京津線(けいしんせん)は、京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市のびわ湖浜大津駅までを結ぶ京阪電気鉄道の軌道路線である。石山坂本線と合わせて大津線と総称される。
さらに見る 停車場・施設・接続路線 ...
停車場・施設・接続路線 |
|
|
- 京津三条駅 - 御陵駅の廃止区間の各駅は
特記なければ1997年廃止
- 軌道の併用・専用の別は廃止時または現状
|
閉じる
起点の御陵駅から、逢坂山を越えて琵琶湖の近くにあるびわ湖浜大津駅までを結ぶ路線である。御陵駅から先は京都市営地下鉄東西線と直通運転しており、太秦天神川駅まで乗り入れているほか、終点のびわ湖浜大津駅では石山坂本線と接続している。これにより、京都市内中心部と大津市内を結ぶ都市間輸送の役割を果たしている。全線に渡ってJR東海道本線(琵琶湖線)と並行しており、石山坂本線とあわせてJR琵琶湖線・湖西線のフィーダーとしての役割も担っている。
京津線は正式な起点を御陵駅としているが、列車運行および旅客案内ではびわ湖浜大津駅から御陵駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとされている[注釈 1]。四宮駅 - 上栄町駅間ではほとんどが国道1号に沿って走っている。御陵駅から逢坂山を越える大谷駅 - 上栄町駅間には61‰の勾配区間があり[2]、上栄町駅 - びわ湖浜大津駅間のほとんどは路面電車のように道路上を走行する併用軌道となっている。びわ湖浜大津駅では接続する石山坂本線とホーム・線路を共用している。全区間が軌道法の適用を受けている。軌道運転規則では列車長が30m以下と定められているが、京津線では4両編成の電車(1両あたり16.5m)が併用軌道区間を走ることが特例として認可されている。
このように、地下鉄、勾配区間、併用軌道区間を直通運転しているのは日本では京津線のみである[3]。
かつては御陵駅より西にも併用軌道を交えた区間があり、京阪本線と接続する三条駅(のちに同線から分離して京津三条駅と改称)を起点として三条駅 - 浜大津駅間を結んでいた。また、蹴上駅付近では碓氷峠並みの66.7‰の急勾配[2]を越えていた。1997年10月12日の地下鉄東西線開業および乗り入れ開始に伴い、御陵駅以西は廃止された。なお、地下鉄東西線のうち2009年3月まで京都高速鉄道が保有していた三条京阪駅 - 御陵駅間については、京阪は第二種鉄道事業免許[注釈 2]を取得せず、通常の乗り入れという形式を取った。この判断が後述のような運賃の割高さを生み出す要因となった。
京津線ではPiTaPa・ICOCAなどの全国相互利用交通系ICカードが利用できる(スルッとKANSAIも2018年1月31日まで利用可能であった)。
地下鉄東西線開業後、御陵駅を境に地下鉄と京津線の運賃が別々に加算されるようになったことから、京都市内中心部からびわ湖浜大津方面への運賃は大幅に高くなった(下表参照)。また、三条京阪駅で乗り換えて京阪線[注釈 3]を利用する場合、地下鉄と京津線の運賃に京阪線の運賃も加算されるうえ、普通乗車券の通過連絡運輸が行われず、乗り換え時にも切符の購入が必要である。ただし、定期券やPiTaPaなどのICカード、あるいは「京都・びわ湖チケット」などの企画乗車券ではこの限りではない。
さらに見る 東西線開業前, 東西線開業後 ...
京都市営地下鉄東西線開業前後の運賃の比較
|
東西線開業前 |
東西線開業後 |
1995年9月[4] |
1997年10月12日[5] |
2019年10月1日現在[6] |
三条[† 1] - 浜大津[† 2]間 | 300円 | 390円 | 430円 |
四条[† 3] - 浜大津[† 2]間 | 380円 | 540円 | 590円 |
淀屋橋 - 浜大津[† 2]間 | 690円 | 790円 | 850円 |
淀屋橋 - 四宮間 | 620円 | 720円 | 780円 |
閉じる
石山坂本線と2線あわせて年間15億円程度の赤字が出ており、一部で大津線廃線の検討が報じられたこともあった[7]。京阪は地元自治体(大津市など)との間で、今後の運営のあり方についての協議を開始し、当初2004年秋に分社化を予定していたが、収支改善が見込めないことから見送られ、経費削減を図り収支が均衡した時点で分社化するとされた[8]。
1997年の東西線直通開始以来、800系車両の帯の色でもある黄色(■)がラインカラーとして使われていたが、2017年からの京阪線系統との車両カラーの統一およびサインシステムの再統一に伴い、これに代わって黄緑色の路線マークが設定された。路線マークのコンセプトは「山を越えて東西へ」とされている[9]。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):7.5 km
- 軌間:1435mm
- 駅数:7駅(起終点駅含む。地下駅1駅・地上駅6駅)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:京阪型速度照査ATS
- 最高速度:75 km/h[1]
- 最急勾配:61‰
- 最小曲線:半径40m
2018年3月17日改正ダイヤでは、ほとんどの列車が京都市営地下鉄東西線と直通運転を行い、朝に京都市役所前駅発着列車があるほかは、すべて太秦天神川駅まで乗り入れる。これにより、以前の起点の京津三条駅(現在の三条京阪駅)までの沿線をカバーしている。朝・夜には線内完結列車として、四宮駅 - びわ湖浜大津駅間の列車や深夜にはびわ湖浜大津発御陵行きが設定されている。基本的に1時間に3本、平日の朝夕は4 - 5本運転される[10]。
編成両数は全列車4両編成である。2両編成・15分間隔であった東西線開業前よりも乗客は減少している一方、輸送力は逆に4両編成・20分間隔と1.5倍になっている。
かつては急行(1973年まで京阪山科駅には待避線が設けられており、同駅で普通列車と緩急接続を行っていた)や準急(京津三条駅 - 御陵駅間は途中無停車)の運転、石山坂本線との直通運転もあったが、現在はすべてびわ湖浜大津駅折り返しで普通列車のみの運転である。地下鉄東西線開業前の準急列車は、京津三条駅 - 浜大津駅間を24分で運転していた。現在の地下鉄東西線乗り入れ列車は、停車駅が2駅(東山駅、蹴上駅)増えたが、地下区間で高速運転が可能になったことで若干速達化し、三条京阪駅 - びわ湖浜大津駅間を22分で運転している。
2002年より全線でワンマン運転を行っている。列車内で運賃を収受せず、駅では改札口を利用するいわゆる「都市型ワンマン列車」であり、列車内には運賃箱がない。2018年3月のダイヤ改正で深夜にびわ湖浜大津発御陵行きの列車が設定された。
毎年8月上旬の「びわ湖大花火大会」の開催日のみ、びわ湖浜大津発四宮・京阪山科・御陵行きの臨時列車も運転される[11]。この日に限り乗降客の安全確保などの理由により、運転士が列車防護要員として乗務するツーマン運転が行われている。
京都市営地下鉄東西線乗り入れ区間の延長
1997年10月12日に開業した京都市営地下鉄東西線は、2008年1月16日に二条駅 - 太秦天神川駅間が延伸開業した。これに伴い京阪京津線の地下鉄東西線乗り入れ区間もそれまでの京都市役所前駅から新しい西の終点駅の太秦天神川駅まで延長された。なお、延伸開業後の運行形態は浜大津方面は7 - 21時台、御陵方面は6 - 19時台の時間帯の半数の列車(おおむね30分間隔)が太秦天神川駅発着・その他の列車は京都市役所前駅発着となった。なお、この2008年1月に行われたダイヤ改正では、地下鉄化後初の減便改正となった。日中は15分間隔で変わらなかったが、日中以外の時間帯で減便された。さらに、2018年3月17日のダイヤ改正からは、日中はすべての列車が太秦天神川駅発着に統一されたが、東西線と合わせる形で20分間隔となり減便となった[10]。
過去の運行形態
営業キロ・接続路線は現存区間・廃止区間の駅一覧を参照。
浜大津駅は現在のびわ湖浜大津駅。当節では当時の駅名で解説。
●:停車、○:一部の時間帯のみ停車、-:通過
1971年8月14日まで
駅名 |
三条駅 |
東山三条駅 |
蹴上駅 |
九条山駅 |
日ノ岡駅 |
御陵駅 |
京阪山科駅 |
四宮駅 |
追分駅 |
大谷駅 |
上関寺駅 |
上栄町駅 |
浜大津駅 |
急行 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | - | - | - | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
- 浜大津駅改良工事完成による1957年3月20日ダイヤ改正[12]前は、日中は三条駅 - 浜大津駅間の急行と三条駅 - 浜大津駅間の普通がそれぞれ約15分間隔で、夕方は三条駅 - 浜大津駅間の急行と三条駅 - 浜大津駅間の普通がそれぞれ約10分間隔で運行されていた。石山坂本線との直通運転はごく一部の急行に限られていた(1957年1月時点では三条駅発で17 - 18時台の3本のみが石山寺駅へ直通していた)[注釈 4][13]。
- 上栄町駅への急行停車は、長等公園下駅より改称した1959年3月1日から実施された。
- 1957年3月20日ダイヤ改正から1968年3月25日改正前までは、日中は三条駅 - 石山寺駅間の急行と三条駅 - 浜大津駅間の普通が各15分間隔で、夕方は三条駅 - 石山寺駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の普通2本の合計4本が20分サイクルで運行されていた[注釈 4][14][15]。
- ただし不規則に三条駅 - 石山寺駅間の急行が浜大津折返しになることがあった[14][15]。これは、膳所駅 - 浜大津駅間において、石山坂本線の三線軌条を利用して運行されていた江若鉄道の気動車及び国鉄の貨物列車の影響による間引き運転である[16]。
- 1968年3月25日ダイヤ改正以降は、日中は三条駅 - 石山寺駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の普通、三条駅 - 四宮駅間の普通の合計3本が20分サイクルで、夕方は日中の列車に三条駅 - 浜大津駅間の急行を加えた合計4本が20分サイクルで運行されていた[注釈 4][17]。
1971年8月15日 - 1981年4月11日
駅名 |
三条駅 |
東山三条駅 |
蹴上駅 |
九条山駅 |
日ノ岡駅 |
御陵駅 |
京阪山科駅 |
四宮駅 |
追分駅 |
大谷駅 |
上栄町駅 |
浜大津駅 |
急行 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | - | - | ● | ● |
準急 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ |
- このダイヤ改正で準急が新たに設定された。急行は平日(当時は土曜を含む)朝夕のみの運転となり、普通は早朝・深夜を除き四宮駅折り返しとなった[18]。
- 日中の準急は三条駅 - 浜大津駅間と三条駅 - 石山寺駅間の系統がそれぞれ30分間隔で交互に運行されていた。準急の間に三条駅 - 四宮駅間の普通が1本(15分間隔)運行されていた[18]。夕方は三条駅 - 石山寺駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の準急2本、三条駅 - 四宮駅間の普通2本の計6本が30分サイクルで運行されていた[注釈 4][18]。
- 上関寺駅は廃止となった。また京阪山科駅での待避が廃止され、2年後の1973年に待避線は撤去された。
- 石山坂本線石山寺駅直通の急行・準急は浜大津駅 - 石山寺駅間では各駅停車[18]。
- 三条駅 - 浜大津駅間および四宮駅 - 浜大津駅間の普通列車は早朝と深夜のみの設定で、80型が通常ダイヤで営業列車として浜大津駅に発着するのはこの時に限られていた[18]。
- 一部の急行・準急は四宮駅始発・終着のものが設定されていた。三条駅 - 四宮駅間の列車は停車駅は同じであるが、急行として運行される列車と準急として運行される列車があった[注釈 5]。四宮駅 - 浜大津駅間運転の準急は実質各駅停車であるが、80型以外が充当される列車は準急(80型充当の列車は普通)として運転され、1981年改正以降もこれは変わらなかった。
1981年4月12日 - 1997年10月11日
駅名 |
京津三条駅 |
東山三条駅 |
蹴上駅 |
九条山駅 |
日ノ岡駅 |
御陵駅 |
京阪山科駅 |
四宮駅 |
追分駅 |
大谷駅 |
上栄町駅 |
浜大津駅 |
準急 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ |
- 石山坂本線石山寺駅直通の準急列車と全ての急行列車が廃止された[19]。
- 昼間時は三条駅(1987年以降の京津三条駅。以下同じ) - 浜大津駅間の準急と三条駅 - 四宮駅間の普通がそれぞれ15分間隔、朝ラッシュ時はそれぞれ6 - 10分間隔、夕ラッシュ時はそれぞれ10分間隔の運行であった[19]。
- 三条駅 - 浜大津駅間直通及び四宮駅 - 浜大津駅間の普通列車は早朝と深夜のみの設定[19]で、引き続き通常ダイヤで80型が浜大津駅に発着するのはこの時のみであった。
- 準急の出入庫系統として、三条駅 - 四宮駅間及び四宮駅 - 浜大津駅間運転の列車が設定されていた。四宮駅で三条方面の普通用80型と浜大津方面の準急用高床車を乗り換える運用もあった[19]。なお、1987年6月1日ダイヤ改正以降、四宮駅 - 浜大津駅間運転の準急(実質各駅停車)は普通列車扱いとなり、高床車に「普通 四宮」「普通 浜大津」の方向幕が整備された。
その他
1960年代まで、60型「びわこ号」や200型・260型などを使用した臨時特急も運転されていたこともあった。京津線内はノンストップであった。
1950年代の夏季臨時特急では京阪山科駅のみに停車していたが、1960年代の冬季スキー臨時特急では全線ノンストップで運転していた。
現在の使用車両
800系を含む600形以降の車両は、石山坂本線とともに、寺院の半鐘の音をイメージして作られた、独自の警笛を採用している。
1997年に800系の運転席の運行スタフ(時刻表)に、運転席のモニター内のタッチパネル式ディスプレイ表示(運行指示の内容が記録されたICカードを読み込んで表示する方式)が採用された。
過去の使用車両
- 1型(初代)
- 1912年(大正元年)の京津電軌開業時に製造された8m級モニタールーフ・オープンデッキの路面電車スタイルの木造ボギー車で15両あった。マキシマム・トラクション台車が特徴で、1933年(昭和8年)までに廃車された。客室窓は2連窓が3組並び、その上部の幕板にはアーチ状の飾り窓が設けられていた。
- 1型(2代・元北大阪電気鉄道1形)
- 20型
- 初代1型の増備車として1914年(大正3年)に9両が登場。1型とほぼ同じスタイルで、車体は10m級と一回り大きくなった。新製当時は初代1型の続番で16形と称し、1939年(昭和14年)に20型と改称され、一部は鋼体化改造を受けて丸屋根・平妻・扉つきの車体になり、1966年(昭和41年)まで使用された。収容力に乏しいことから一時石山坂本線に転属したが、四宮車庫火災の後に激減した低床車を補うため京津線に復帰した。なお、3両が1933年(昭和8年)に信貴生駒電鉄枚方線(現・京阪交野線)に貸し出され、特殊な集電装置をつけて900形(901 - 903)として使用されたこともある。
- 30型
- 京阪に合併された後の1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)にかけて登場した10m級半鋼製車で12両(31 - 43、42は欠番)あった。丸屋根で乗降口に扉が設置されるなど近代化が進み、京阪線100型を2扉丸屋根にしたような外観。31 - 35は一時石山坂本線に転属したが、四宮車庫火災の後に激減した低床車を補うため京津線に復帰した。新製当時は低床車で台車は住友ST18を履き、一部車両(36 - 40)の四宮車庫火災からの復旧の際に全車がステップを撤去して高床化・自動ブレーキ化・2両固定編成化の改造を受け、上半マンダリンオレンジ・下半カーマインレッドの特急色で京津線急行運用に就いた(なお復旧車は車体長が若干伸びて表面のリベットがなくなり、側窓も無被災車の8枚に対し9枚と1枚増えている)。その後260型の登場で石山坂本線に転属して塗色も緑の濃淡の一般色に変更され、1968年(昭和43年)に廃車された。
- 50型
- 60型(びわこ号)
- 70型
- 80型
- 普通列車用であるが、時折急行・準急の代走にも使用された。
- 200型
- 260型
- 300型(2代)
- 350型
- 回送・試運転のみ。
- 500形(2代)
- 600形
- 700形
- 地下鉄東西線開業後、600形・700形は石山坂本線用となったが、貸切列車等で四宮駅 - びわ湖浜大津駅間を走行することがある。
現存区間
- 普通列車のみ運転、全列車各駅に停車。
- 京都市営地下鉄東西線については「京都市営地下鉄東西線」の項を参照。
現存区間の廃止駅
- 緑ヶ丘運動場前駅:四宮駅 - 追分駅間(臨時駅・1942年廃止)
- 上関寺駅:大谷駅 - 上栄町駅間(1971年8月15日廃止)
- 札ノ辻駅:上栄町駅 - びわ湖浜大津駅間(1946年10月1日廃止)
現存区間の過去の接続路線
- 大谷駅:東海道本線(1921年7月31日まで)
- びわ湖浜大津駅:江若鉄道(1969年10月31日まで)
廃止区間
- 京都市電東山線とは一時期、東山三条駅で直接線路がつながっていたが、旅客列車の直通はなかった。
- 御陵駅は京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。
- 東山三条駅と蹴上駅は、それぞれ現在の地下鉄東山駅、蹴上駅とほぼ同位置に設置されていた。
- 廃止された日ノ岡駅と御陵駅(地上)のほぼ中間に現在の御陵駅(地下)がある。
- 東山三条駅 - 日ノ岡駅間の各駅は無人で券売機も設置されていなかったため、これらの駅では乗車券を購入できず、車内で乗車券を購入するシステムとなっていた。
- 準急が京津三条駅 - 御陵駅間ノンストップであったのは、準急用の車両が路面区間の駅での乗降に必要なステップを備えていなかったためでもある(「1997年10月11日までの運行形態」の項も参照)。
前述のような歴史的経緯から、京津線では距離を示すキロポストが以下の2つに分かれている。(矢印の方向にキロ数が増える)[注釈 8]
- 御陵駅→京阪山科駅
- 御陵駅 - 京阪山科駅間を地下化した区間を御陵起点でキロポストを打っているため。(実際には御陵駅 - 京阪山科駅間の東海道本線(琵琶湖線)高架下の御陵寄りに距離更正標があり、そこを境に距離標が御陵起点のものから京津三条起点のものに変わる。)
- 京阪山科駅→びわ湖浜大津駅
- 京津線として開通した区間を京津三条起点でキロポストを打っているため。(京津三条駅 - 御陵駅間廃止後ならびに御陵駅 - 京阪山科駅間地下化後もそのまま)
さらに見る 京津線, 東西線 ...
京津線 | 東西線 | 備考 |
京津三条駅 | 三条京阪駅 | 京津電気軌道開業時の三条大橋駅があった三条通上の地下に開業 |
東山三条駅 | 東山駅 | 現行とほぼ同じ位置で地下化 |
蹴上駅 | 蹴上駅 | 現行とほぼ同じ位置で地下化 |
九条山駅 | (なし) | 代替駅設置を巡って民事訴訟にまでに発展したが、原告側敗訴の上、代替駅も設置されず |
日ノ岡駅 | 御陵駅 | 御陵駅を日ノ岡駅 - 御陵駅間の中間地点、三条通上の地下に移設し、日ノ岡駅と統合 |
御陵駅 |
閉じる
※京都市営地下鉄東西線三条京阪駅 - 御陵駅間は京阪京津線の代替区間であり、この区間の鉄道施設は京都市・京阪電気鉄道・地元企業などが出資する第三セクター「京都高速鉄道」が建設・所有し、京都市交通局に貸与して経営を行わせていた。2009年4月からは、同区間は京都市交通局が保有し直営している。
- 大谷駅 - 上栄町駅間にある逢坂山トンネルは、京阪の鉄軌道線では唯一の山岳トンネルとなっている(他に男山ケーブル線にトンネルが存在)。集電装置をポールからパンタグラフに変更するにあたって路盤を下げる工事が実施されたが、これは列車を運行しながら行われた。
- 大津線(京津線と石山坂本線)の各駅では京都市営地下鉄各駅への連絡運輸は普通乗車券・定期乗車券ともに実施しているが、京阪線(京阪電気鉄道の路線のうち、大津線を除く路線。京阪本線・鴨東線・中之島線・宇治線・交野線)への(通過)連絡運輸は定期乗車券しか実施していない。そのため、普通乗車券で三条駅に乗り入れている京阪線から大津線方面に乗り換える場合(その逆も)は、一度三条駅(大津線からの場合は三条京阪駅)までの乗車券を購入して乗車後、地下鉄の三条京阪駅(京阪線方面への場合は三条駅)で改めて目的の駅までの乗車券を購入しなければならない。
- 大津線各駅の運賃表に掲示されている「六地蔵駅」は京都市営地下鉄の駅であり、隣接する同名の京阪の駅ではない。運賃表にもその旨の注記がある。なお、宇治線の乗り換え駅である地下鉄六地蔵駅でも大津線への連絡乗車券は購入可能である。2007年4月1日からのPiTaPa導入でこうした不便さは幾分緩和されている。
- 連絡乗車券での東西線東野以南と大津線との乗り換えは、御陵駅に限定されており、山科駅(京阪山科駅)乗り換えの乗車券は設定されていない。そのため、連絡普通乗車券では山科駅(京阪山科駅)の改札を出ることができない。びわ湖浜大津駅からの京津線電車が京阪山科駅に到着する際も、JR線に対する乗り換え案内は行われるが、前述の普通連絡乗車券のこともあり東西線への乗り換え案内は行われず、車内掲示の路線図にも京阪山科駅での乗り換え路線に地下鉄東西線は表示されていない[注釈 9]。また、京阪山科駅から御陵駅乗り換え山科駅以南への連絡普通乗車券は発売されておらず[注釈 10]、この区間を利用の際は直接山科駅を利用するように案内がある。ただし京阪山科駅発の運賃自体は乗り越し客などのために設定されており、京阪山科駅からICカード乗車券を利用し御陵駅乗換で山科駅以南まで乗車した場合、御陵経由の正規の乗車運賃が自動的に引き落とされる。
- 京阪山科駅 - 四宮駅間で、旧三条通り(東海道)を回るより距離が100m短縮できることから、抜け道替わりに線路内を通行する歩行者がおり問題になっている。特に地下鉄東西線開通後は同区間の列車本数が1時間8往復から4往復に半減したことから列車と列車の間隔が長くなり、その間に通り抜ける線路内通行者が多数現れている。山科警察署は署員を巡回させ線路内通行者2名を検挙書類送検した[52][53]。
- 四宮駅が京都市内に所在するため、石山坂本線で運行されている車体全体を覆うラッピング電車は京都市の「屋外広告物条例」に抵触するため京津線には入線できない。初代「ちはやふる」ラッピング電車が「さよなら運転」で入線したことはあったが、短時間で折り返すよう京都市から要請されていた。
注釈
東京に向かう方が上りになるため。京都よりも大津の方が東京に近い。
東西線の計画・開業当時は免許制。1999年の鉄道事業法改正で許可制となった。 京阪電気鉄道の路線のうち京津線・石山坂本線(大津線)・鋼索線以外の路線
三条駅 - 四宮駅間の列車は多くが準急として運行されているが、1980年時点で、平日の三条駅8時26分発のみは急行として運行されていた[18]。 長年にわたり三条大橋-古川町間が仮開業とされてきたが、公文書で本開業であることが証明された[20]。 京津三条駅 - 御陵駅間廃止前の御陵駅 - 京阪山科駅間の営業キロは1.3km
京阪電気鉄道のキロポストは基本的には上り線の進行方向左側に設置されているが、例外として石山坂本線と鋼索線(男山ケーブル)では下り線の進行方向左側に設置されている。 御陵駅から地下鉄東西線に接続し、地下鉄にも山科駅があることは表示されている
出典
鉄道ピクトリアル 臨時増刊号 京阪電気鉄道 2009年 08月号
1995年9月1日実施。『1995京阪時刻表』京阪電気鉄道 1995年7月
『JTBの運賃表』第17号 日本交通公社 1998年
藤井信夫「第9章 戦後の大津線」『車両発達史シリーズ 1 京阪電気鉄道』、関西鉄道研究会、1991年2月1日、56頁。
『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1957年1月、75頁
『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1957年11月、89頁
『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1967年7月、127頁
藤井信夫「第9章 戦後の大津線」『車両発達史シリーズ 1 京阪電気鉄道』、関西鉄道研究会、1991年2月1日、57頁。
『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1971年4月、131頁
京阪電気鉄道総務部『1980京阪時刻表』京阪電気鉄道、1980年、74-96,148-166頁。
京阪電気鉄道総務部『1982京阪時刻表』京阪電気鉄道、1982年、92-106,170-181頁。
出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103
出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.29。
出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.30。
出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.31。
短銃を持った壮漢ら、電車を暴走させて破壊『大阪毎日新聞』昭和5年11月10日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p168 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
出典:『京都の治水と昭和大水害』(文理閣)156頁より
『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』(関西鉄道研究会)156頁掲載の1965年4月22日付けの片町駅に搬入時の写真より
出典:「『関西の鉄道』別冊第1巻京阪電気鉄道 戦後分離後の歩みPart1」51頁より
出典:関西鉄道研究会「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』第5編「京阪電気鉄道の路線の変遷について」・180頁掲載の『1-8 追分付近の移設』より
“ATS化なり保安度グッと向上”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1983年4月5日) 外山勝彦「鉄道記録帳2002年11月」『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年2月1日、21頁。
『京阪グループ 開業110周年記念誌』京阪ホールディングス株式会社2020年11月1日発行 67-68頁「未来への教訓 京阪電車における重大事故・自然災害の振り返り」
『京阪グループ 開業110周年記念誌』京阪ホールディングス株式会社2020年11月1日発行 61頁「ドライブレコーダーの設置」
出典・「山科新聞」2017年(平成29年)7月19日号・京都新聞山科販売センター編集局編集毎月第3日曜日発行
- 京阪電気鉄道『京阪時刻表』第1987巻、1987年5月。京都地下線(七条 - 三条の地下駅)開業による改正号。
- 京阪電気鉄道『京阪時刻表』第9巻、1995年5月。京都市営地下鉄東西線開業による京津線部分廃止前の最終号、改定運賃掲載。
- 藤井信夫ほか『京阪電気鉄道』関西鉄道研究会〈車両発達史シリーズ1〉、1991年。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 9 関西2、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 中山嘉彦「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、2017年。