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群馬県

日本の都道府県 ウィキペディアから

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群馬県(ぐんまけん)は、日本関東地方北関東)に位置する県庁所在地前橋市

概要 ぐんまけん 群馬県, 国 ...

旧国名上野国(上州)。栽培・養蚕繊維工業などの伝統産業に加え、畜産野菜栽培・機械工業が盛んで、県北西部は草津温泉などに代表される温泉保養地である。利根川上流ダム群の豊かな水量は県内はもとより、東京都を始めとする関東の電力上水道の供給源となっている[注釈 1][1]。県南東部は都市化が進み、首都圏整備法の都市開発区域に指定され、北関東工業地域を形成している。

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概要

要約
視点

群馬県は日本列島内陸東部に位置し、関東地方の北西部を占める北関東の県である。利根川上流域であり県南東部に関東平野、県西部・北部に山地を有し、この山嶺によって日本海側会津信越地方と分けられる。海洋国家である日本において、内陸部に位置する数少ない県(内陸県)である。

2020年国勢調査による群馬県の人口は194万0333人で、47都道府県中第18位。2015年の全国都道府県市区町村別面積調による県面積は、6362.28km2で、47都道府県中、第21位である。2008年度の県内総生産は7兆2216億円であり、世界の過半数の国の国内総生産(GDP) より大きな規模を有している[2]。日本国内で比較すると、47都道府県の中で22位である。一人当たり県民所得は268.9万円である。県庁所在地は前橋市(人口約32万人)である一方、県内最大都市は高崎市(人口約36万人)である。一部新幹線も停車する高崎駅は県内最大のターミナル駅であり、高崎市は交通・商業の中心地である。高崎市と前橋市は隣接した双子都市であり、両都市を包括する前橋市都市圏(人口約126万人)は北関東最大の都市圏である。

かつては前橋市ではなく、高崎市が県庁所在地であった時期もある。

名称

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「群馬」の2文字が見える古碑・金井沢碑

上代においては「毛野国」(毛の国)を形成し、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国(こうずけのくに)となる。現在の県域はほぼ上野国と一致し、今でも異称として「上州(じょうしゅう)」「上毛(じょうもう、かみつけ)」を用いることがある。

郷土の風物・人物を詠んだ「上毛かるた」は広く県民に親しまれている。上毛かるたでは毛野国を「しのぶ毛の国二子塚」と詠んでおり、多くの古墳が築かれた古代毛野地域は、東国における有力な文化圏を形成したと考えられている。

県名は県庁所在地()が所属する名採用型で、群馬郡に由来する。群馬県庁は、第一次群馬県(1871年 - 1873年)では群馬郡高崎町(現在の高崎市)に設置された後に群馬郡前橋町(現在の前橋市)へ移転、第二次群馬県(1876年 - 現在)でも群馬郡(郡の分割後は西群馬郡)高崎町に設置された後に東群馬郡前橋町へ移転と、高崎から前橋へ移転した経緯がある。

県庁の移転元も移転先も群馬郡の町、なおかつ、郡名採用型の県名であるため、高崎と前橋のどちらを指しているのか判別のしようがないが、高崎と前橋が県庁の誘致で対立した経緯があること[3]、第一次群馬県、第二次群馬県ともに当初は高崎に県庁を設置していること(#主要年表#明治も参照)から、本来的には高崎を指していると評価することは可能である。

群馬郡は、1879年に郡の分割が実施されて西群馬郡高崎町、東群馬郡前橋町となり、1892年に前橋町が市制を施行して東群馬郡を離脱した。そして、1896年に郡の統廃合が実施されて西群馬郡は再び群馬郡の一部に、前橋町離脱後の東群馬郡は勢多郡の一部になった。「県庁所在地が勢多郡前橋であるにもかかわらず群馬県となった」と記述する資料が見られるが、前橋への県庁移転も前橋の郡離脱(市制施行)も郡の統廃合より前であり、不正確な記述である(東群馬郡#前橋の所属郡の問題も参照)。

県名の由来となった群馬郡は元は「くるまのこおり」と言い、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていたが、奈良時代の初めに全国のの名を二文字の好字で表記することとなり「群馬」と書くようになった(群馬郡#歴史も参照)。群馬は「が群れる」という意味であり、貴重な馬が群れている豊かな土地であった[4][5]。この地方が古くから馬に関係あったことはよく知られている。

ローマ字表記

群馬県が定める正式なローマ字表記は訓令式(修正ヘボン式)の「Gunma」であるが、日本国旅券(パスポート)やJR東日本の英語案内などでは旧ヘボン式の「Gumma」も多く使われており、混乱が生じることがある[6][7]。群馬県でも一時期「Gumma」表記を使用したことがあるが、「Gumma」というスペルの英語に「梅毒のゴム腫」という意味があることも考慮されて戻されたという[6]。「Gunma」と「Gumma」の表記が混在することについて、パスポート所持者や県内の企業・学校が国外の行政機関などから説明を求められることが多いことから、群馬県では2010年以後[6]、ウェブサイトで両方の表記が有効であることについての英文の説明文書(PDFファイル)を掲載しており、説明が必要な際の利用に供している[7]

マスコット

県のマスコットは、の姿をした「ぐんまちゃん」で、初代と二代目がいる。

初代ぐんまちゃんは、馬場のぼるのデザインによるもので、1983年(昭和58年)に群馬県で開催された第38回国民体育大会あかぎ国体)のマスコットキャラクターとして登場した。

二代目ぐんまちゃんは、「ゆうまちゃん」の名で、1994年(平成6年)に群馬県で開催された第3回全国知的障害者スポーツ大会(ゆうあいピック)のマスコットキャラクターとして登場した。

2008年(平成20年)7月、東京都中央区銀座に群馬県のアンテナショップである「ぐんま総合情報センター(通称:ぐんまちゃん家)」が開設され、「ゆうまちゃん」が「ぐんまちゃん」を襲名し「二代目ぐんまちゃん」となった。

銀座5丁目にあったぐんまちゃん家は、2018年(平成30年)3月の賃貸契約の満了に伴い[8] 銀座7丁目に移転し、同年6月にリニューアルオープンした[9][10] [11][12][13][14]

2021年10月、テレビアニメぐんまちゃん」を放送。

魅力度

ブランド総合研究所が実施した「地域ブランド調査」では、群馬県の魅力度は47都道府県の中で例年40位台を推移している。都道府県別集計が始まった2009年平成21年)以来、2017年(平成29年)まで9回の調査で、最下位を含めワースト3入りを5回経験している[15]

さらに見る 地域ブランド調査 群馬県の順位推移 ...

都道府県単位での評価は高くないが、市町村単位では前橋・高崎・桐生・太田の4市が以下の指標で高評価を得ている[26]

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地理

要約
視点

位置

関東の西北部に位置し、南は埼玉県、西は長野県、北は新潟県福島県、東は栃木県に囲まれた内陸県である。群馬県と福島県の県境地域は、自然環境保護のため自家用車の乗り入れが規制された尾瀬国立公園となっており、車両による往来ができない[注釈 2]

県の形が羽を広げたのように見えるため、上毛かるたでは「つる舞う形の群馬県」という札がある。そのため、群馬県人は地域をさすのに鶴の一部に見立てた表現を用いることがある。群馬県の広報番組では、県最東端の板倉町を「鶴のくちばし[27]、県東南部に位置する館林市は、市の位置を「鶴の頭の部分」であると説明している[28]

自然公園

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尾瀬ヶ原

地勢

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地形図

県域東南部は関東平野となっており、県の人口の7割ほどが集中している。県内の地域ごとに拠点都市が分散していることから明確な首位都市が存在しない。県域南部は中毛西毛東毛の三地域に区分される。県中央部にあたる中毛地域は、県庁所在地前橋市や、銘仙の産地・伊勢崎市がある。県西部の西毛地域は、首都圏信越地域を結ぶ交通の要衝・高崎市がある。前橋市と高崎市周辺は両翼都市として県の中心地域となっている。 県東部の東毛地域は、織物業が盛んで織都と称される桐生市SUBARUスバル)の所在地で自動車産業を中心とする工業都市・太田市がある。

県域西部から北部にかけて関東山地三国山脈などの山地が連なり、長野県との県境にある浅間山を始め、新潟県との県境に近い谷川岳赤城山榛名山妙義山上毛三山がある。県域には日本百名山に数えられる山が11座存在し、これは山梨県と並んで、長野県の29座に次ぐ数である。県域北部の北毛地域にあたる標高の高い山岳地帯では豪雪地帯に指定されることが多く、スキー場も多い。浅間山草津白根山は活動度が高い活火山であり、国際的な観光地草津温泉を始め伊香保温泉水上温泉四万温泉万座温泉など温泉地が豊富である。

大水上山を水源とする利根川は、吾妻川神流川渡良瀬川など県内の諸河川を集め、東流して太平洋及び東京湾に注ぐ。分水嶺を挟んだ県域である信濃川流域の野反湖阿賀野川流域の尾瀬の水は日本海へ注ぎ、関東地方日本海側河川の集水域になっているのは群馬県だけである。また、利根川流域の一つ鏑川の源流は長野県佐久市となり長野県域を源流に持つ。

気候

日本の気候区分では北毛日本海側気候吾妻郡西毛中央高地式気候、高崎、前橋、伊勢崎、太田、館林など南部平野部が太平洋側気候であり、標高差も大きいため他の関東地方の都県と比較して気候差が大きい。高崎、前橋などは太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。気象庁観測所の観測値に基づくと、ケッペンの気候区分では、前橋、高崎、沼田、中之条、下仁田、桐生などの県下主要都市を含む中南部地域の大部分が温暖湿潤気候に類される。このほか、神流において温帯夏雨気候、みなかみ町藤原において西岸海洋性気候、草津と嬬恋村田代において亜寒帯湿潤気候が見られる。

南北で気候の差が大きく、前橋伊勢崎館林などを中心とした南部では熊谷など埼玉県北部と同様、赤城山秩父山地からのフェーン現象と東京都心のヒートアイランド現象によって発せられた熱風の影響で猛暑日に達することがよくあり、40度前後まで上がることもあるなど日本でも有数の酷暑地帯となる。特に前橋市や伊勢崎市では前述のヒートアイランド現象やフェーン現象が顕著に現れ、日没後も気温が下がりにくい状態が続く。館林市では2010年から3年連続で猛暑日の年間日数の国内最多を記録している。対して北部は気温が低く、上がっても30°Cを少し越える程度。特に標高1000mを超える草津などは真夏日はおろか、夏日が観測されることさえ少ないほど冷涼であるなど、県内でも地域によって極端な差がみられる。また、南部ではこの高温の影響によりが多く上州名物として全国的に知られており[29]、また雷雲が北部山岳地から太平洋に抜ける通り道となっていることから、かみなり銀座とも呼ばれる。

は南部では他地域の関東平野と同様に乾燥した晴れの日が多く雪は少ないが、風が強い(赤城おろし)。気温は晴れれば10°Cを越えることも多いが、関東地方の中では寒気の影響を受けやすいため日中でも晴れても5°C前後までしか上がらないこともある。また、内陸にあるため冬日は比較的多いが、季節風が強いために、隣接する栃木県及びその東隣の茨城県に比べると朝晩の冷え込みは緩やかであり、1月の最低平均気温は前橋が-0.5°C、伊勢崎が-0.6°Cと高く、南関東のさいたま市(-1.1°C)、多摩地方の府中市(-0.7°C)、房総の佐倉市(-1.8°C)よりも高く最低気温が下がりにくい。真冬日はほとんどない。ただし、前述したとおり季節風が強いため、実際の気温よりも低く感じられることが多い。北部は日本海からの雪雲の影響でが多く(みなかみ町藤原では2006年1月26日に301cmの積雪深を観測)、豪雪地帯片品村は関東地方唯一の特別豪雪地帯)に指定されている地域が多い。気温も南部と比較すると夏同様に低く、冬日はほぼ毎日、真冬日もよく観測される。また、標高が1000mを超える北東部の尾瀬周辺と西部の嬬恋村長野原町北軽井沢などは特に、冷え込みが厳しく、放射冷却により時にマイナス20度以下まで冷え込むことがあるほどであるが、みなかみ町などの北部と違って西部の高原地帯は比較的降雪量は少ない。

年間平均気温・降水量

年平均気温は南部(前橋)で15.0°C、北部(沼田)で12.1°Cであり、最も高いのは伊勢崎で15.5°C、最も低いのは嬬恋村田代で7.4°Cである。内陸にあるため、南北ともに一日の気温差が大きい。年間の降水量は南部では1,200mm前後の地点が多い。北部は1,100mm - 1,700mm程度で、南部と比べると地域差が大きい。

さらに見る 平年値 (月単位), 北部 ...
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地域

要約
視点

地域区分

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群馬県の地域区分。
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群馬県庁による5地域区分。2005年(平成17年)度から2014年(平成26年)度まで設置されていた5つの県民局の管轄区域に相当する。

元々は以下の4地域で構成されている。地方裁判所地方検察庁の管轄では、吾妻地区は本庁に、東毛は桐生地区と太田地区に分けられ、前橋・高崎・桐生・太田・沼田の5地域区分となる。

  • 中毛地域(前橋市、伊勢崎市、渋川市、北群馬郡、佐波郡)
  • 西毛地域(高崎市、藤岡市、富岡市、安中市、多野郡、甘楽郡)
  • 東毛地域(桐生市、太田市、館林市、みどり市、邑楽郡)
  • 北毛地域(沼田市、利根郡、吾妻郡)

以下は広域市町村圏などによる10地域区分である。高崎と安中、太田と邑楽館林は同一の広域市町村圏を構成している。税務署の管轄では、渋川地区と安中地区は高崎税務署の管内に、太田地区は館林税務署の管内に含まれ、前橋・高崎・桐生・伊勢崎・沼田・館林・藤岡・富岡・中之条の9地域区分となる。

  • 前橋地区(前橋市)
  • 伊勢崎地区(伊勢崎市、佐波郡)
  • 渋川地区(渋川市、北群馬郡)
  • 高崎・安中地区(高崎市、安中市)
  • 藤岡地区(藤岡市、多野郡)
  • 富岡地区(富岡市、甘楽郡)
  • 沼田地区(沼田市、利根郡)
  • 吾妻地区(吾妻郡)
  • 桐生地区(桐生市、みどり市)
  • 太田・館林地区(太田市、館林市、邑楽郡)

以下は昭和前期に設置されていた地方事務所による10地域区分である。

  • 勢多地区(前橋市、勢多郡)
  • 群馬地区(高崎市、群馬郡)
  • 多野地区(多野郡)
  • 北甘楽地区(北甘楽郡)
  • 碓氷地区(碓氷郡)
  • 吾妻地区(吾妻郡)
  • 利根地区(利根郡)
  • 佐波地区(伊勢崎市、佐波郡)
  • 新田山田地区(桐生市、新田郡、山田郡)
  • 邑楽地区(邑楽郡)

以下は二次医療圏・土木事務所による12地域区分である。警察署の管轄では、前橋地区は前橋・前橋東に、吾妻地区は吾妻・長野原に、館林地区は館林・大泉に分けられ、前橋・前橋東・伊勢崎・渋川・高崎・藤岡・富岡・安中・沼田・吾妻・長野原・桐生・太田・館林・大泉の15地域区分となる。

  • 前橋地区(前橋市)
  • 伊勢崎地区(伊勢崎市、佐波郡)
  • 渋川地区(渋川市、北群馬郡)
  • 高崎地区(高崎市)
  • 藤岡地区(藤岡市、多野郡)
  • 富岡地区(富岡市、甘楽郡)
  • 安中地区(安中市)
  • 沼田地区(沼田市、利根郡)
  • 吾妻地区(吾妻郡)
  • 桐生地区(桐生市、みどり市)
  • 太田地区(太田市)
  • 館林地区(館林市、邑楽郡)

以下は郡市による12地域区分である。1949年昭和24年)10月1日の北群馬郡設置以後、平成の大合併による郡市の再編まで用いられた。

  • 勢多・前橋地区
  • 佐波・伊勢崎地区
  • 北群馬・渋川地区
  • 群馬・高崎地区
  • 多野・藤岡地区
  • 甘楽・富岡地区
  • 碓氷・安中地区
  • 利根・沼田地区
  • 吾妻地区
  • 山田・桐生地区
  • 新田・太田地区
  • 邑楽・館林地区

地域区分対照表

さらに見る 四区分, 五区分 ...

市町村

群馬県には、35の市町村がある。以下、127158を記載する。市制施行が可能な町はなし、町制施行が可能な村は榛東村の1村。「町」「村」の読み方はそれぞれすべて「まち」「むら」。

人口2025年7月1日現在。県庁所在地の前橋市が約33万人、隣接する高崎市が約37万人であり、実質的に双子都市となっているが、行政面では別々の地域とされることがほとんどである。岡山県岡山市倉敷市埼玉県の旧浦和市と旧大宮市(現・さいたま市)の関係に似ている。

中毛地域

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前橋市役所
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伊勢崎市役所
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渋川市役所

中毛地域は、群馬県中南部を占める地域である。3市2郡2町1村がある。西毛北毛東毛、埼玉県大里児玉の各地域と接する。前橋市・伊勢崎市・玉村町が、前橋・高崎地方拠点都市地域の一部に含まれ、前橋市が西毛の高崎市とともに地域の中心都市に指定されている。

西毛地域

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高崎市役所
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藤岡市役所
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富岡市役所
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安中市役所

西毛地域は、群馬県西南部を占める地域である。4市2郡3町2村がある。吾妻中毛、埼玉県秩父児玉、長野県東信地方と接する。高崎市・藤岡市が、前橋・高崎地方拠点都市地域の一部に含まれ、高崎市が中毛の前橋市とともに地域の中心都市に指定されている。

北毛地域

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沼田市役所
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中之条町役場
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長野原町役場
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草津町役場
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東吾妻町役場
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みなかみ町役場

北毛地域は、群馬県北部を占める地域である。1市2郡5町5村がある。西毛中毛東毛、栃木県上都賀、福島県会津、新潟県中越、長野県北信東信地方と接する。

東毛地域

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桐生市役所
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太田市役所
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館林市役所
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みどり市役所

東毛地域は、群馬県東南部を占める地域である。4市1郡5町がある。中毛利根沼田、栃木県上都賀下都賀安足、埼玉県北埼玉大里の各地域と接する。全域が東毛地方拠点都市地域に含まれ、桐生市・太田市・館林市が地域の中心都市に指定されている。

都市圏

さらに見る 1980年 昭和55年, 1990年 平成2年 ...

市外局番・単位料金区域

群馬県内には、7つの市外局番と、10の単位料金区域(MA)が存在する。

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群馬県の市外局番
さらに見る 市外局番, MA ...

※太田市の市場町は足利MAに含まれる。

気象注意報・警報の細分区域

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群馬県の気象区分
さらに見る 一次細分, 二次細分 ...

市町村合併

旧5市

  • 昭和の大合併(1954年(昭和29年))前から市制施行していた前橋市、高崎市、桐生市、伊勢崎市、太田市の総称。いずれも平野部に位置する都市である。
  • 人口は高崎市の約37万人を筆頭に、前橋市約34万人、太田市約22万人、伊勢崎市約21万人、桐生市約12万人と続き、この5市で県の人口の過半数を占める。前橋市・高崎市は中核市、伊勢崎市・太田市は施行時特例市に指定されている。
  • 上毛かるたの役札「五市札」(お/か/め/き/け)になっており、団体戦の場合「五市札」を揃えると、20点が加算される。
    • 「お」 - 太田市 - 「太田金山子育呑龍(こそだてどんりゅう)」
    • 「か」 - 高崎市 - 「関東と信越つなぐ高崎市」
    • 「め」 - 伊勢崎市 - 「銘仙織出す伊勢崎市」
    • 「き」 - 桐生市 - 「桐生は日本の機どころ」
    • 「け」 - 前橋市 - 「県都前橋生糸の市」
  • 全日本実業団対抗駅伝大会では、中継所のある上記5市のほか、佐波郡玉村町、みどり市を通過する。
    • 前橋市(群馬県庁、公田中継所)
    • 高崎市(高崎中継所)
    • 佐波郡玉村町
    • 伊勢崎市(伊勢崎中継所、赤堀中継所)
    • 太田市(太田中継所)※尾島中継所は廃止されたが、通過はする。
    • 桐生市(桐生中継所)
    • みどり市(笠懸地区)

新5市

  • 1954年(昭和29年)4月1日 昭和の大合併により一斉に市制施行した沼田市、館林市、渋川市、藤岡市、富岡市の総称。

昭和以前の合併

群馬県の廃止市町村一覧を参照のこと

平成の大合併

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歴史

要約
視点

先史

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太田天神山古墳

旧石器時代 - 1979年昭和54年)に国の史跡に指定された岩宿遺跡を始め旧石器時代の遺跡が多い。現在では、150以上の遺跡が発見されている。そのなかの一つ、2千数百年前の下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(伊勢崎市)は大規模な集落であり、出土した石器・石材は2000点余りに上った。武井遺跡(桐生市新里町武井)からは10万点余りの槍先尖頭器を中心とする石器やこぶし大の石[注釈 3]が大量に発見されている。これらの石器の石材は近くの渡良瀬川や栃木・長野県のものがみられ、この時代には既に人や物の交流・交易が行われていたことが分かる。また食料としては、ナウマンゾウオオツノジカなどの大型哺乳動物、シカイノシシなどの動物、それにウドゼンマイヤマゴボウユリ根・クルミなどであった[31]

上毛野国(かみつけぬのくに)は古代東国の一大中心地で、4世紀前半から前方後円墳が出現した。2020年現在群馬県最古の前方後円墳は高崎市の本郷大塚古墳である。この出現後、前橋天神山古墳(前橋市)、朝子塚古墳(太田市)、浅間山古墳(高崎市)、別所茶臼山古墳(太田市)、白石稲荷山古墳(藤岡市)、太田天神山古墳などをはじめとする東日本最大規模の古墳が次々と築かれた。また、太田市飯塚町からは埴輪 挂甲武人が出土し、国宝に指定されている。古墳時代後期にあたる6世紀中頃、榛名山が大噴火を起こした。その際に噴出したテフラに埋没した古墳時代当時の村が、発掘調査によりそっくり姿を現した。黒井峯遺跡(旧子持村)と金井遺跡群(渋川市)などである。そこからは、住居や倉庫・納屋・家畜小屋などに使用された竪穴建物平地建物高床建物跡のほか、水田や畑の跡が検出されている。これまで不明であった古墳時代の集落構造の資料を提供することとなった。

古代

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赤城山山頂にある赤城神社

律令制の下では東山道上野国で、国司が国を治める国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されているが、その遺跡は確認されていない。周辺に国分寺国分尼寺の跡がある。10世紀の郡は、碓氷(うすい)・片岡・甘楽(かんら)・多胡・緑野(みとの)・那波・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根・勢多・佐位・新田・山田(やまた)・邑楽(おうら)の14、郷は102(『和名類聚抄』)。和銅4年(711年)、多胡郡は片岡・緑野・甘楽の3郡から300戸を割いて設けられた。

延喜式神名帳に記載される名神大社としては、後に一ノ宮となった貫前神社(富岡市)[32]赤城神社(前橋市に論社3社)、伊香保神社(渋川市)があり、高崎市の辛科神社は渡来系の神社として知られている。この辺りには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立した。多胡郡建郡を記念する多胡碑[33]など上野三碑が古代の金石文として知られる。

中世

荘園や御厨、国衙領が成立し、それを基盤として中小武士団が勃興した。県東部の邑楽・新田・佐位郡と北部の利根・吾妻、西部の碓氷・多胡郡は郡域が荘園化し、一方で群馬郡・甘楽郡はほぼ全域が国衙領として渋川郷(保)・桃井郷・白井保・長野郷・和田郷・岡本郷などが成立した。他は混在している。このため武士団の出自に地域傾向がある。

まず県北部から東部にかけては秀郷流藤原氏(佐位・那波・林・薗田・大胡・山上氏)が入り、続いて東部の新田荘に新田氏一族(新田本家・里見・山名・得河・世良田・岩松)が入り拡大した。県南部は秩父党系(小幡・飽間・小林氏)が武蔵から入った。多胡郡は荘園として源義賢が開発し、のちに多胡氏が拠った。一方国衙領がほとんどの群馬郡・甘楽郡では、在庁宮人系と推測される諸氏(渋川・桃井・長野・和田・岡本氏など)が勃興した。

これらの武士団は、新田一族を除き中世の騒乱のなかで力を失っていった。まず治承・寿永の乱で、源義仲が多胡郡から県西部に影響力を持ち、東部では新田荘の新田義重が自立した。隣接する足利には秀郷流藤原氏の惣領・藤原姓足利氏が平家側にあった。一方秀郷流藤原氏の一族・新田氏の分家(里見・山名)や多くの武士は源頼朝に従った。その後、最終的に源頼朝の勝利に終わった結果、源義仲についた今井氏・佐位氏・那波氏・桃井氏、平家についた藤原姓足利氏が没落、新田義重も地位が低下した。頼朝についた武士団は鎌倉御家人となった。鎌倉期には和田合戦で渋川氏が没落した。在地領主が没落したのちには、新たに領主が入り、同じ名の氏族を名乗った。藤姓那波氏旧領には大江氏系の那波氏が、渋川氏・桃井氏は源姓足利氏の一族が入った。

鎌倉末期になると、新田義貞足利尊氏とともに後醍醐天皇鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政にも参画した[34]。ただし、惣領家が力を失った新田氏は一族としてまとまらず、里見・山名氏は足利尊氏についている。また幕府側についた武士団(白井氏・大胡氏・山上氏)もあった。新田義貞戦死後は南朝に付いた新田本家・世良田氏が没落し、里見・山名氏はその本拠地を県外へ移し、足利について新たに新田惣領を継承した岩松氏が新田荘を中心に勢力を維持した。一方、鎌倉幕府滅亡時に白井氏・観応の擾乱で多胡氏が没落、山上氏は幕府側から擾乱時に尊氏方に移るなど、内乱で没落したり疲弊したりして独自勢力をもてなかった。一族が多い秀郷流藤原氏は惣領家(藤原姓足利氏)が滅亡してまとまれず、結果、室町時代において岩松氏以外の上州武士は国人一揆たる白旗一揆に参加していた。観応の擾乱後、岩松氏を除き上州白旗一揆に参加した上州武士は、守護として入った山内上杉家の被官化した。ただし、「衆」として被官化されたのちもその形式を残しており、解体は戦国大名の登場を待つことになる。また山内上杉家家臣の長尾氏が土着し、白井長尾家と総社長尾家が成立した。

享徳の乱で関東が戦国時代に入ると、県域南部が武蔵国五十子(埼玉県本庄市)を本拠に鎌倉公方堀越公方)を補佐する山内上杉家の影響力が及び、北部は越後国守護代長尾氏の勢力下、新田郡に自立的な岩松氏(のち下克上され横瀬氏)がある形で推移した。戦国期の関東情勢は鎌倉公方が分裂し、伊豆の堀越公方に属する両上杉氏らと、下総国古河に本拠を置く古河公方が対立し複雑に推移し、山内上杉家は北関東の有力戦国大名として成長するが、相模国に台頭した新興勢力である後北条氏と対立し、後北条氏は甲斐国武田氏駿河国今川氏と三国同盟を結び天文15年(1546年)の河越夜戦において山内上杉家を駆逐し、上野にも後北条氏の勢力が及び、こうした情勢のなか上野の国衆は上杉・北条両氏に属し離合集散を繰り返した。ただし、信濃国佐久郡に近い一部の国衆は同地に進出した武田氏に属している。

越後国では守護代長尾氏による統一が進んでいたが山内上杉家は長尾氏を頼り、長尾景虎(上杉謙信)は山内上杉家の家督と関東管領職を継承し、北信濃における武田氏との抗争(川中島の戦い)と平行して上野や北関東地域において後北条氏と抗争した。

上杉・武田両氏の川中島の戦いは永禄4年(1561年)の第四次合戦を機に収束するが、武田氏は上杉氏の圧迫を受けていた自己傘下の小幡氏の旧領復帰を口実に上野進出の機会をうかがっており、上野における後北条氏の反攻と呼応して西上野侵攻を行って上杉傘下にあった有力国衆長野氏を滅ぼすなど、上野においては上杉氏と武田・後北条氏との抗争が展開された。

永禄11年(1568年)には甲相同盟が破綻して武田・後北条氏が対立関係となり、永禄12年(翌年)には上杉氏と後北条氏との間で越相同盟が締結される。さらに甲相同盟は元亀2年(1571年)に回復され、天正7年(1579年)には越後における御館の乱と関係して武田・上杉間で甲越同盟が締結され武田・後北条間は敵対関係となり、こうした複雑な外交情勢のなか上野は三者の接する係争地となった。そして豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が没落すると、徳川家康の配下の武将が入ることになる。

このような山内上杉氏・後北条氏・武田氏・長尾上杉氏が争う中で、鎌倉ごろからの土着武士は完全に没落し、戦国大名の家臣として新たに入った武士が近世は上州を領地としていった。

近世

江戸時代初期には東国の北の守りとして主に譜代大名が上州に配置され、前橋藩高崎藩沼田藩館林藩安中藩小幡藩伊勢崎藩吉井藩七日市藩などがあり、交代寄合旗本では岩松(新田)氏の岩松陣屋があった。また岩鼻には上野国内の幕府領を支配する代官陣屋岩鼻陣屋)が置かれた。

江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった[35]。上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得られたからである。

これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下(でんか)と空っ風」である。[36]「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、そうではなく、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母(かかあ)は天下一」という意味を持っている。

養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っている。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ、評価が高い。往々にして写真美術の題材になるなど、養蚕業の深奥はいまだに尽きるところがない。養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展をうながしており、これを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立された。

近現代

第二次世界大戦中には疎開地として多くの民衆企業を受け入れた。軍需工場が集中する高崎市街地、前橋市街地、伊勢崎市街地、桐生市街地、中島飛行機太田製作所、小泉製作所はそれ故に米軍による市街地空襲の標的となり、その内、高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田町(現:太田市)の一部、などの市街地は甚大な被害を受けた(桐生市は確認されているのが戦闘機による機銃掃射のみでほとんど被害なし)。戦後はこれまでの平野部の農業、工業製造業も復活したが、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んである。製造業の系譜は途切れることなく、また女性の社会参加も同様である。県民の一世帯当たりの自家乗用車保有台数は全国でも首位を争うほどである。一家に親世代子世代用の各乗用車に加え一定の労務に従事する女性のための乗用車を用意しているのが各統計に見られる多くの姿である。

政治的にも、経済的にも首都圏にありながら保守土着の性質がいまだに残り、自由民主党の勢力が強く「保守王国」と呼ばれる。また、有力議員が当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識である。戦後には福田赳夫(高崎市)、中曽根康弘(高崎市)、小渕恵三中之条町)、福田康夫高崎市)と4人の総理大臣を輩出している。しかし、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では、自民党への逆風から5議席中3議席を当時の野党第一党であった民主党に奪われ、政権交代の象徴的選挙区として全国から注目を浴びた。

主要年表

古代

中世

近世

明治

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明治時代の群馬県庁舎

大正

昭和

昭和戦後

平成

※各市町村の人口は合併発足当時のもの。

令和

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人口

要約
視点

県人口は、1,939,110人(2020年令和2年)国勢調査)で、都道府県で18位(都道府県の人口一覧)である。国勢調査最大人口は、2000年(平成12年)の2,024,852人であり、都道府県で19位であった。上毛かるたには、県の人口を詠んだ「力あわせる二百万」という札がある(何度か改定されており、二百万となったのは1993年版から)。また、高崎市、太田市、伊勢崎市、大泉町以外は、2015年と2020年をと比べて大きく減っている。

2000年平成12年)の国勢調査で人口順位が上位100位内の市は、前橋(75位)・高崎(90位)の2市であった(都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位)。各年の国勢調査で人口順位が上位50位内に入ったことのある市は、前橋(最高位:1920年(大正9年)35位)・桐生(最高位:1935年(昭和10年)50位)の2市であった。

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群馬県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出)
Thumb
群馬県と全国の年齢別人口分布(2005年) 群馬県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 群馬県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
群馬県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 1,658,909人
1975年(昭和50年) 1,756,480人
1980年(昭和55年) 1,848,562人
1985年(昭和60年) 1,921,259人
1990年(平成2年) 1,966,265人
1995年(平成7年) 2,003,540人
2000年(平成12年) 2,024,852人
2005年(平成17年) 2,024,135人
2010年(平成22年) 2,008,068人
2015年(平成27年) 1,973,115人
2020年(令和2年) 1,939,110人
総務省統計局 国勢調査より

都市

群馬県内 市別人口ランキング
概要 県内順位, 都市 ...
群馬県内 別人口密度ランキング(推計人口 2025年7月1日

人口密度

2010年平成22年)国勢調査による群馬県の人口密度は、1平方キロメートルあたり315.6人で、47都道府県で21位、関東7都県では6位。人口密度が1平方キロメートルあたり1,500人以上の町は大泉町のみで、可住地人口密度が1平方キロメートルあたり1,500人以上の市町村は高崎桐生・大泉の3市町である。

さらに見る 県市町, 総人口 (人) ...

人口変遷

第1回国勢調査が実施された1920年大正9年)の県人口は約105万人であり、47道府県中23位であった。人口3万人以上の市町村は前橋高崎桐生の3市町であった。2000年平成12年)国勢調査での県人口は約202万人であり、47道府県中19位。人口3万人以上の市町村は前橋・高崎・桐生・伊勢崎太田沼田館林渋川藤岡富岡安中群馬玉村大泉の15市町で、DID(人口集中地区)のある市町村は前橋・高崎・桐生・伊勢崎・太田・沼田・館林・渋川・藤岡・富岡・新町吉井・境・玉村・大間々・大泉の16市町であった。

下表には、全てのとその中心市街を構成する旧町(前橋・高崎・桐生・伊勢崎・太田・沼田・館林・渋川・藤岡・富岡・安中・大間々/みどり)、税務署の所在町(中之条)、警察署の所在町とその中心市街を構成する旧町(原町/吾妻/東吾妻長野原小泉/大泉)、警察署の旧所在町(大胡下仁田松井田・境)、税務署・警察署の非所在町のうち人口集中地区の設定町と旧設定町(草津・吉井・新町・玉村)、人口集中地区の非設定町のうち人口3万人以上の町とその旧町(金古/群馬)の計25市町の国勢調査人口の変遷を記載した。

さらに見る 1920年 (大正9年), 1925年 (大正14年) ...
さらに見る 1970年 (昭和45年), 1975年 (昭和50年) ...
さらに見る 人口階級, 1920年 (大正9年) ...
さらに見る 人口階級, 1947年 (昭和22年) ...
さらに見る 人口階級, 1970年 (昭和45年) ...
さらに見る 人口階級, 1990年 (平成2年) ...

人口集中地区

群馬県の都市的地域人口集中地区(17地区)
2010年平成22年)国勢調査
DID人口10万人以上(2地区:前橋・高崎I)
DID人口5万人以上(3地区:桐生・伊勢崎I・太田)
DID人口3万人以上(2地区:館林・大泉)
DID人口2万人以上(1地区:沼田)
DID人口1万5千人以上(2地区:渋川・藤岡)
DID人口1万人以上(4地区:高崎II・伊勢崎II・富岡・大間々)
DID人口5千人以上(3地区:伊勢崎III・伊勢崎IV・玉村)

2010年(平成22年)国勢調査による群馬県内のDID(人口集中地区)は、13市町17地区あり、人口5万人以上のDIDは前橋・高崎I・桐生・伊勢崎I・太田の5地区であった。

さらに見る 県郡市町, 平成2年 DID人口 ...
さらに見る 国勢調査年, DID数 ...
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主要都市

要約
視点

都市の起源

  • 城下町・陣屋町
    • 群馬県の都市の多くは南部の平野に分布している。城下町や陣屋町に起源をもつ都市として前橋高崎伊勢崎沼田館林安中小幡などがあり、前橋は県庁所在地として、高崎は交通の要地として群馬県の中心的地位を占めている[43]
  • 市場町・谷口集落
    • 桐生大間々藤岡鬼石富岡下仁田中之条原町長野原などは市場町に起源をもつ。特に山地の産物と平地の産物を取引する市場町として機能した谷口集落がある。主な谷口集落として桐生・大間々・沼田・渋川・鬼石・下仁田・中之条・原町などがあり、桐生は繊維工業、渋川は化学工業によって発展した[43]
  • 宿場町
    • 新町・高崎・安中・松井田玉村木崎太田などは宿場町として発達した市や町である。鉄道から離れたことで衰退した旧宿場町があるが、自動車交通の発達により、交通の要地として復活したところもある[43]

大都市制度・拠点都市

人口が10万人以上の市は前橋・高崎・桐生・伊勢崎・太田の5市で、前橋・高崎は中核市に、伊勢崎・太田は特例市となった。平成の大合併以前の市で、新設合併・編入合併を行わなかったのは、館林のみである。「前橋・高崎」、「桐生」、「太田・館林」の3区域が首都圏整備法の都市開発区域に指定され、当区域に業務・教育・文化・産業などの諸機能の集積を進め、地域の中心都市として育成・整備することで、対流型首都圏の構築が図られている。また、「前橋・高崎」、「東毛」の2地域が地方拠点法の地方拠点都市地域に指定され、前橋・高崎の2市が前橋・高崎地域の中心都市に、桐生・太田・館林の3市が東毛地域の中心都市に指定されている。

DID人口比率

江戸時代に小藩が分立していたため、東京都市圏のある南関東と比べて大きな人口集積地域はみられない。特に伊勢崎市や太田市は周辺農地の転用住宅地が散在しているため、総人口に対するDID人口比率が50パーセントを下回っており、人口規模に見合ったような中心市街地を持たないことが特徴である。2015年平成27年)国勢調査でのDID人口比率が50パーセント以上の市町村は、前橋・高崎・桐生・館林・大泉の5市町である。

さらに見る 市町名, 平成27年国勢調査 総人口・DID人口 ...
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政治

県政

歴代知事(公選)

財政

2004年(平成16年)度
  • 財政力指数 0.49
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中1位
2005年(平成17年)度
  • 財政力指数 0.51
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)10自治体中10位
2006年(平成18年)度
  • 財政力指数 0.54
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位
2007年(平成19年)度
  • 財政力指数 0.59
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位

国政

衆議院小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。

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対外関係

経済・産業

要約
視点

群馬県内には、国税庁「法人番号公表サイト」に登録されている企業だけでも約5万5,000社存在する。「法人番号公表サイト」に登録されている県内企業のうち、企業名の冒頭に付く言葉(冒頭3音以上)で最も多かったのは、731社の「ぐんま」(片仮名・漢字表記含む)で、270社で2位の「にほん」、263社で3位の「かんとう」に大差をつけた。全体的な傾向として、所在地名や経営者名が上位となっている(2018年(平成30年)1月19日現在)。関東7都県のうち、所在地の都県名を企業名の冒頭に付ける割合は群馬県が1.3%で首位となった。背景には地名や名字など具体的な社名を好む県民性や郷土愛の高さがあると考えられる。[45][46]。 しかし一方では都道府県愛着度ランキングなどの各種調査では常に30~40位代を推移しており、決して高いとは言えない。

第一次産業

東京まで約100㎞-200kmの距離にあり首都圏の消費地に近く、関越自動車道を始めとする高速道路の整備も充実していることから、野菜の生産が盛んである。2020年の生産額は約1000億円で全国6位、関東地方では茨城県と千葉県に続く3位となっている。ホウレンソウの生産量は第一位であるほか、キャベツキュウリも上位に入る年が多いことで有名。県内の耕作地の標高は100m-1500m程度まで幅があるとされ、嬬恋村や昭和村などの山間部では冷涼な気候を利用した抑制栽培により収穫時期を他産地とずらすことで大きな利益を上げている。変わったとことではコンニャクの原料となるコンニャク芋の生産量は国産の約9割を占め、県の北部や西部を中心に一面のコンニャク畑が見られる。関東ローム層などの火山灰土壌が多くコメは広く知られたブランドが存在しないが(県独自の品種としてゴロピカリがあったが、より高温に強い品種への転換が進んでいる)、穀物ではコムギの生産が有名で東部を中心にコメとの二毛作を行っている。畜産は特にブタが盛んで飼育頭数も全国上位に入るほか、乳牛も比較的多い方である。

果樹では特にウメの生産が有名で和歌山県に次ぐ生産量を誇る。観梅では秋間梅林安中市)、榛名梅林(高崎市)、箕郷梅林(同)が県の三大梅林とされており、実の産地もこの2市が多い。沼田市を中心とする北部ではリンゴの栽培が多い。かつては養蚕も盛んであったことからカイコの餌となるクワの栽培も県内で広く行われており、幹の高い位置から伐採し台刈萌芽による独特な樹形をしたクワ畑が各地で見られたが蚕糸の衰退とともに激減し、多くがほかの作物や住宅工場用地に転用され姿を消した。

森林面積は42万haで県の面積の2/3に達し、関東では最も多いとされる。民有林と国有林、人工林と天然林の割合は共にほぼ半々、竹林が全面積の5%を占める[47]。人工林の主力樹種はスギ次いでヒノキである。カラマツもヒノキと同程度の面積に植栽されているが高地に多い。県の木はクロマツ。かつて薪の採取や採草地として火入れの結果禿げ山・草山だった赤城山において治山のために用いられたことに由来するという[48][出典無効]。クロマツは一般に内陸には少なく前橋周辺でも敷島公園などはアカマツばかりであるのにクロマツを用いたのは諸説ある。赤城山緑化の関係者の一人に麓の富士見村出身の船津伝次平がいる。

内陸県でありウグイアユウナギドジョウフナコイタニシなどの淡水魚介類を食べる文化があったが、物流の発達による新潟県などからの海産魚介類の流通、刺身寿司などの生食文化の流行、農薬汚染等による淡水魚食へのイメージダウンなどより変化が見られる。特に特産のカイコの蛹を利用したコイの養殖は有名で、1970年代の最盛期には3,800トンの生産量があった。2020年代でもコイは養殖業の中心ではあるが、生産量は80トン余りと1/50の量になっている。コイと共に力を入れているのがニジマスで既に生産量はコイを上回っており140トン程度。

第二次産業

太田市伊勢崎市北関東工業地域の工業都市である。工業は明治の富岡製糸場富岡市)に始まり、大正から昭和にかけては戦闘機爆撃機の生産で知られた中島飛行機太田市)が有名。中島飛行機は戦後はGHQにより解体されたものの、主だった部門は富士重工業(現在のSUBARU)と名前を変え、本社こそ東京に移ったものの主力工場を県内に置きスクーター自動車バスを中心に生産して県内の経済をけん引した。2000年以降も県内の工業生産額は南東部の太田市、伊勢崎市、桐生市などが高い。

鉱業は各地で行われていたものの、多くが閉山・廃業した。2020年代でも残るのはベントナイト(富岡市)および石灰石神流町)などでともに露天掘りで採掘している。また、草津温泉では湯畑の湯樋から硫黄などを含む湯の花を採取しており、土産用の入浴剤などとして販売されている。草津周辺はかつては商業用の硫黄鉱山も点在したがすべて閉山した。ほかに渡良瀬川流域(桐生市、みどり市)などでマンガン六合村では鉄分を含むコケや細菌が堆積した地層から露天掘りで鉄(群馬鉄山)、高崎市の観音山周辺は亜炭が採取されていた。 加工では東邦亜鉛安中工場が信越本線安中駅に隣接して存在するが、ここでは亜鉛の精製のみを行っており原料の鉱石は貨物列車によって福島県から輸送される。1930年代の操業開始以降、周辺で煙害カドミウム廃液の垂れ流しによる環境破壊と健康被害が起こり安中公害訴訟に発展した。製油所は県内にないものの、油槽所倉賀野駅(高崎市)に隣接して存在し、ガソリン軽油神奈川県や千葉県から貨物列車によって輸送されてくる。

第三次産業

電力分野では山間部に水力発電所が多数立地し、県内はもとより首都圏の電力需要を支えている。施設の所有者は東京電力のほか県が所有する県営の発電所も多い。火力発電は大規模なものは立地しないが、石炭・石油燃焼型ではないごみ焼却場併設型や木質バイオマス発電などはいくつかある。2010年代以降は太陽光発電も増えており山の斜面を切り開く形での設置も多い。

運輸は明治時代までは利根川水系の各河川を利用した水運が盛んであった。明治以降は生糸の輸出などの国策もあり、国内でも早い時期に鉄道が整備され1884年には高崎駅、前橋駅から東京方面への鉄道が開通し県内の水運は衰退していった。中山道三国街道の分岐点、西部の河川が合流し江戸時代から人流物流の要衝とされた高崎市付近は鉄道においても要衝とされた。高崎駅には各方面からの鉄道が集まり、利根川右岸を代表する商業都市としてさらに発展した。2020年代現在でも高崎には県内最大の貨物駅があり、県内唯一の機関区を持つなど鉄道による物流の拠点となっている。また旅客乗降者数も高崎駅が県内で最も多い。利根川左岸や渡良瀬川沿いの都市(前橋、伊勢崎、桐生、太田、舘林)も各地への路線が集まるが、高崎の規模にはならなかった。

群馬県に本社を置く企業

ベイシアグループのうちカインズ(カインズホーム)は埼玉県本庄市に移転

群馬県と関係の深い企業

このほかにも三国コカ・コーラ群馬工場・キリンビール高崎工場・日本たばこ産業高崎工場(いずれも高崎市)があったが、事業再編リストラクチャリングにより撤退した。

県内の主な大型商業施設

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災害・防災

記録に残っているもののうち、自然災害を中心に県内で特に人的・物的被害が大きかったものを記載する。群馬県では災害対策基本法第40条に基づき群馬県地域防災計画を定めており、気象警報や被害が出た場合の対応、避難誘導、罹災証明書の発行などの手順が記載されている[49]

水害および土砂災害で特に被害が大きかったのは1947年(昭和22年)9月のカスリーン台風で、土石流が多発した赤城山周辺を中心に県内で600人近くが死亡した。この2年後のキティ台風も40人以上の死者を出している。西毛の山間部からの河川が集まる高崎市付近は水害が多く、明治43年の大水害や昭和10年の大水害などは特に被害が大きかった。干害は江戸時代や明治時代には記録があるものの、ダム・頭首工(取水堰)・農業用水路や水道の整備などによって昭和以降は激減し、県内ではほぼ発生しなくなっている。

火山災害では県内及び近隣県に所在し活動が活発な草津白根山浅間山が特に警戒されている。1783年(天明3年)に起きた浅間山の天明大噴火では、現在の嬬恋村などが甚大な被害を受けた。また、上毛三山のうち妙義山を除く榛名山赤城山は、ここ数百年の活動が鈍いBランクおよびCランクではあるが活火山であるとされている。

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生活・交通

要約
視点

警察

交通

高速道路

一般国道

主要県道・一般県道

鉄道

Thumb
高崎駅(西口)
Thumb
前橋駅(北口)
Thumb
伊勢崎駅(南口)
Thumb
桐生駅(北口)
Thumb
太田駅(北口)
Thumb
館林駅(東口)

路線バス

空港

県内にヘリポート及び自衛隊の基地は存在するものの、空港は存在しない。最寄の空港は新潟県の新潟空港である。

サイクリングロード

  • 高崎伊勢崎自転車道線 42.5km 高崎市浜尻町 - 伊勢崎市若葉町
  • 桐生足利藤岡自転車道線 38.4km 桐生市錦町 - 栃木県藤岡町
  • 玉村渋川自転車道線 35.0km 玉村町五料 - 渋川市金井
  • 桃ノ木川サイクリングロード 13.5km 前橋市下小出町 - 前橋市駒形町
  • 広瀬川サイクリングロード 4.4km 伊勢崎市宮子町 - 伊勢崎市若葉町
  • 井野川(ホタルの里)サイクリングロード 5.9km 高崎市浜尻町 - 高崎市保渡田町
  • 烏川・榛名白川サイクリングロード 4.2km 高崎市上並榎町 - 高崎市沖町
  • 早瀬川サイクリングロード 3.8km 高崎市大八木町 - 高崎市楽間町
  • 烏川・碓氷川サイクリングロード 2.6km 高崎市聖石町 - 高崎市乗附町
  • 粕川サイクリングロード 3.3km 伊勢崎市華蔵寺町 - 伊勢崎市下植木町
  • 蛇川(石田川)サイクリングロード 12.1km 太田市古戸町 - 太田市寺井町
  • 薄根川サイクリングロード 3.5km 沼田市柳町 - 沼田市薄根町
  • 烏川・神流川サイクリングロード 7.1km 高崎市新町戸崎 - 藤岡市根岸
  • 鮎川サイクリングロード 4.2km 藤岡市上大塚 - 藤岡市中
  • 高田川サイクリングロード 11.5km 富岡市黒川 - 富岡市妙義町菅原
  • 碓氷川サイクリングロード 9.8km 安中市板鼻 - 安中市中後閑
  • 胡桃沢川サイクリングロード 4.0km 中之条町中之条 - 中之条町五反田
  • 草津サイクリングロード 2.2km 草津町草津
  • 早川サイクリングロード 12.0km 太田市阿久津町 - 伊勢崎市境上渕名

医療・福祉

災害拠点病院

保育所

教育

大学

国立

公立

私立

短期大学

私立

通信制大学

私立

高等専門学校

国立

専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
外国人学校

マスメディア

新聞

地方紙

全国紙

テレビ局

県域放送群馬テレビ(GTV)・NHK前橋放送局が所在している他、放送対象地域が関東広域圏(東京都墨田区に本局を置き、関東地方全域を放送エリアとするキー局)である教育テレビ在京キー局5局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビ東京フジテレビ)が前橋中継局をはじめ県内各地に中継局を設置している。また県南東部の関東平野では放送対象地域外のNHK東京総合テレビ(JOAK-DTV)が受信エリアのめやすとなっている[50]

ラジオ局

県内に地元AMラジオ局は存在しない。関東広域放送の在京AM3局(TBSラジオ文化放送ニッポン放送)の放送対象地域になっており、radikoでは3局に加えInterFM897、東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県域局のラジオ局も聴取可能である。

FMラジオ局(県域局)

コミュニティFM

ケーブルテレビ

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文化・スポーツ

要約
視点

方言

食文化

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ひもかわ
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水沢うどん
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おっきりこみ
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だるま弁当
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鳥めし
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みなかみダムカレー

郷土料理

食文化 群馬県は二毛作による小麦の栽培が発達していたため、うどん、焼きまんじゅうなど、小麦粉を使った名物料理が多い。

銘菓

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焼きまんじゅう
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湯の花饅頭
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磯部せんべい
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スバル最中
  • 焼きまんじゅう(県内各所)
    • 焼きまんじゅうジェラート(前橋市 バロン、桐生市 ミラノ)
  • 旅がらす(前橋市 旅がらす本舗清月堂)
  • 鶴サブレー(前橋市 バロン)
  • 七福神あられ(前橋市 幸煎餅)
  • ぐんまちゃんパン(前橋市 アジアパン)
  • こんにゃく大福(前橋市 丸大オヲツヤ商店)
  • ラスク(高崎市 ガトーフェスタ・ハラダ
  • 花パン(桐生市 小松屋、辰見屋、日盛堂など)
  • からっ風カリン(桐生市 青柳)
  • ノコギリ屋根サブレ(桐生市 青柳)
  • 栗まんじゅう(桐生市 藤掛屋)
  • アイスまんじゅう(桐生市 シロフジ)
  • 帯羊羹(桐生市 舟定)
  • ねりきりぐんまちゃん(桐生市 舟定)
  • スバル最中(太田市 伊勢屋
  • 六連星サブレ(太田市 伊勢屋)
  • くるみゆべし(沼田市 つるまい本舗)
  • 麦落雁(館林市 三桝家總本舗)
  • 湯の花饅頭(渋川市伊香保町 勝月堂、田中屋、大黒屋、寿屋、花いちもんめ、清芳亭など)[51]
  • 鬼サブレ(藤岡市 虎屋本店)
  • 瓦せんべい(藤岡市 虎屋本店)
  • かいこの王国(藤岡市 丸エイ食品)
  • たまごまんじゅう(藤岡市 成田屋)
  • まゆこもり(富岡市 田島屋)
  • 磯部せんべい(安中市 大手製菓、名月堂、栄泉堂など)
  • 遠足ポテト(安中市 富士屋)
  • 生クリーム大福(安中市 丸田屋総本店)
  • 温泉饅頭(草津町 本家ちちや、富貴堂、松むら饅頭など)
  • ぐんまちゃんロールケーキ(玉村町 福嶋屋)

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品

伝統工芸品

名産品

スポーツ

公営競技

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伊勢崎オートレース場

かつては全ての公営競技場が揃った県であった。

観光

名所・旧跡

祭事・催事

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桐生八木節まつり

温泉

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草津温泉
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伊香保温泉
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水上温泉
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四万温泉

群馬県を舞台とした作品

人物

群馬県名誉県民

脚注

関連項目

外部リンク

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