1951年の映画(1951ねんのえいが)では、1951年(昭和26年)の映画分野の動向についてまとめる。
1950年の映画 - 1951年の映画 - 1952年の映画
日本
- 1月
- 2月
- 3月
- 4月
- 4月1日
- 4月6日 - 日本映画連合会(映連)で禁止映画227作品中の一部作品の再審査訴願準備に着手。
- 5月
- 6月
- 7月
- 大映創立10周年記念事業として、全国スタア探し〔ママ〕「ミス・ニッポン」「ミスター・ニッポン」募集決定。
- 東宝撮影所長・森田信義、自動車事故のため死去。
- 7月12日 - 松竹太秦撮影所改修工事完成、開所式挙行。
- 8月
- 第2次公職追放解除、1万4000人。
- 8月6日 - 邦画5社の社長会議、時代劇の本数制限撤廃を合意、即実施。
- 8月30日 - 宝塚映画製作所創立。
- 9月
- 11月
- 大映が10周年式典を挙行する。
- 11月13日 - 浅草楽天地設立。
- 11月20日 - 劇場などの建築制限が閣議決定。
- 12月
- 対日講和条約調印とともに、セントラル映画社(CMPE)解体[注 6]。アメリカ映画10社の各支社が自由配給を開始[注 7]。その後、洋画輸入規制は日本政府・大蔵省によって行われることになる[注 8]。
- 12月5日 - 日本映画社を東宝全額出資により改組、日本映画新社設立。
- 12月7日 - 節電のため、劇場は1か月25日間興行の制限。
- 12月11日 - 東宝、東映との配給提携を中止[注 9]。
- 12月28日 - 東映、正月興行第1弾『江戸恋双六』公開[33]、1952年1月3日に第2弾『新選組 京洛風雲の巻』公開[35]。1月10日に第3弾『遊民街の夜襲』公開[36]。3作品合わせて1億6000万円の配収をあげるヒット。
日本配給収入ランキング
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1951年邦画配給収入トップ10
(対象期間:1951年4月 - 1952年3月)
順位 |
題名 |
配給 |
配給収入 |
1 |
源氏物語 |
大映 |
1億4105万円 |
2 |
大江戸五人男 |
松竹 |
1億2569万円 |
3 |
馬喰一代[42] |
大映 |
0億9005万円9005万円 |
4 |
陽気な渡り鳥 |
松竹 |
0億8347万円8347万円 |
5 |
銭形平次・恋文道中[43] |
大映 |
0億7999万円7999万円 |
6 |
麦秋 |
松竹 |
0億7597万円7597万円 |
7 |
呼子星[44] |
大映 |
0億7400万円7400万円 |
8 |
続佐々木小次郎[45] |
東宝 |
0億7200万円7200万円 |
9 |
完結 佐々木小次郎[46] |
東宝 |
0億7053万円7053万円 |
10 |
本日休診 |
松竹 |
0億6978万円6978万円 |
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- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、88頁。ISBN 978-4873767550。
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、89頁。ISBN 978-4873767550。
注釈
『大映十年史』では、「国際映画大賞」となっている。
〔引用者註〕『松竹九十年史』では「東宝、東映製作配給提携なる」となっているが、当事者である『東宝五十年史』の「配給業務協定」を採用した。
この提携は、最終的に大劇場を有する東宝が東映の配給部門〔東京映画配給〕の一部を吸収し、東映〔東横映画・太泉映画〕が東宝の下請けプロダクションに成り下がることを意味していた。
〔引用者註〕『松竹九十年史』では「2月 東和映画創立」となっているが、『東宝75年のあゆみ 1932 - 2007』の「3月 東和商事合資会社が「東和映画(株)」と改称」を採用した。
『東宝五十年史』では CMPE解体は翌1952年1月1日になっている。
『松竹九十年史』では「自由配給を開始」は10月になっている。
洋画輸入規制には、国際収支の均衡と外貨準備金不足への対処、そして、国内映画産業を保護する目的があった。
春日太一著『仁義なき日本沈没』によれば、両者が決裂したのは1952年1月となっている。
『戦後値段史年表』によれば、80円となっている[38]。
出典
“沿革”. 東映公式サイト. 東映. 2020年4月1日閲覧。
“日本映画俳優協会について”. 日本映画俳優協会ホームページ. 2023年7月11日閲覧。 “前身の社団法人創立から数えて70周年を迎える(中略)令和2年10月吉日”