山田町
岩手県下閉伊郡の町 ウィキペディアから
岩手県下閉伊郡の町 ウィキペディアから
山田町(やまだまち)は、岩手県沿岸中部の三陸地方に位置する、太平洋に面する町。
中心的産業はリアス式海岸を利用した養殖を中心とする漁業や観光であるが、山間部を中心に中小工場が稼働している。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、中心街を含む海岸部が大きな津波被害を受け、復興に取り組んでいる。
太平洋に面した町で、リアス式海岸である船越湾の北部と、船越半島、山田湾で海岸に面している。関口川や織笠川が山田湾に注ぎ、関口川河口のやや南に山田港があり、周辺に鉄道駅や役場、病院などが集中する。町の西端は高滝森で、西部一帯は、津軽石川の上流部の流域となっている。
2011年(平成23年)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、地殻変動によって当地域の地盤が東南東へ25cmずれたことが、GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院測地観測センターによる分析の結果、明らかとなった[1]。
山田(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.8 (62.2) |
20.7 (69.3) |
23.9 (75) |
32.7 (90.9) |
34.1 (93.4) |
35.2 (95.4) |
37.5 (99.5) |
37.2 (99) |
34.1 (93.4) |
29.9 (85.8) |
25.5 (77.9) |
24.6 (76.3) |
37.5 (99.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 5.9 (42.6) |
6.3 (43.3) |
9.5 (49.1) |
14.8 (58.6) |
19.0 (66.2) |
21.6 (70.9) |
25.0 (77) |
26.8 (80.2) |
24.0 (75.2) |
19.4 (66.9) |
14.3 (57.7) |
8.6 (47.5) |
16.2 (61.2) |
日平均気温 °C (°F) | 0.5 (32.9) |
0.8 (33.4) |
3.7 (38.7) |
8.7 (47.7) |
13.4 (56.1) |
16.9 (62.4) |
20.8 (69.4) |
22.4 (72.3) |
19.3 (66.7) |
13.7 (56.7) |
8.0 (46.4) |
2.9 (37.2) |
10.9 (51.6) |
平均最低気温 °C (°F) | −4.1 (24.6) |
−4.2 (24.4) |
−1.6 (29.1) |
2.8 (37) |
8.2 (46.8) |
13.0 (55.4) |
17.6 (63.7) |
19.0 (66.2) |
15.3 (59.5) |
8.7 (47.7) |
2.4 (36.3) |
−1.9 (28.6) |
6.3 (43.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −14.8 (5.4) |
−16.7 (1.9) |
−11.4 (11.5) |
−6.2 (20.8) |
−1.7 (28.9) |
1.7 (35.1) |
8.1 (46.6) |
8.9 (48) |
4.3 (39.7) |
−2.5 (27.5) |
−6.3 (20.7) |
−13.5 (7.7) |
−16.7 (1.9) |
降水量 mm (inch) | 64.8 (2.551) |
54.2 (2.134) |
102.7 (4.043) |
109.5 (4.311) |
133.5 (5.256) |
150.3 (5.917) |
174.0 (6.85) |
182.7 (7.193) |
221.8 (8.732) |
182.3 (7.177) |
75.2 (2.961) |
69.9 (2.752) |
1,527.1 (60.122) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.8 | 5.6 | 8.2 | 8.6 | 9.6 | 10.5 | 12.6 | 11.3 | 12.2 | 9.1 | 6.6 | 5.3 | 104.7 |
平均月間日照時間 | 174.3 | 162.2 | 187.2 | 199.7 | 206.5 | 172.5 | 153.6 | 170.6 | 139.6 | 152.0 | 157.6 | 156.9 | 2,030.4 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[2] |
沢田地区の遺跡からは、縄文時代前期(約6000年前)の集落跡が発見されている。房の沢遺跡の古墳からは、蝦夷の首長の副葬品と思われる蕨手刀と直刀が出土している。中世になると安倍氏や奥州藤原氏の勢力下となる。
鎌倉時代から室町時代には、国府などへ軍馬を提供するための公的な牧場が置かれ、閉伊氏や福士氏の一族が管理した。南部氏が領内統一し、盛岡藩が成立した後は、大槌代官所の管轄となる。江戸時代前期にはオランダ船が漂着するブレスケンス号事件が起きる。
太平洋戦争中は大日本帝国海軍航空隊の山田湾基地が置かれ、終戦間際に米軍による攻撃を受けた。終戦後は米軍基地を経て航空自衛隊の山田分屯基地が置かれた。
2011年3月11日の東日本大震災により町は大津波とそれが引き起こした津波火災に包まれ、JR東日本(当時)陸中山田駅周辺の17ヘクタールが焼失[3]するなど、高台の一部を残して町内は壊滅的被害を受けた。市街地の大幅な高台移転は、自家用自動車を運転しない高齢者の不便や道路の維持費といった問題が懸念されたため、陸中山田駅周辺に災害公営住宅など市街地を集約して、地盤を3メートルかさ上げしたうえで高さ10メートルの防潮堤で再度の津波から守る工事を実施した[3]。
特記なき場合『平成27年度山田町統計資料』による[9]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
旧山田町長(官選) | ||||
不詳 | ||||
旧山田町長(公選) | ||||
不詳 | ||||
山田町長(公選) | ||||
初 | 佐藤善一 | 1955年4月3日 | 1967年4月1日 | |
2 | 近藤大助 | 1967年4月28日 | 1979年4月27日 | |
3 | 木下禎治 | 1979年4月28日 | 1984年6月2日 | |
4 | 福士彌兵衛 | 1984年7月16日 | 1992年7月14日 | |
5 | 黒澤孝 | 1992年7月15日 | 2000年7月14日 | |
6 | 沼崎喜一 | 2000年7月15日 | 2012年7月14日 | |
7 | 佐藤信逸 | 2012年7月15日 | 現職 |
漁業が中心的産業であるが、かつての勢いはなく、そのため、町の人口も漸減傾向にある。
山田道路の完成など自動車交通は充実する一方で郊外化も進行しており、中心市街地は集客力を失い、衰退傾向が見て取れる。隣の宮古市・大槌町のような大型商業施設と呼べるものはないが、主に大沢地区に郊外型の店舗が集積するようになってきており、しまむらのような全国チェーンの進出も見られる。
漁業以外では、製造業の工場が、宮古市に隣接する豊間根地区にいくつか立地する。釜石市寄りの織笠・船越地区は目立った産業はないが、山と海に囲まれた自然豊かなロケーションを生かし、観光客向けの外食店や道の駅が営業している。
経済は退潮傾向にあるが、市町村合併の機運は小さい。北隣の宮古市は地理的距離があるうえ、宮古の経済規模も大きくないことから、依存度は総じて低い。南隣の大槌町は釜石市と緊密さを強めており、こちらも山田との関係性は薄い。
以上は東日本大震災被災以前の状況である。
山田町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 山田町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 山田町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
山田町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
※ 平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると、14.99%減の15,826人であり、増減率は県下33市町村中31位。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.