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日本の歌手 ウィキペディアから
麻倉 あきら(あさくら あきら、1968年11月19日[1] - )は、日本の歌手である。本名:斉藤 さおり(さいとう さおり)。愛称は、本名にちなみ「さお」。愛知県名古屋市出身[1]。MUV RINOIE所属。170cmの高い身長が特徴。
麻倉 あきら | |
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出生名 | 斉藤 さおり |
別名 | 麻倉 晶 |
生誕 |
日本 愛知県名古屋市 1968年11月19日(55歳) |
出身地 | 日本 愛知県名古屋市 |
ジャンル | J-POP・ロック・ハードロック |
職業 | ボーカリスト・ボイストレーナー |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1986年- |
レーベル |
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事務所 |
1984年、「第3回ミスセブンティーン・コンテスト」で、歴代最大応募総数18万325人の中から準グランプリを受賞(グランプリは松本典子と網浜直子)。なお、当コンテストでは中原めいこの『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。』を歌い、渡辺美里と最優秀歌唱賞も最後まで競い合った。17歳だった1986年、ハートブレイカーズ(後のBaBe)を従えて「斉藤さおり&ハートブレイカーズ」名義でライブ活動を行い、同年9月5日、CBS/SONYより本名の「斉藤さおり」名義でシングル『サバンナの
1989年、PLATZにレコード会社を移籍、移籍第一弾アルバム『LADY』を発売する。また、サウンド面では、今までのアメリカンロックのスタイルからハードロックへと転向する。
1993年に麻倉晶(あさくら あきら)に改名してシングル『ベイビーリップス』で再デビュー。1995年にボイストレーニングのため渡米し、帰国後の1996年に結成されたROmantic Modeにボーカルとして参加している。
麻倉晶、ROmantic Modeと度々再デビューする際に営業戦略上過去の楽曲との繋がりを断ち切らざるを得ず、好きな歌を歌えないジレンマに悩んでいたという。さらにROmantic Modeの東芝EMIへの移籍とその後の活動休止が加わり、音楽業界との付き合いに疲れ2000年ごろから活動を休止。その後親交のあった潮崎裕己にミュージカルのオーディションを受ける相談をしたことがきっかけとなり音楽活動の再開を勧められ、2003年からSAORIとしてライブ活動を再開[2]。
2005年6月1日に、自身のウェブサイトで麻倉あきらに改名して音楽活動を再開することを発表、6月18日に開催されたOVA『最終兵器彼女 Another love song』完成披露試写会において『真夜中の虹 〜everlasting love〜』を披露し、復活を果たした。同曲は、ミラクル・バスの社長が井上大輔のマネージャーを生前務めていた関係から井上の未発表楽曲も管理もしており、その未発表楽曲の中から「最終兵器彼女 Another love song」の音楽プロデューサーが選曲したものであるという。
2007年春、森川美穂とユニットを組み、テレビ東京系アニメ『史上最強の弟子ケンイチ』のオープニングテーマ曲「ヤッホー」を担当。
2011年10月19日デビュー25周年記念アルバム『i』(アイ) を本名の斉藤さおり名義で発売。アルバム収録曲である「SAYONARA」と「ケレド望ム」がiTunes Store、レコチョク、mu-mo、dwangoなどでシングルとして9月14日に先行配信された。
2012年4月、ボーカルスクール『SPACEY Artist Academy.』を設立。
2014年、ソニー・ミュージックのオーダーメイドファクトリーで、エントリー後過去史上最短約2日で商品化決定。12月18日に斉藤さおり『ゴールデン☆ベスト リミテッド』(2枚組)を発売。
現在は営業上のしがらみから解放され全名義の楽曲を自身のライブで披露している。歌手活動に加えスタジオコーラスやボイストレーナーとしても活動している。また「スーパーアニソン魂2008“夏の陣”」への出演を皮切りにアニソン関連のライブイベントへも出演するようになった。
2016年11月22日には、渋谷TSUTAYA O-WESTにてデビュー30周年記念ライブを開催[3]。バンドメンバーには、普段のライブでも周りを固める西山史晃、田中一光、山崎淳、太田公一の他、MariNa(ヴァイオリン)、麻生ウラ(コーラス)、歌蘭(コーラス)が揃い、ゲストとして楽曲提供、プロデュース、ユニット結成などで関わってきた鵜島仁文、川添智久、森川美穂、是永巧一、西田昌史、Rie.a.k.a.Suzakuら豪華アーティストが参加した。
ミスセブンティーン84のオーディションの頃から、女優の網浜直子とは未だに大親友。本人は家族といっても過言ではないといっている。1988年発売アルバム『FOLLOW MY HEART』収録曲「Ammie」は網浜との友情を描いた彼女の自作。デビュー前、地元名古屋でモデルとして活動。過去に斉藤さおりの名で活動していた頃、ラジオ関西で金曜深夜に放送されていた『RASUKIN BAY NIGHTS』で今田耕司と共にレギュラー出演していたことがある。岡村隆史の大ファンで、常にレギュラー番組を録画しているとのこと。
斉藤さおり名義の1stアルバム『Kiss me, Good bye』収録の浜田麻里のカバー曲「KEEP ON DREAMS」は、デビュー前ボイストレーニングで本人が練習曲として使用していた曲で、あまりにもすばらしい歌いっぷりと判断されアルバム収録となった。
麻倉晶の名で活動していた頃に、恵俊彰司会のラジオにゲスト出演。恵からマリリン・モンロー、マドンナ に顔が似ていると言われていた。
幼い頃から歌が好きであったため、音楽の道へ進めようと両親も考えていた。ミス・セブンティーンコンテスト参加以前にジャズシンガーとしてプロデビューする機会があったものの、父親の急逝により立ち消えとなった[4]。自身のライブの際にバンドメンバーに手弁当を振舞う[5][6]。愛猫家であり拾い猫の「空」を飼っており[7]、ブログも書いている[8]。また友人から里親探しを頼まれた猫をジョー・リノイエに譲っている[9]。本人の弁によると英語は得手としていない。S.S.Sのライブの際には洋楽のカバーを演目に取り入れていたが、「素面ではとても唄えない」とジャックダニエルの200ml瓶を空けたという。その結果ステージ上でふらふらになり、その上潮崎裕己には「さお、酒臭い」と言われる有様であったという[4]。ガンダム関連イベント等で共演した川添智久はかつて斉藤さおりバンドのオーディションを受け不合格になっていたことがある。また鵜島仁文やMIQとは飲み仲間になっている[10]。
ここでは「斉藤さおり」名義、「麻倉晶」名義および「麻倉あきら」名義の作品について取り上げる。「ROmantic Mode」名義の作品についてはROmantic Modeの項を、「DIVA×DIVA」名義の作品についてはDIVA×DIVAの項を参照のこと。
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