トップQs
タイムライン
チャット
視点
2002年の福岡ダイエーホークス
ウィキペディアから
Remove ads
2002年の福岡ダイエーホークスでは、2002年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の8年目のシーズンである。
概要
リリーフをはじめ、投手陣の崩壊で3連覇を逃したチームは「ダイハード打線」の愛称のもと、柴原洋から城島健司へと続く打線は破壊力抜群で、投手陣でも寺原隼人や杉内俊哉がドラフトで加入するなど、若手の成長が期待された。その一方で親会社・ダイエーの経営不振が1999年から続き、コンビニエンスストアのローソンをはじめ百貨店のプランタン銀座をこの年の1月に読売新聞グループ本社と三越に売却し、また不採算の外食事業はフォルクスはじめ何社かを売却、ドムドムを除いて縮小(ローソンは長くダイエーが親会社だったが、三菱商事に売却された)。中内㓛元会長ら旧経営陣の責任を問う当時の経営陣はホークスを「優良企業に見えるが借金がひどい」として売却検討に着手し、「身売り説」もささやかれたが身売りに反対する球団経営陣の反対によりこの年もダイエーが継続保有することになった。チームは親会社の混乱をヨソに4月を首位で終える快調なスタートで、5月中旬まではペナントの主導権を握っていた。しかし、5月中旬の台湾開催をきっかけにチームは失速。最終的には近鉄とのAクラス争いとなり、優勝の西武に16.5ゲーム差を付けられ近鉄と同率の2位で終わった。シーズン終了後、西武とダイエーで22年間活躍した秋山幸二が引退し、引退試合で両球団のナインから胴上げされた。
Remove ads
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 90 | 49 | 1 | .647 | 優勝 |
2位 | 大阪近鉄バファローズ | 73 | 65 | 2 | .529 | 16.5 |
2位 | 福岡ダイエーホークス | 73 | 65 | 2 | .529 | 16.5 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 67 | 72 | 1 | .482 | 23.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 61 | 76 | 3 | .445 | 28.0 |
6位 | オリックス・ブルーウェーブ | 50 | 87 | 3 | .365 | 39.0 |
Remove ads
オールスターゲーム2002
→詳細は「2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。選出回数のカッコ内は上記回数中事故のため不出場のもの。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
Remove ads
できごと
- 4月4日 - 球団新記録の開幕6連勝[1]
- 4月8日 - 小久保裕紀が日本プロ野球通算200本塁打、史上75人目[1]
- 4月29日 - ペドラザが日本プロ野球通算100セーブ、史上11人目[1]
- 5月3日 - 松中信彦が日本プロ野球通算100本塁打[1]
- 5月14日 - 日本プロ野球史上初の台湾での公式戦となるダイエー対オリックス戦が台北市の天母球場で行われ、5対4でダイエーが勝利。アメリカ占領下時の沖縄県での試合を除き、日本以外の国で試合が行われたのは1940年の満州国での試合以来62年ぶり[2]
- 6月3日 - 城島健司が日本プロ野球通算100本塁打[1]
- 6月5日 - アンダーソン・ゴメスが入団[1]
- 8月26日 - ダイエーの秋山幸二が今季限りの現役引退を表明 [1]
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads