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田町駅

東京都港区芝にある東日本旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

田町駅map
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田町駅(たまちえき)は、東京都港区五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。

概要 田町駅, 所在地 ...
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芝浦口(2016年6月)
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乗り入れ路線

線路名称上の所属路線は東海道本線であるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、列車線を走る東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されない。また当駅は、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する[3]駅番号は京浜東北線がJK 22、山手線がJY 27

歴史

要約
視点
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田町駅周辺の白黒空中写真(1963年6月26日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

年表

駅名の由来

田町という駅名は、三田口(西口)周辺一帯に広がっていたかつての町名からとられたものである。『文政町方書上』によると、江戸時代に田畑が町屋へと移り変わったため、田町と呼ばれるようになったという。

明治初期は頭にを付けて「芝田町」と呼ばれていた(その後、1911年〈明治44年〉5月に「芝」の冠称が省かれる)。海岸に面した細長い範囲の町で、この海岸線に沿った海上防波堤の上に鉄道が敷設された。

1909年(明治42年)に、この鉄道の新駅として、田町駅が芝田町一丁目に設置された。現在の芝浦口(東口)周辺一帯は当時まだ陸地ではなく、1913年(大正2年)に埋め立てられてから工業地帯へと変貌を遂げた。この芝浦口周辺は新芝町(後の西芝浦一丁目)と名付けられた。

駅名に採用された田町は、港区の発足した1947年(昭和22年)に再び芝田町に町名変更となった。その後、住居表示実施に伴う町名・町域の変更により、1964年(昭和39年)7月に一部が芝五丁目に、1967年(昭和42年)4月に残りの全域が三田三丁目になり、地名としての田町は消滅した。

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駅構造

要約
視点

島式ホーム2面4線を有する地上駅[12]橋上駅舎を有する。

京浜東北線と山手線は、田端駅から当駅まで同一方向の電車で同じ島式ホームを共有する方向別複々線となっている[12]東京方面から京浜東北線南行(横浜方面)と山手線外回りとの相互乗り換えをする場合、線路別複々線配置となっている南隣の高輪ゲートウェイ駅品川駅ではなく、当駅で乗り換えることによりホーム間移動が不要となる。そのため、京浜東北線南行と山手線外回りの車内では当駅での乗り換えを促すアナウンスが流れる。

以前は乗降客が非常に多いもののホームが狭く、駅利用者が平日に集中するため、朝のラッシュ時にはホームに人が溢れがちで危険であった。さらには、バリアフリー化に合わせ、エレベーターやエスカレーターの設置の動きがあったが、設置する充分なスペースがなかった。そのため、3・4番線ホームの拡幅、階段の増設・コンコースの増床等の駅構内の改良工事を行い、2004年(平成16年)に完了した[6]

直営駅である。管理駅でもあるが、当駅は自駅のみの単駅管理となっている。

のりば

さらに見る 番線, 路線 ...
付記事項
  • 山手線外回り電車の当駅始発が早朝に2本ある。

かつて浜松町寄りに1 - 4番線への出入りが可能な留置線が1本設置されていた。この留置線は当駅 - 新宿駅 - 田端駅間の列車の運転が行われた時に使用されていたもので、その後も早朝に東京総合車両センターから出庫・回送され当駅始発の山手線外回りとなる列車と、深夜に山手線内回りの品川止まりの列車が東京総合車両センターへ回送・入庫する際の方向転換に使用されていた。京浜東北線で留置線へ入・出庫する定期列車はないが、2019年(令和元年)11月16日に行われた品川駅線路切替工事の際に、この留置線を使用した折り返し運転が実施されている[報道 3]。この留置線は、羽田空港アクセス線(東海道線との直通で山手線や京浜東北線との直通計画はない)建設工事に伴う線路移設・空間確保のため撤去される計画で[14]、2022年(令和4年)3月に代替となる渡り線が山手線の品川寄りに設置されるとともに使用停止となった。

改札口

  • 当駅には北改札口と南改札口の2か所があるが、両改札口は自由通路を挟んで相対している[12]
  • 改良工事が行われる前は、各ホーム品川寄り階段通路から接続する臨時改札口(出口専用)が三田口側地上に設置されていた[6]ほか、ペデストリアンデッキ側に20台以上の自動改札機が並ぶ三田口、三田口のすぐ脇の陸橋側に自動改札機数台が並ぶ芝浦口があった。
  • 三田口側に指定席券売機が設置されている[13]

駅設備

バリアフリー設備
  • 北改札口(エスカレーター)、南改札口(エスカレーター・エレベーター)
トイレ
  • 北改札口・南改札口それぞれに車椅子対応タイプも含めて設置されている。
その他
  • 芝浦口とそれにつながるペデストリアンデッキは港区が設置したもので、鉄道営業法に定める鉄道用地にはあたらない[8]。駅の看板は、ペデストリアンデッキの入口ではなく駅舎の入口箇所に設置されている。

利用状況

要約
視点

2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員119,356人である[JR 1]。JR東日本の駅の中では、恵比寿駅に次いで第24位である[JR 1]

1989年度(平成元年度)以降の推移は以下のとおりである。

さらに見る 1日平均乗車人員推移, 年度 ...
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駅周辺

要約
視点

「三田口(西口)」と「芝浦口(東口)」の2か所が設置されている[12]。詳しくは三田(この2つは三田口)、芝浦(芝浦口)をそれぞれ参照のこと。

三田口

駅前を交通量の多い第一京浜(国道15号)が通っており、さらに日比谷通りとの交差点にも隣接しているほか、都営三田線や浅草線の三田駅も存在するなど交通の便が良いことから、日本電気バンダイナムコホールディングスなど大企業の本社やFCAジャパンスカニアジャパン、アボットジャパンSBJ銀行などの外資系企業のオフィス、官公施設が点在しており、高層・超高層のビルが多い。とりわけ、日本電気は本社がある「NECスーパータワー」だけでなく、当駅周辺のビルに数多く分散して入居している。

三田口周辺には慶應義塾大学戸板女子短期大学普連土学園中学校・高等学校芝国際中学校・高等学校をはじめとする教育施設も多いため、学生街の様相も呈しており、飲食店など商業施設も集積している。そのためか、都市銀行の大部分の支店は三田口側に集約されている。

また、港区内の他地域と同様にボツワナクウェートハンガリーイタリアなどの大使館、芝税務署・三田労働基準監督署、港勤労福祉会館・障害者福祉会館などの官公庁および公共施設以外にもセレスティンホテルアパホテルなどの宿泊施設、神社教会などの宗教施設が多数存在する。

地形的には、20世紀に入り芝浦口側が埋め立てられるまでは海辺であった駅周辺を離れると丘が多く起伏に富んでおり、やや離れた丘陵地には高級住宅やマンションが多く建っている。さらに近年は三田口側駅近辺にも高層高級マンションがいくつか建設されている。

なお、駅前のロータリーは構造上非常に狭くなっている。その中にタクシー乗り場があるため、一般車両の進入はあまり見られないほか、バス乗り場も第一京浜に面してのみ設けられている。

官公施設
  • 芝税務署
  • 三田労働基準監督署
  • 産業安全会館
  • 安全衛生総合会館
  • 東京都障害者福祉会館
  • 東京消防庁芝消防署三田出張所
  • 港区障害保健福祉センター(ひゅーまんプラザ)
  • 札の辻スクエア(以下は入居施設)
    • 港区立三田図書館
    • 港区立産業振興センター
大使館
学校
医療施設
  • 慶應義塾三田診療所
  • 鈴木胃腸消化器クリニック
宗教施設
  • 阿含宗関東別院
  • 龍生院
  • 御穂鹿島神社
  • 蓮乗寺
  • 正念寺
  • 安楽寺
  • 法泉寺
  • 西慶寺
  • 法音寺
  • 御穂神社
  • 宗光寺
  • 春日神社
  • 斉海寺
  • 弘法寺
  • 仏教伝道センタービル
  • キリスト友会日本年会・東京月会
郵便局・銀行・その他金融機関
宿泊施設
企業本社
観光施設
その他

芝浦口

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グランパーク

駅開業後の1926年(大正15年)に開設された。当時、田町駅の乗降客数は1日約4万人を数え、その3分の1が芝浦方面の埋立地に建てられた工場の労働者による利用だったため鉄道省が当時の価値で総工費およそ17,000円を投じ、約40坪の改札口が設置された[新聞 1]

芝浦口側は、そのほとんどすべてが20世紀に入って新たに埋め立てられた地であるために、橋梁を除き全体土地が平らで運河も多い。さらに埋立地として新規開発された工業区域であることから、工場倉庫・オフィスビルなどは多いものの、三田口側には多数存在する諸外国の大使館、寺・神社などの宗教施設は皆無で、官公施設や教育施設も少ない。

一方で、駅前の高層ビル「ムスブ田町」に三菱自動車キオクシアファミリーマートの本社などが移転したほか、工場や倉庫の跡地、新規埋立地に大規模な再開発も進んだことから状況は変わりつつあり、愛育病院が移転してきたほか、新三井製糖の工場や都電車両工場などの跡地に建設された芝浦アイランドなどの大規模な高層マンション群の分譲や、その他の中小マンションの建設が進んだことから住人の数が急激に増えている。

これらの変化を受けて、駅前は2004年(平成16年)に路線バスの乗り入れができるように整備され、都営バスちぃばすのターミナルとして機能している[注 2]。また、駅前にあった港区立芝浦小学校は芝浦4丁目へ移転し、東京ガスの跡地にできたみなとパーク芝浦内にスポーツセンターなどが移転した。2008年(平成20年)5月29日には、自由通路先のペデストリアンデッキに、視覚障害者向けの電子情報案内盤をNPO港区が共同で設置した。案内盤はタッチパネル式で、地図のボタンを押すと目的地までの道順を音声で案内するほか、各種イベント情報なども表示する。

2021年(令和3年)3月1日には、NTT都市開発、鹿島建設、JR東日本、東急不動産の4社が、東京工業大学(現:東京科学大学)より同大学田町キャンパスの土地活用事業者に選定されたことを受けて、同年2月26日付けで東京工業大学と事業協定書を締結したことを発表した[報道 4]。これに伴い、民間施設(事務所、ホテル、商業施設、保育所、産学官連携施設など)や大学施設(教育研究施設、産学官連携施設)を併設した複合施設が建設され、複合施設が2030年(令和12年)6月ごろに開業し、2032年(令和14年)4月ごろにグランドオープンが予定されている[報道 4]

2024年(令和6年)3月には、それまで三田口の森永プラザビルに入居していた森永製菓の本社が、芝浦口の「森永芝浦ビル」に移転した[15]

官公施設
  • 警視庁三田警察署
  • みなとパーク芝浦
    • 芝浦港南地区総合支所
    • 港区立消費者センター
    • 港区立介護予防総合センター「ラクっちゃ」
    • 港区立男女平等参画センター「リーブラ」
    • 港区スポーツセンターなど
  • 東京労働局海岸庁舎
  • 都下水道局芝浦ポンプ所
学校
医療施設
  • 愛育病院
  • 品川シーズンテラス健診クリニック
郵便局・銀行・その他金融機関
  • 港芝浦郵便局
  • 芝浦海岸通郵便局
  • さわやか信用金庫芝浦支店
    芝浦口側にあった都市銀行の有人店舗(旧東京三菱銀行・旧富士銀行・旧三和銀行・旧さくら銀行)はすべて三田口側の支店に統合され、現存しない(ATMコーナーのみ残存)。
企業本社
宿泊施設
  • プルマン東京
  • トレストイン
  • グレイスリー田町
その他
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バス路線

三田口側に田町駅前、芝浦口側に田町駅東口田町駅東口前の各停留所がある。なお、この他三田口側に存在する浅草線三田駅前三田線三田駅前田町駅西口の各停留所については「三田駅 (東京都)#バス路線」を参照。

さらに見る 運行事業者, 系統・行先 ...
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その他

戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の急行(快速に相当)と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では当駅東京寄りの内側線が留置線となっており、京浜東北線・山手線ともに外側線を走行し、田町 - 浜松町間で京浜急行線が内側に合流する形となっていた。この計画は対米戦により中止されたが、のちに京浜東北線と山手線の分離運転工事(『東京縦貫複々線化工事』という)に活用された。この「京浜急行線計画」は現在の京浜急行電鉄とは無関係で、当時は「京浜電気鉄道」という社名だった。

電報略号チタが付与されている。なお、「タマ」は高浜駅に、「タチ」は立川駅にそれぞれ付与されている。

隣の駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
JK 京浜東北線
快速・各駅停車
浜松町駅 (JK 23) - 田町駅 (JK 22) - 高輪ゲートウェイ駅 (JK 21)
JY 山手線
浜松町駅 (JY 28) - 田町駅 (JY 27) - 高輪ゲートウェイ駅 (JY 26)

脚注

関連項目

外部リンク

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