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2000年の福岡ダイエーホークス
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2000年の福岡ダイエーホークスでは、2000年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の6年目のシーズンであり、2年連続14度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
南海時代の1973年以来の26年ぶりのリーグ優勝に加え、日本シリーズで星野仙一監督率いる中日を4勝1敗で破って35年ぶりの日本一も勝ち取ったチームはこの年も優勝候補にあげられ、V2は間違いなしと思われた。しかし、開幕後に正捕手の城島健司がクロスプレーで負傷し、急遽2番手捕手の坊西浩嗣やかつての正捕手・吉永幸一郎がマスクをかぶる非常事態。5月に城島が復帰しても貯金を中々作れず、西武や日本ハムとのデッドヒートが8月まで続いた。9月を16勝9敗と勝ち越して貯金7を稼ぎ、最終的に2連覇を達成。投手陣は先発組が2桁勝利者がゼロに終わり、チーム防御率も4点台に落ちるなど本調子ではなかったが、充実したリリーフ陣がこれを支え、投手陣崩壊を防いだことが大きかった。打撃陣は松中信彦が5番として30本100打点をマークするなど打線の主力となり、チーム本塁打は日本ハムの177本に次ぐ129本で、チーム打率.268はリーグ2位だった。巨人との日本シリーズは王監督と長嶋茂雄監督の対決となり、ONシリーズと呼ばれ話題となったがチームは2勝4敗で敗れた。日本シリーズ開幕前、藤井将雄が32歳で没した。
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チーム成績
要約
視点
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 福岡ダイエーホークス | 73 | 60 | 2 | .549 | 優勝 |
2位 | 西武ライオンズ | 69 | 61 | 5 | .531 | 2.5 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 69 | 65 | 1 | .515 | 4.5 |
4位 | オリックス・ブルーウェーブ | 64 | 67 | 4 | .489 | 8.0 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 62 | 67 | 6 | .481 | 9.0 |
6位 | 大阪近鉄バファローズ | 58 | 75 | 2 | .436 | 15.0 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム2000
→詳細は「2000年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出、▲は出場辞退選手発生による補充。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(418打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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できごと
- 5月9日 - 吉永幸一郎が日本プロ野球通算1000安打、史上200人目[2]
- 6月1日 - 秋山幸二が日本プロ野球新記録の通算1588三振[2]
- 7月4日 - 小久保裕紀が6月20日からこの日まで球団新記録の10試合連続打点[3]
- 7月6日 - 浜名千広が日本プロ野球通算1000試合出場[2]
- 8月18日 - 秋山幸二が日本プロ野球通算2000試合目の出場となった対ロッテ戦(北九州市民球場)で、史上28人目の通算2000本安打を達成。ドラフト制導入以降のドラフト外入団選手では史上初[4]
- 9月6日 - 吉永幸一郎が対日本ハム戦で日本プロ野球通算150本塁打、史上115人目[2]
- 9月13日 - 若田部健一が対ロッテ戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上285人目[2]
- 9月17日 - 今季主催試合観客動員がパ・リーグ最多記録の254万6千人[2]
- 9月24日 - 小久保裕紀が対近鉄戦で日本プロ野球通算150本塁打、史上116人目[2]
- 10月13日 - 藤井将雄が肺がんで死去[5]
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選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「2000年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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