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天一俊哉
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天一 俊哉(てんいち としや、1977年11月22日 - )は、新潟県南魚沼郡大和町(現・南魚沼市)出身で、山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は渡辺 俊哉(わたなべ としや)。血液型はO型。最高位は西幕下10枚目(2006年11月場所)。
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来歴
中学校を卒業すると同時に北の湖部屋(2015年に山響部屋に改称)に入門し、1993年3月場所で初土俵を踏んだ。同期生には北勝力、皇司、琴春日、若兎馬、琉鵬、旭南海らがいる。また、初土俵は1場所違うが、18代藤島(元大関・武双山)からはよく目を掛けられているという[1]。初めて番付についた翌5月場所から「天一」の四股名を名乗っているが、これは地元でお世話になった草相撲力士の力士の名前を貰ったものである[2]。
序二段で迎えた1995年5月場所では、13日目の7番相撲で同期生の栃不動に勝って7戦全勝としたが、3人で行われた優勝決定巴戦で、志賀(後の大関・栃東)に敗れて優勝はならなかった。翌7月場所で三段目に昇進し、1997年7月場所で初めての三段目優勝。この場所は同部屋から幕下の須佐の湖、序二段の雷法も優勝したため、NHK大相撲中継の優勝インタビューは3人同時に行われた[3]。翌9月場所で幕下に初昇進。幕下昇進後は花相撲などで初切を務め、陽気でエンターテイナー気質の性格から、覆面レスラーならぬ覆面力士として初切に乱入したこともあった。 2006年11月場所では自己最高位となる幕下10枚目まで番付を上げ関取を窺う地位につけ、30歳を過ぎてからも長く幕下で相撲を取り続けた。特に、三段目に下がっていた2013年9月場所では、35歳10か月という高齢で2度目の三段目優勝をしたが、それまでの幕下以下での最高齢優勝は十文字が2010年7月場所で幕下優勝をした時の34歳1か月であり、これを1歳9か月も更新した[4][5]。
怪我が少なく、入門から長らく皆勤を続けていたが、2015年1月場所の6番相撲が自身初の不戦敗となり、連続出場は908回で止まった。2016年9月場所を最後に幕下から陥落し、以後は序二段-三段目での土俵が続く。
2025年5月場所限りで澤勇(1992年7月場所初土俵)が引退したことに伴い、同年7月場所以降は天一が最古参の力士となる[6]。
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主な成績
要約
視点
2025年7月場所終了現在
- 通算成績:646勝684敗14休(193場所)
- 各段優勝:三段目優勝2回(1997年7月場所、2013年9月場所)
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改名歴
- 渡辺山 俊哉(わたなべやま としや)1993年3月場所
- 天一 俊哉(てんいち としや)1993年5月場所 - 2002年3月場所
- 天一 力(てんいち ちから)2002年5月場所 - 2009年5月場所
- 天壱 俊哉(てんいち としや)2009年7月場所 - 2009年11月場所
- 天壱 闘志矢(てんいち としや)2010年1月場所 - 2010年9月場所
- 天一 俊哉(てんいち としや)2010年11月場所 -
脚注
関連項目
外部リンク
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