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閻涵

中国のフィギュアスケート選手 ウィキペディアから

閻涵
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閻 涵(えん かん 中国語: 闫涵繁体字: 閻涵 ピンインYán Hán、カタカナ転写 イェン・ハン、英語: Han YAN, 1996年3月6日[1] - )は、中国出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)。2014年ソチオリンピック2018年平昌オリンピック中国代表。2012年ユースオリンピック2012年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝者。

概要 閻涵 Han YAN, 生誕 ...
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経歴

要約
視点

5歳からスケートを始め、2年後の7歳から賈曙光コーチの指導を受ける。初めて出会った時の印象はとてもやさしく、成長してからも世界で一番聡明な女性だと語る。

2009-2010シーズン

13歳の閻涵は、前年シーズンの中華人民共和国全国運動会2008-2009全国花様滑冰錦標賽では17位と十分な成績を残せていなかったが、中国フィギュアスケート選手権(全国花様滑冰錦標賽)で台風の目となる。スムーズなスケーティングと質の高いジャンプ、ショート/フリー・プログラム共に1位を獲得し、初優勝し中国ナショナル・チャンピオンになった。

中国選手権優勝の1ヵ月後、ジュニアグランプリシリーズシーズン最終戦イスタンブールで国際デビューし、PCSで最高得点を獲得し、初出場初優勝を飾った。

2010-2011シーズン

閻涵は、ジュニアグランプリシリーズに参戦した。 第3戦のオーストリア、最終戦のチェコ共に優勝し、ジュニアグランプリファイナルへの出場権を獲得した。

ジュニアグランプリファイナルは、北京首都体育館で開催され、銀メダルを獲得した。

年末の全国花样滑冰锦标赛では、ショート・プログラムでトリプルアクセルを成功させ1位に、フリー・プログラムでは、トリプルアクセルは回避したものの1位を獲得して、優勝した。

2011-2012シーズン

ジュニアグランプリシリーズでは、オーストリアとイタリアで優勝し、ポイントランキングでは1位となったが、ジュニアグランプリファイナルではSPで出遅れ惜しくも2位に終わった。

翌月のインスブルックユースオリンピックでは、SPとFSと共に1位となり金メダルを獲得した。

世界ジュニア選手権では中国人選手として初めて優勝した。

2012-2013シーズン

ジュニアグランプリシリーズでは2位と5位でジュニアグランプリファイナルへの出場を逃した。

シニアデビューとなった四大陸選手権では銅メダルを獲得した。

世界ジュニア選手権は当初エントリーしていたが、結局不出場となった。

2013-2014シーズン

シニアクラスへ完全移行し、初グランプリシリーズとなった中国杯では、SPとFSで共にパーソナルベストを更新し、初出場初優勝を飾った。

エリック・ボンパール杯は発熱の影響でショート・プログラム4位、フリー・プログラム6位で総合4位となり表彰台を逃したが、グランプリファイナルへ進出を決めることができた。

ソチオリンピックでは7位、初出場となった世界選手権でも7位となり、2006年大会での李成江以来の中国男子選手のトップ10入りを果たした。

2014-2015シーズン

GPシリーズ初戦の中国杯にて、FSの6分間練習の際、閻涵は日本の羽生結弦と衝突し顎と胸部を強打した[3]。再開された6分間練習には姿を見せなかったものの、試合への出場を決断しフリーを滑り切り7位に、総合6位で終えた。

体調不調の続く中、2週間後のエリック・ボンパール杯に出場したが8位に留まった。

四大陸選手権はパーソナルベストの259.47を出し、銅メダルを獲得した。世界選手権は、10位で終えた。

2015-2016シーズン

GPシリーズは、初戦スケートアメリカでは4位に、2戦目の中国杯では、銅メダルを獲得した。 四大陸選手権はフリーでパーソナルベストの181.98を出して、総合271.55を獲得し3位に入る。ボストンで開催された世界選手権は、ショートで26位に終わりフリーに進むことができなかった。

2016-2017シーズン

2016年6月1日、賈曙光コーチが家庭の事情で閻涵の指導から離れ、アメリカ在住の李明珠が閻涵の新たなコーチになったことが発表された。

グランプリシリーズは、初戦のスケート・カナダが10位、中国杯が5位に終わる。

2月の第8回冬季アジア大会では271.86点で銅メダルを獲得した。

その後、トレーニング中に何度か脱臼をし、CT検査の結果左肩の関節唇を骨折が判明し、3月28日に手術を受け、ヘルシンキでの世界選手権に出場できなかった。 手術には5時間を要し、金属のボルトを4本埋め込んだ[4]

2017-2018シーズン

負傷から復帰した閻涵は、9月に地元ハルビン市で開催された平昌冬季オリンピックの国内選考を兼ねていた中国選手権では、ショート・プログラムで2位と出遅れたが、フリー・プログラムで挽回し総合247.48点を獲得し優勝した。

10月にフランスのニースで開催されたニース杯では、ショート/フリー・プログラム共に1位で259.67点を獲得し優勝した。

中国杯では、前年と同じ5位に入った。

中国杯の2週間後に開催されたスケート・アメリカは、急遽の出場となったが、ショート・プログラムでは4位につけた。フリー・プログラムでは、前走者の選手が転倒し脱臼のため競技が長時間中断し、リズムを崩してしまいジャンプミスが目立ち総合5位と順位を下げた。

2018年1月に台北で開催された四大陸選手権では10位、翌月の平昌冬季オリンピックでは、23位となった。

2018-2019シーズン

3月15日に突如Weiboで引退を発表したが、投稿をすぐに削除した。

ジュニア時代から親交のあったデニス・テンが主催するカザフスタンのアイスショー、デニス・テン・アンド・フレンズのキャストとして招待された。ショーは、2018年6月9日に、首都であるアスタナで開催された。

2018年6月20日、龐清-佟健スケート・クラブと1年間の契約を結び、翌2019-2020シーズンに復帰することを発表した。

2019-2020シーズン

2019年7月14-15日に内モンゴルハイラルで開催された中国クラブリーグに龐清-佟健スケート・クラブで出場し、ショート/フリー・プログラム共にトリプルアクセルを決め、ほぼノーミスで2位を獲得し、素晴らしい復帰戦を飾った。 フリーの演技の際には、佟健コーチと幼少時代からの賈曙光コーチが閻涵を送り出し、同クラブの全選手が声援を送った。その後のキス・アンド・クライにも両コーチが同席し、好演技と復帰を称えた。

9月に長春市で開催された中国選手権で優勝し、中国ナショナル・チャンピオンに復帰した。

国際大会の復帰戦となった中国杯では、ショート・プログラムでは1位を、総合で2位を獲得し、国際舞台へのカムバックを果たした。

2020年2月に韓国のソウルでの四大陸選手権では、新型コロナウイルス感染防止対策の為北京市内のリンクが閉鎖されていたにもかかわらず、10位と健闘した。ショートプログラムのトリプルアクセルは少しバランスを崩したが、フジTVがフィギュアスケート中継で使用している新技術・アイスコープにおいて史上初の4m超えである飛距離4m6cmを計測した。

2020-2021シーズン

2020年11月6-8日、2019年に引き続き重慶市にてCOVID-19下において無観客試合で開催された中国杯では、四回転ジャンプは回避したもののショート/フリーの両プログラムでパーフェクトな演技を見せ、再び2位を獲得。フリー・プログラムのコンビネーション・ジャンプの際に計測されたトリプルアクセルでは、飛距離4m31cmを記録した。

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主な戦績

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詳細

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プログラム使用曲

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脚注

外部リンク

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