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インターマイウェイ

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インターマイウェイ
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インターマイウェイInter My Way1990年3月24日 - 1999年)[1]は、日本競走馬。主な勝ち鞍は1995年産経大阪杯函館記念

概要 インターマイウェイ, 欧字表記 ...
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経歴

1992年函館でデビュー。新馬戦・クローバー賞を連勝、朝日杯3歳ステークスでは差のない4着と3歳重賞戦線を賑わせる。明け4歳クラシックに向けて調整がなされるが弥生賞皐月賞では結果を出せず、4歳後半はほぼ放牧休養に充てられた。

復帰後は1800m前後のレースを中心に出走。オープン特別では好走するも、重賞では着外続きと冴えない成績が続く。迎えた1995年産経大阪杯、12番人気と前走中山記念以上に評価を落とすが、人気馬が直線で喘ぐのを尻目に馬群の中から一気に抜け出し重賞初制覇。単勝14,040円は当時のJRA重賞第4位の配当となった。更に、この時記録した1分59秒3は同レースが1972年に芝2000mに定着して以来、初めて2分を切ったタイムである為、事実上コースレコードを更新した事になる(それまでの記録は1984年にカツラギエースが記録した2分00秒6)。

さらに函館記念では4番人気と上位人気に支持され、直線先頭に立つとそのまますんなりと抜け出し重賞2勝目。父ニッポーテイオーに続く親子函館記念制覇、藤田伸二騎手は函館記念3連覇達成と記録尽くめの勝利となった。しかしその後、陣営が満を持して挑んだ天皇賞(秋)参戦は不発に終わり長期休養に入った。

復帰後はGIII・オープンを中心に出走するも、斤量面で不利なレースが続き凡走を繰り返す。結局1997年1月の関門橋ステークス9着を最後に地方転出となったが、1勝もあげられず1999年6月14日に地方競馬登録抹消となった。

サラブレッド99頭の死に方によると死亡年は1999年であり、死因は競走能力喪失と記載されている。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

インターマイウェイ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系リファール系
[§ 2]

ニッポーテイオー
1983 鹿毛
父の父
*リイフォー
Lypheor
1975 黒鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Klaizia Sing Sing
Klainia
父の母
チヨダマサコ
1977 鹿毛
*ラバージョン Damascus
Evening Primrose
ミスオーハヤブサ *パーソロン
ワールドハヤブサ

スイートフォルテ
1984 鹿毛
*モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
*ノーラック Lucky Debonair
No Teasing
母の母
ブラウンロード
1975 鹿毛
*パーソロン Milesian
Paleo
スイートライラック Canisbay
*ローズライラック F-No.9-c
母系(F-No.) 9号族(FN:9-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Lyphard3x3=25.00%、パーソロン4x3=18.75% [§ 4]
出典

参考文献

脚注

外部リンク

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