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青木実
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青木 実(あおき みのる、1954年6月20日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身[1]の元プロ野球選手(外野手)。
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来歴・人物
横浜高校では1971年秋季県大会準々決勝に進むが、石井昭男らのいた東海大相模高に敗退。翌1972年夏の県大会も準々決勝で東海大相模高に延長10回逆転サヨナラ負けを喫し、甲子園には届かなかった。卒業後は日産自動車に進む。エース長谷川勉を擁し1974年の都市対抗に出場するが途中交代、1回戦で新日鐵堺の山口高志(松下電器から補強)に0-1で完封負けを喫する[2]。同年のドラフトで5位の指名を受け、翌1975年は電電関東の補強選手として都市対抗で優勝。同年暮れにヤクルトスワローズへ入団。
入団時の監督だった広岡達朗に足のスペシャリストとして抜擢され一軍に定着するが[3]、ほとんどが代走・守備固めで、ゲーム終盤にチャーリー・マニエルに代わって登場することが多かった[1]。しかし1981年には外野手のレギュラーであった若松勉、ジョン・スコットがシーズン開始から間もなく立て続けに故障。5月末から一番打者、中堅手として69試合に先発出場(通算打席の半分近く、通算安打の半分以上をこのシーズンに記録)を果たす。同年は34盗塁で松本匡史を抑え盗塁王に輝いた[4]。
しかし、打撃が弱かったためレギュラーに定着できず、以後のシーズンは成績が尻すぼみとなり、1985年のシーズン終了後現役を引退した。引退後はスポーツ用品販売会社に就職した。2019年現在は東京神宮リトルシニアのコーチを務める。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 盗塁王:1回 (1981年)
記録
背番号
- 50 (1976年 - 1985年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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