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2001年の福岡ダイエーホークス
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2001年の福岡ダイエーホークスでは、2001年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の7年目のシーズンである。
概要
20世紀最後の年に2年連続の日本一を逃したものの、連覇で締めくくったチームは3連覇が期待された。前年の日本シリーズ前に主力投手の藤井将雄が32歳で死去するなどリリーフ陣を含めて投手陣の弱体化が懸念されたが、打撃陣は連覇に貢献したメルビン・ニエベスの後釜としてペドロ・バルデス、トニー • ミッチェルが入団し、衰えの見え始めた秋山幸二に代わって柴原洋が1番を打つなど終始好調で、チーム本塁打とチーム打率はリーグ2位。チームは投手陣の不振を小久保裕紀、松中信彦らの打撃陣がカバーする形で7月まで近鉄やオリックスや西武と首位争いを展開し、8月には14勝10敗で勝ち越して首位を固めるかに見えた。しかし、9月以降貯金1で伸び悩みまた2連覇の立役者だったロドニー・ペドラザや、「ナベジイ」こと渡辺正和などのリリーフが救援失敗を連発して首位から陥落。投手陣は打線の援護で勝つ試合が多く、チーム防御率が前年から低下して4.49と、リーグ4位に後退。打線の奮闘もむなしく、最後は近鉄の12年ぶり優勝を許し2位に終わった。この年優勝した近鉄のタフィ・ローズは王監督が巨人時代の1964年に記録した55本塁打に並んだものの、ダイエー投手陣の敬遠攻めで記録更新はならなかった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 大阪近鉄バファローズ | 78 | 60 | 2 | .565 | 優勝 |
2位 | 福岡ダイエーホークス | 76 | 63 | 1 | .547 | 2.5 |
3位 | 西武ライオンズ | 73 | 67 | 0 | .521 | 6.0 |
4位 | オリックス・ブルーウェーブ | 70 | 66 | 4 | .515 | 7.0 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 64 | 74 | 2 | .464 | 14.0 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 53 | 84 | 3 | .387 | 24.5 |
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オールスターゲーム
→詳細は「2001年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。選出回数のカッコ内は上記回数中事故のため不出場のもの。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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できごと
- 8月31日 - MLBのボストン・レッドソックスが業務提携を締結[2]
- 9月19日 - 松中信彦が9月17日からこの日の試合まで球団記録の11打席連続出塁(6安打5四球)[3]
- 9月26日 - 日本プロ野球史上2球団目の観客動員300万人突破[4]
- 9月30日 - ダイエーは対近鉄戦でタフィ・ローズに対し敬遠策を取る。試合後、バッテリーコーチの若菜嘉晴が監督の王貞治のシーズン本塁打記録を守る為に敬遠を指示したとコメント。翌10月1日にコミッショナーからフェアプレーを求める異例の声明が出され、翌10月2日にはダイエーに対し、パ・リーグ会長が厳重注意[5]
- この年からホーム用及びビジター用のユニフォームに「エムシーコーポレーション」のスポンサーワッペンが付けられた(ユニフォームの左袖)
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「2001年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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