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野波麻帆

日本の女優 ウィキペディアから

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野波 麻帆(のなみ まほ[1]1980年昭和50年〉5月13日[1][2] - )は、日本女優スタイリストDJ東京都出身[1]東宝芸能所属。

概要 のなみ まほ 野波 麻帆, 生年月日 ...
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略歴

1996年(平成8年)、第4回東宝「シンデレラ」オーディションでグランプリを受賞したことを契機に芸能活動を始める[3][1]

1997年(平成9年)、『寿司、食いねェ!4』でテレビドラマに、『モスラ2 海底の大決戦』で映画にそれぞれ初出演[3][1]。1998年(平成10年)、『愛を乞うひと』で国内の各新人賞と各助演女優賞を多く受賞した。2001年(平成13年)には『案山子 KAKASHI』で映画初主演。2002年(平成14年)からは『こちら本池上署』シリーズに中井あずさ役でレギュラー出演した。共演した知念里奈とはこれがきっかけで親友となった。

大のファッション好きとしても知られ、それが高じて、2007年(平成19年)、友人であるYOON(m-floVERBALの妻)とThe Othersというユニット名でスタイリストデビューした。同じ事務所の長澤まさみなどのスタイリストをしている。また、The OthersとしてDJ活動も行うなど、女優業以外にも様々な活動を行う。

2009年(平成21年)、『セレぶり3』で連続テレビドラマ初主演。2010年(平成22年)のテレビドラマ『モテキ』ではヒロインの1人を演じた。2013年(平成25年)の映画『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』ではヌードになってベッドシーンを演じている[4][5]

2016年(平成28年)、夫と共に子供服ブランド「himher」を立ち上げた[6]

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人物

東宝シンデレラへの応募に際し、高校1年生の2学期に芸能活動が禁止であった立教女学院高等学校から芸能コースのある堀越高等学校に転校した[3]。野波は、女優になりたかったため同オーディションに人生をすべてかけたと述べているが、その後振り返りグランプリになっていなかった場合を考えていなかった自身の大胆さに恐れを感じたという[3]

映画『モスラ2 海底の大決戦』に出演した際、野波は気持ちを伝えるために動作をつけるのが芝居をすることだと考えていたが、監督の三好邦夫からセリフで感情を表すところと雰囲気や表情だけで感情を表すところのめりはりの付け方を指示され、自身との考えの違いに戸惑った[3]。しかし、三好から参考にするよう勧められた宝塚のビデオを観て、非日常的な演技や腹式呼吸から来るセリフの話法が理解できたという[3]。野波について三好は、映画初出演で苦労した部分もあったが芝居心があり、高校生としては大人っぽい感じであったと述べている[7]。衣裳デザインを担当した本谷智子は、野波は補正の必要がなく衣裳の作りがいがあるスタイルであったといい、その完璧なプロポーションが衣裳に豪華さを与えていたと評している[8]

デビュー当時は、目標とする女優に田中美佐子を挙げていた[3]

私生活

2012年(平成24年)12月上旬、俳優の水上剣星結婚[9]。2013年6月29日に第1子女児[10]、2015年(平成27年)9月16日に第2子女児を出産した[11]

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出演

映画

短編映画

  • 短編オムニバス映画 GEMNIBUS vol.1『knot』(2024年)[18]

テレビ

連続ドラマ

ゲスト出演

単発ドラマ

その他テレビ番組

DVDドラマ

WEB配信

ドラマ

その他

ラジオドラマ

舞台

プロモーションビデオ

CM

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写真集

  • 『CYAN シアン』(1998年、写真:田村玲央奈東宝出版)
  • 月刊 野波麻帆』(1999年、写真:平間至新潮社ISBN 4107900649
  • 『恋少女』(2000年、写真:荒木経惟マガジンハウス
  • 『脱輪』(2001年、写真:藤代冥砂角川書店

デジタル写真集

  • 『KILLER QUEEN』(2010年、写真:宮澤正明、image.tv グラビアNet 2010年9月号)

脚注

参考文献

外部リンク

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