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ディアデラノビア
日本の競走馬 ウィキペディアから
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ディアデラノビア(欧字名:Dia de la Novia、2002年1月28日 - 2023年4月10日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に2005年のフローラステークス、2007年の京都牝馬ステークス、愛知杯。
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経歴
競走馬時代
2004年12月12日、阪神競馬場の2歳新馬戦でデビューし、初勝利を挙げる[3]。明けて3歳になった2005年は白梅賞(500万下条件戦)を勝ち、チューリップ賞で重賞に初出走したが7着に終わった。連闘で臨んだフィリーズレビューも4着に敗れたが、優駿牝馬(オークス)を目指して出走したフローラステークスでは鞍上に武豊を迎え、重賞初勝利を挙げた。初のGI挑戦となった第66回優駿牝馬ではケント・デザーモが騎乗したが、3着に終わった。その後休養に入り、2005年のシーズンを終えた。
4歳になった2006年は京都金杯・京都牝馬ステークスと5着以下の成績が続いたが、中山牝馬ステークスで2着に入る。しかしその後は、次走のマイラーズカップから秋のエリザベス女王杯まで、5戦連続の3着と惜敗が続いた。年末には初の海外遠征に臨み、香港カップに出走したが7着に終わった。
5歳になった2007年、京都牝馬ステークスで1年9ヶ月ぶりの勝利を挙げた。続く阪神牝馬ステークスは3着の後、再び海外へ遠征。7月のキャッシュコールマイルでは5着と敗れたが、年末の愛知杯で優勝し、重賞3勝目を挙げた。6歳になった2008年は京都金杯と小倉大賞典に出走したがいずれも大敗し、小倉大賞典を最後に現役を終えた。
繁殖牝馬時代
2011年6月19日、初仔ディアデラバンデラが中央競馬でデビュー。23戦1勝(うち障害1戦未勝利)の成績を残したのち、地方競馬へ転厩した[4]。
2012年9月9日、2番仔ディアデラマドレが中央競馬でデビュー。重賞3勝の成績を残した[5]。
2021年7月16日をもって繁殖を引退[6]。その後2023年4月10日に死亡したことがキャロットクラブの会報のコラムにて明かされた[7]。21歳没。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[8]に基づく。
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繁殖成績
- 2025年4月22日現在[21]
血統表
ディアデラノビアの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
父の父 Halo1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Wishing Well1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding | Promised Land | ||
Pretty Ways | ||||
Mountain Flower | Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
母 *ポトリザリス Potrizaris 1995 栗毛 アルゼンチン |
Potrillazo 1982 青鹿毛 アルゼンチン |
Ahmad | Good Manners | |
Azyade | ||||
Azalee | Tropical Sun | |||
Akinos | ||||
母の母 Chaldee1978 栗毛 アルゼンチン |
Banner Sport | Raise a Native | ||
La Dauphine | ||||
Gevar | Right of Way | |||
Zaris | ||||
母系(F-No.) | (FN:2-u) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | なし | [§ 3] | ||
出典 |
|
- 従姉妹にシーザリオの勝ったアメリカンオークスで2着だったメリョールアインダが、その弟で2008年のファルコンステークスを勝利したダノンゴーゴーがいる。
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脚注
外部リンク
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