勝したヴィンセント・キプルトと17秒差となる、2時間08分51秒と日本人トップの4位でゴール。同年8月開催の世界陸上モスクワ大会への内定条件となる2時間8分未満には及ばなかったが、世界陸上選手権男子マラソン日本代表に名乗りを挙げ[9][10]、同年4月25日に10年ぶり2度目の世界陸上へ正式に選出された。

2013年8月17日に開催された世界陸上モスクワ大会・男子マラソンでは20Km付近まで先頭集団についていたが、その後脱落。結局8位入賞には届かなかったが、日本人では中本健太郎(5位)に次ぐ2番目の14位に入った。

2014年12月7日開催の第68回福岡国際マラソンに出場。30Km付近で優勝争いからは脱落するも、日本人では首位となる2時間9分06秒の4位に入る。翌2015年8月開催の世界陸上北京大会男子マラソン代表の有力候補となり、2015年3月11日に同世界陸上選手権へ2大会連続3度目の日本代表選出が正式に決まった。

世界陸上北京大会開幕日の2015年8月22日、男子マラソンに出場したが、中間点付近で先頭集団から脱落。その後徐々に順位を落とし、結果21位と日本男子ではトップだったが目標の8位入賞には届かず、翌2016年開催のリオデジャネイロオリンピックの男子マラソン内定には至らなかった(前田和浩は40位、今井正人は欠場)[11][12]。2016年3月6日の第71回びわ湖毎日マラソンに出場予定だったものの、右足脛部の疲労骨折により欠場、リオ五輪男子マラソン日本代表入りを断念した[13]

指導者(中大陸上部監督)時代

2016年3月、現役引退を表明しホンダを退社。同時に、母校・中央大の陸上部駅伝監督に就任することが発表された[14]。ここ近年の中大陸上部は、箱根駅伝において4年連続でシード落ちするなど不振が続いており、同年5月には上級生達の原付バイク運転禁止・門限無しを月1回に厳しくするなどチーム改革に着手[15]。さらに同年7月には、主将副主将を4年生から1年生に交代させるなど、異例の大改革を公表した[16]

しかし、同年10月15日開催の第93回箱根駅伝・予選会では、同駅伝本戦通過となる10位以内に入れず、日本大学とは44秒の差で11位と敗北。これにより、中大陸上部の箱根駅伝・本戦出場権は、87回連続でついに途切れてしまう[17]。予選会当日の夜、中大のミーティングでは藤原曰く「来年の予選会は絶対負けられない。突破しなければ本当に中大は終わってしまう」と危機感を募らせていた[18]

その後は着実に強化が進み、第97回箱根駅伝では総合12位に終わるも復路3位、第98回箱根駅伝では総合6位とシード権を獲得。第99回箱根駅伝では総合2位と躍進を遂げている。

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主な戦績

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駅伝成績

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自己ベスト

脚注

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参考資料

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外部リンク

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