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エイーレ・アドリアンサ

ベネズエラの野球選手 (1989 - ) ウィキペディアから

エイーレ・アドリアンサ
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エイーレ・エンリケ・アドリアンサ・パルマEhire Enrique Adrianza Palma,[注釈 2] 1989年8月21日 - )は、ベネズエラミランダ州グアレナス出身の元プロ野球選手内野手)。愛称はガレネーロ[2]

概要 基本情報, 国籍 ...

かつてシカゴ・ホワイトソックスの選手・監督だったオジー・ギーエン叔父にあたる。

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経歴

要約
視点

プロ入りとジャイアンツ時代

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サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2016年10月5日)

2006年4月26日にアマチュア・フリーエージェントでサンフランシスコ・ジャイアンツと契約してプロ入り。契約後、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ジャイアンツでプロデビュー。44試合に出場して打率.156、7打点、3盗塁を記録した。

2007年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ジャイアンツでプレーし、66試合に出場して打率.241、30打点、23盗塁を記録した。

2008年はまずルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツでプレー。15試合に出場して打率.255、1本塁打、6打点を記録した。7月にはAAA級フレズノ・グリズリーズに昇格し、2試合に出場した。9月からA-級セイレムカイザー・ボルケーノズ英語版でプレーし、1試合に出場した。

2009年はA級オーガスタ・グリーンジャケッツ英語版でプレーし、117試合に出場して打率.258、2本塁打、46打点、7盗塁を記録した。

2010年はA+級サンノゼ・ジャイアンツ英語版でプレーし、124試合に出場して打率.256、3本塁打、35打点、33盗塁を記録した。

2011年はA級オーガスタでプレーし、38試合に出場して打率.231、3本塁打、17打点、3盗塁を記録した。6月下旬からA+級サンノゼでプレーし、56試合に出場。打率.300、3本塁打、27打点、5盗塁を記録した。

2012年3月10日に40人枠入りを果たした[3]。シーズンではAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズでプレーし、127試合に出場して打率.220、3本塁打、32打点、16盗塁を記録した。

2013年は開幕をAA級リッチモンドで迎え、73試合に出場して打率.240、2本塁打、23打点、11盗塁という成績で、7月にAAA級フレズノ・グリズリーズに昇格。45試合に出場して打率.310、12打点、6盗塁を記録した。9月3日にメジャーに初昇格し、9月8日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビュー。2対2の延長11回裏にヘクター・サンチェスの代走として起用された。アンヘル・パガンのサヨナラ安打で生還し、チームは3対2で勝利した[4]。9月22日のニューヨーク・ヤンキース戦では6回表にアンディ・ペティットから初本塁打を記録した。この年メジャーでは9試合に出場して打率.222、1本塁打、3打点を記録した。

2014年は途中出場での起用が中心ながらも、開幕戦からベンチ入りするなど前年から出番を増やしたが、7月25日に右ハムストリングの張りで故障者リストに入った後は復帰しないままシーズンを終えた[5]。53試合の出場で打率.237、5打点だった。オフには母国ベネズエラで開催されるウィンターリーグ、リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル(LVBP)に参加。当初はティブロネス・デ・ラ・グアイラ英語版に所属していたが、シーズン途中にカリベス・デ・アンソアテギ英語版に移籍した[5]

2015年4月5日にDFAとなり、4月11日にマイナー契約でAAA級サクラメント・リバーキャッツ[6]へ降格した[5]。6月30日にケーシー・マギーのDFAに伴って、メジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[5]

2017年1月24日にニック・ハンドリーの獲得に伴って、DFAとなった[5][7]

ツインズ時代

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ミネソタ・ツインズ時代
(2018年8月15日)

2017年1月31日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[8]が、2月2日にヘスス・アギラーの獲得に伴ってDFAとなった[9]。2月6日に再びウェイバー公示を経てミネソタ・ツインズへ移籍した[10]

2020年オフの10月28日にFAとなった[11]

ブレーブス時代

2021年1月26日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。3月26日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[13]。ブレーブスはワールドシリーズに進出。アストロズと対決し、3勝2敗で優勝まで後1勝としていたが、出産に立ち会うために11月2日にロースターから外れた[14]。オフの11月3日にFAとなった[15]

ナショナルズ時代

2022年3月14日にワシントン・ナショナルズと150万ドルの単年契約を結んだ[16]

ブレーブス復帰

2022年8月1日にトレイ・ハリス英語版とのトレードで、前年所属したブレーブスへ移籍した[17]。オフの11月6日にFAとなった[18]。オフには9年ぶりにLVBPに参加。以前と同様にティブロネスに所属した[5]

2022年12月16日にマイナー契約でブレーブスと再契約を結んだ。

2023年はメジャーのスプリングトレーニングに招待選手として参加し、3月30日にメジャー契約を結んで開幕を迎えた。メジャーで5試合に出場後(10打数無安打)、5月5日に右肘炎症のため10日間の故障者リスト入りした。 5月19日には60日間の故障者リストに切り替えられ[19]、マイナーでの実戦復帰はシーズン終盤の9月となった。9月25日にDFAとなり、10月2日にFAとなった[20]。オフには母国ベネズエラのウィンターリーグであるLVBPに参加。デビュー前を含めて2年連続、通算で4度目となるティブロネスに所属した[5]

エンゼルス時代

2024年2月16日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[21]。4月21日にメジャー契約を結んで昇格し[22]、8試合に出場して打率.192、1本塁打の成績を残していたが、5月9日に背中の張りのため故障者リスト入りした[23]。6月15日にホセ・マルテを昇格させることに伴い、自由契約となった[24]。オフには第3回プレミア12ベネズエラ代表として参加していたが、12月24日に自身のインスタグラムで現役を引退することを発表した[25]

現役引退後

2025年よりミネソタ・ツインズの選手育成部門のアシスタントを務める[26]

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詳細情報

年度別打撃成績

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プレミア12での打撃成績

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年度別投手成績

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年度別守備成績

内野守備
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外野守備
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投手守備
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  • 2022年度シーズン終了時

背番号

  • 53(2013年)
  • 6(2014年)
  • 1(2015年 - 2016年)
  • 16(2017年 - 2018年)
  • 13(2019年 - 2020年、2024年)
  • 23(2021年)
  • 5(2022年)
  • 17(2022年)
  • 9(2023年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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