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1969年の読売ジャイアンツ
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1969年の読売ジャイアンツ(1969ねんのよみうりジャイアンツ)では、1969年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の9年目のシーズンであり、V9の5年目のシーズンである。このシーズン限りで、400勝投手の金田正一が引退した。
概要
セ・リーグ4連覇中の巨人は、序盤は勝率5割前後を行ったり来たりで、5月終了時点で貯金3に留まった。しかし、その間に首位阪神は首位を固めることができず、巨人が6月に入って13勝6敗1分と勝ち越してチーム状態を復調させて首位に浮上。8月には4連敗を喫して13勝11敗2分で足踏みしたが阪神や大洋とのゲーム差を広げて、最後は5連覇を達成した。日本シリーズではパ・リーグ3連覇をした阪急と3年連続で対戦し、第4戦に誤審騒動があったものの4勝2敗で日本一に輝いた[2]。戦力としては、それまで前年の7勝が最高であった5年目の高橋一三がこの年に22勝と急成長した。投手陣は高橋一の22勝をはじめ、堀内恒夫がチーム2位の14勝、渡辺秀武と高橋明がそれぞれ10勝をあげたが、チーム防御率は前年と横ばいの3.31の5位。打撃陣は王貞治・長嶋茂雄・柴田勲の活躍もあり147本塁打はリーグ1位で、89盗塁もリーグ2位を記録し、失策もリーグ1位の83失策と守備も鉄壁だった。対戦成績では4位中日に17勝8敗1分、5位アトムズに16勝10敗と両球団から大きく勝ち越した。なお、7月3日の阪神戦で先頭打者の柴田が4番を打つ珍記録を残している(巨人キラーの江夏豊対策のため。この試合は巨人が柴田・王の本塁打で江夏をKOした)。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 左 | 高田繁 |
---|---|---|
2 | 二 | 土井正三 |
3 | 一 | 王貞治 |
4 | 三 | 長嶋茂雄 |
5 | 中 | 柴田勲 |
6 | 右 | 末次利光 |
7 | 捕 | 森昌彦 |
8 | 投 | 金田正一 |
9 | 遊 | 黒江透修 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 73 | 51 | 6 | .589 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 68 | 59 | 6 | .535 | 6.5 |
3位 | 大洋ホエールズ | 61 | 61 | 7 | .500 | 11.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 14.0 |
5位 | アトムズ | 58 | 69 | 3 | .457 | 16.5 |
6位 | 広島東洋カープ | 56 | 70 | 4 | .444 | 18.0 |
日本シリーズ
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個人成績
主な投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
主な打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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オールスターゲーム1969
→詳細は「1969年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
7月
10月
- 10月9日 - 読売新聞社の正力松太郎社主が死去。
- 10月9日 - 対中日戦(後楽園球場)に勝利し、5年連続セ・リーグ優勝達成。
- 10月10日 - 金田正一が対中日戦の5回表に登板し、勝利投手となり通算400勝を達成。
- 10月18日 - 王貞治が史上2人目の通算400号本塁打達成。
- 10月30日 - 日本シリーズの第4戦が行われる。4回、土井正三と王貞治のダブルスチールし、土井が本塁へ突入、阪急・岡村浩司捕手が阻止したかに見えたが、岡田功主審の判定はセーフ。これに激怒した岡村捕手は岡田主審を殴って退場処分となる(シリーズ初)。
- 10月31日 - 前日行われた日本シリーズの「土井の本塁突入」場面の写真が各スポーツ新聞に掲載、土井の左脚が本塁を踏んでいたことが判明、岡田主審の判定が正しかったことがわかった。
11月
- 11月2日 - 日本シリーズの第6戦が行われ、巨人が阪急に勝利し5年連続日本一達成。
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選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1969年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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