トップQs
タイムライン
チャット
視点

りりィ

日本の女性シンガーソングライター、女優 (1952-2016) ウィキペディアから

Remove ads

りりィ(Lily、1952年昭和27年〉2月17日[1] - 2016年平成28年〉11月11日[2])は、日本シンガーソングライター女優。本名:鎌田 小恵子(かまた さえこ)[1][3]福岡県出身[1]。元アルファエージェンシー所属。文京区立第十中学校卒業[1]。身長160cm。B80cm、W58cm、H82cm(1976年2月)[1]

概要 りりィ, 出生名 ...

音楽業のほか女優としても活躍し、ドラマ映画CMに多数出演した。長男は、ロックバンドFUZZY CONTROLのJUON[4]DREAMS COME TRUE吉田美和は義娘にあたる[4]

Remove ads

略歴・人物

要約
視点

福岡県福岡市天神生まれ[5]唐人町などで育ち[5]、小学校3年から東京で育つ[6]。母は中洲でバー「翡翠」を経営[5]、父は米空軍将校で、りりィはハーフである[3]。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた[3]

10歳で家族と一緒に上京[5]東映の児童劇団に1年半所属[3][5]。東映在籍中の1966年緑魔子主演の『非行少女ヨーコ』にちょい役で出演(ラーメン屋につとめるヨーコがどんぶりを落として割るところを蔑んで見る娘役)[5]。高校には行かず、彼女が17歳のとき母が亡くなり、生活のためにスナック弾き語りをする。「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元で「ィ」がカタカナなのは自分でなんとなく変えたという[3]

1971年下田逸郎のアルバム『遺言歌 誰にも知られずに消えるしかないさ』に参加。レーニア名義で楽曲「ひとりひとり」のリードボーカルを担当。「レーニア」の名はイギリスのフォークシンガー・ドノヴァンの楽曲「ラレーニア (Lalena) 」から採った。

所属事務所はモス・ファミリ(小澤音楽事務所系)[5]。本格的に曲作りを始めたのは山上路夫からの勧めがきっかけ[5]。独特のハスキーヴォイスで注目される。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが[5]、風邪をひいた日に2升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという[5]

1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバムたまねぎ』で歌手デビュー。1972年は数多くの女性シンガーソングライターがデビューした年だが、りりィのデビューは1972年2月5日であり、谷山浩子1972年4月25日)、荒井由実1972年7月5日)、五輪真弓1972年10月21日)らより少し早くデビューを果たしている。

1972年、デビュー直後に大島渚監督の『夏の妹』に出演。以後、音楽活動と並行して女優としても活動する。

1974年のシングル「私は泣いています」が累計100万枚を超える大ヒットを記録した[7]。この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌った[8]という。小西良太郎は「トルコ嬢まで泣かせた」と評価している[9]

24歳のときにドラマーの西哲也(元ファニー・カンパニー、当時バイ・バイ・セッション・バンドにも参加)と結婚する[10]が1年で別居し、7年後の1981年に離婚した[3]

東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。主なメンバーとしては坂本龍一のほか、木田高介土屋昌巳伊藤銀次吉田建斉藤ノブ井上鑑国吉良一などが参加しており、長らく活動して全国のライブハウスなどを回っていた。

1982年ビクター音楽産業に移籍。その後に2度目の結婚をし、活動休止。1985年に一人息子のJUONをもうけた。子育て中は埼玉県狭山市に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、JUONが中学生になり子育てが一段落した1997年TBS系テレビドラマ『青い鳥』に出演し、芸能活動を再開した。

1993年3月、音蔵シリーズと称する過去アルバム作品群のCD化プロジェクトにより、『たまねぎ』『Dulcimer』『タエコ』『ラブ・レター』がそれぞれCD化・再発売される。

1999年からは齊藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成し、全国各地で活動した。

テレビドラマ『3年B組金八先生』で共演した上戸彩とも親交があった。

2009年に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。

2012年2013年には東芝EMI時代の過去のアルバム作品が相次いで再発売された。まず、2012年1月にはEMI ROCKS The Firstシリーズの1枚として、ファーストアルバム『たまねぎ』がデジタルリマスタリングされた音源に紙ジャケット仕様で復刻され、同年11月には『Dulcimer』『タエコ』『りりィ・ライヴ』『ラブ・レター』『りりシズム』の5枚が、2013年には初CD化となる『オーロイラ』『マジェンタ』の2枚が、デジタルリマスタリング音源でタワーレコード限定で再発売された。その後、りりィが存命中にはCD化されなかった作品も、近年のシティポップ・ブームの中で、2017年に『南十字星 Southern Cross』、2022年に『気にしないで Don't Worry Don't』『P.S. I LOVE YOU 1972〜1981』が初CD化され、東芝EMI時代の全アルバムがCD化された。

晩年は肺がんと闘病し、定期検診で静養が必要と診断され、2016年5月からライブ活動を中止していた[11]。2016年11月11日、死去した[2][4][12]64歳没

その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUE中村正人[13]シンガーソングライター泉谷しげる[14]映画監督青山真治[15]アニメ監督山崎理[16]など、多くの著名人から追悼コメントが捧げられた。

遺作映画)は『彼らが本気で編むときは』、最後の公開作品は『追憶』。いずれも2017年公開。

Remove ads

音楽作品

要約
視点

シングル

※「私は泣いています」までは「りりィ」名義で発売。以降は「りりぃ」名義で発売。

さらに見る 発売日, 規格 ...

アルバム

さらに見る 発売日, 規格 ...

ベスト・アルバム

  • 『P.S. I LOVE YOU 1972〜1981』(1981年12月5日、東芝EMI、ETP-90137)- 初ベスト、初CD化<CITY POP Selections> by UNIVERSAL MUSIC
  • 『P.S. I WANT YOU -scene 1974〜1986-』(1986年12月16日、ビクター)- 東芝EMI時代の楽曲も収録。
  • 『TWIN BEST りりィ』(1996年11月27日、東芝EMI)
  • 『BEST COLLECTION』(1998年、東芝EMI)-「The CD Club」通信販売限定。
  • 『ゴールデン☆ベスト りりィ』(2004年11月17日、東芝EMI)- ゴールデン☆ベストも参照。

楽曲提供

さらに見る 歌手, 年 ...
Remove ads

出演作品

テレビドラマ

映画

ラジオ

ラジオドラマ

  • 地下鉄のアリス(1978年、NHK

CM

  • 資生堂「1975年春のキャンペーン・彼女はフレッシュジュース」「春早朝」
  • 資生堂「1976年春のキャンペーン」「オレンジ村から春へ」
  • トヨタ・カリーナCM曲(1977年2月1日録音)
作詞:望田市朗、作曲:八木正生、編曲:八木正生、ディレクター:村木敬史、コーラス:伊集加代子グループ、制作:株式会社A.R.A・株式会社電通
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads