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マイネルブリッジ
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マイネルブリッジ(欧字名:Meiner Bridge、1992年4月28日 - 2016年10月8日)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に1995年のNHK杯、福島記念、1997年の七夕賞。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
馬名の由来は、冠名+母名からの連想[4]。ラフィアンターフマンクラブにおける募集価格は1800万(45万×40口)。
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経歴
競走馬時代
1994年11月デビュー戦勝利を挙げる。以降NHK杯勝ちを記録する等、クラシック戦線に名を連ね、三冠レース全てに出走も良績を残すことはできなかった。
古馬となってからは中長距離路線を歩むが、勝ちきれないレースを続け連敗記録を更新していく。1997年に七夕賞を制し久々の重賞勝ちを記録、また同時にデビュー以来初の福島競馬場参戦となった武豊に初の福島重賞タイトルをもたらした。
しかしこの勝利が同馬最後の勝ち鞍となり、晩年は掲示板を確保するのも難しくなり2桁着順を繰り返していく。GIII・オープンクラスでは善戦するも、GI競走に於いては1996年有馬記念3着が最高の実績であった。1999年の金鯱賞14着を最後に現役を引退。
引退後
引退後は北海道恵庭市のすずらん乗馬クラブにて繋養された。乗馬クラブは、当初「あんなに活躍した馬はうちでは預かれない」と断ったというが、周囲からの説得で受け入れることにしたという[5]。牡馬にしては非常に大人しく去勢もしなかったといい、人間への不信感もなく、置かれていたアンパンを誤って食べてしまったこともあった[6]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[8]、JBISサーチ[9]、香港ジョッキークラブ(香港賽馬會)[10]の情報に基づく。
- クイーンエリザベスII世カップのオッズおよび人気は、香港ジョッキークラブによるもの。また、「Draw」が枠番、「Horse No.」が馬番に該当。
- 馬場状態:GF=Good to Firm
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血統表
マイネルブリッジの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リヴァーマン系(ネヴァーベンド系) |
[§ 2] | ||
父 *ルション Rousillon 1981 黒鹿毛 |
父の父 Riverman1969 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
River Lady | Prince John | |||
Nile Lily | ||||
父の母 *ベルドリーヌBelle Dorine 1977 黒鹿毛 |
Marshua's Dancer | Raise a Native | ||
Marshua | ||||
Palsy Walsy | Sea O Erin | |||
Allie's Pal | ||||
母 ハシコ 1982 栗毛 |
*ロイヤルスキー Royal Ski 1974 栗毛 |
Raja Baba | Bold Ruler | |
Missy Baba | ||||
Coz o'Nijinsky | Involvement | |||
Gleam | ||||
母の母 アオイベンテン1967 鹿毛 |
*インファチュエイション | Nearco | ||
Allure | ||||
ゴッドネス | ハクリョウ | |||
アバロンコート | ||||
母系(F-No.) | イヴオンヌフオツクス(NZ)系(FN:3-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearco 5x4=9.38% , Nasrullah 4x5=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
外部リンク
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