トップQs
タイムライン
チャット
視点

フジノマッケンオー

ウィキペディアから

フジノマッケンオー
Remove ads

フジノマッケンオー(欧字名:Fujino Makken O1991年3月11日 - 2013年3月8日)は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に1994年根岸ステークス1996年ダービー卿チャレンジトロフィーセントウルステークス1997年さきたま杯

概要 フジノマッケンオー, 欧字表記 ...

馬名の「フジノ」は冠名、「マッケンオー」とは「負けない王」をもじったものである[2]

Remove ads

経歴

要約
視点

競走馬時代

1993年12月4日阪神競馬場でデビュー。武豊を鞍上に出走した新馬戦は1番人気に応えられず2着となるが、12月11日に再び1番人気で出走した新馬戦では2着に1馬身差をつけ勝利。その後スプリングステークスまで、デビュー以来6連続連対を記録する。

1994年皐月賞では全出走馬の中で最速の上がり3ハロン走破タイムを記録したものの、ナリタブライアンの3着に敗れた。その後NHK杯6着、東京優駿神戸新聞杯でともに4着に敗れた後は、1600mのマイル以下の距離のレースに限定して出走するようになる。10月8日には神無月ステークスで半年以上振りの勝利を挙げると、翌11月5日根岸ステークスも勝利し2連勝で重賞初制覇を果たす。3番人気で出走した11月20日マイルチャンピオンシップ(1着ノースフライト)では2着のサクラバクシンオーにクビ差届かず、これが生涯最後の馬券圏内に入ったG1レースとなった。

年が明けて1995年フェブラリーステークスから始動するものの、1番人気に応えられず15着。さらにマイラーズカップダービー卿チャレンジトロフィーとこちらも1番人気に支持されながら5着、6着と勝ちきれぬまま翌1996年3月3日のマイラーズカップまで重賞含む10連敗を喫した。しかし4月6日のダービー卿チャレンジトロフィーではビコーペガサスナイスネイチャらを破り、2着サイレントハピネスにハナ差で勝利し1年半ぶりの重賞制覇を果たす。その後高松宮杯安田記念とGIを2戦するも敗れるが、9月29日にはセントウルステークスを制覇し重賞3勝目を挙げる。だが、この後年内はスワンステークスの5着からマイルチャンピオンシップ14着、スプリンターズステークス10着と連戦したGIで2桁着順と勝ちきれない競馬が続いた。

1997年5月5日の中央交流競走の群馬記念から始動するも5着。この後も交流戦を2戦、函館スプリントステークスを使うもかろうじて6着~4着という成績に留まった。しかし、8月11日盛岡競馬場の中央交流戦であるクラスターカップトシヴォイスの2着に入ると、続いて9月15日さきたま杯で勝利。約1年ぶりの重賞制覇で重賞4勝目を挙げたが、これが最後の重賞勝利となった。その後は年が明けて1998年のフェブラリーステークスまで5戦重賞のみに出走したものの入着がやっとで、2月7日のすばるステークス4着を挟み3月8日のマイラーズカップも10着に敗れる。しかし、3月24日黒船賞ではリバーセキトバの2.1/2馬身の2着に入り、馬券圏内に入ることが出来た。だがその後は重賞4戦をして勝ち星を挙げることは出来ず、6月6日エプソムカップ16着を最後に中央登録を抹消。同年中に岩手競馬へ移籍した。

盛岡競馬場へ移籍後は勝利を挙げることはできず、後に荒尾競馬場にも移籍。しかし最終的は1勝も挙げられぬまま2000年に競走馬を引退した。

引退後

引退後は種牡馬入りするも、牝馬に興味を示さないため[要出典]種付けすることができず、そのまま種牡馬登録を抹消された。その後名馬のふるさとステーションに移動、同地が閉鎖されると日高ケンタッキーファームに移動したが、原因不明の病気になった事により、本馬のファンであった夫婦の所有となった上で生まれ故郷の本桐牧場へと戻り[3]、余生を過ごすこととなった。

2013年3月8日結腸破裂のため22歳で死亡した[4]。同牧場にはフジノマッケンオーの墓碑が建立されている。

Remove ads

競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[5]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
Remove ads

血統表

フジノマッケンオー血統ネヴァーベンド系 / Nasrullah3×5=15.63%(血統表の出典)

*ブレイヴェストローマン
Bravest Roman
1972 鹿毛
父の父
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djaddah
Be Faithful
父の母
Roman Song
1955 鹿毛
Roman Sir Gallahad
Buckup
Quiz Song Sun Again
Clever Song

ドミナスローズ
1981 鹿毛
トウショウボーイ
1973 鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
*ソシアルバターフライ Your Host
Wisteria
母の母
オフェル
1968 黒鹿毛
*シャミエ Chamossaire
Therapia
ミスリュウゲツ *ヒンドスタン
ウメヨシ F-No.2-d

母ドミナスローズは1986年京都牝馬特別の優勝馬。

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads