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1990年のオリックス・ブレーブス

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1990年のオリックス・ブレーブス
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1990年のオリックス・ブレーブスでは、1990年のオリックス・ブレーブスにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年のオリックス・ブレーブスは、第2次上田利治監督体制の10年目(通算15年目)のシーズンである。キャッチフレーズは「Be パワフル!! ビッグなチャレンジ'90」。

概要

ブーマー・ウェルズ門田博光石嶺和彦といったブルーサンダー打線の活躍で前年2位に躍進したチームはこの年も優勝候補にあげられ、5月まで貯金9を記録するなど6年ぶりの優勝を期待された。6月以降は西武の8連敗などで一時は0.5ゲーム差に迫るものの、西武の復調後はゲーム差を広げられた。夏場以降は前年優勝の近鉄日本ハムとの2位争いに終始。8月には4位に転落したものの、シーズン終盤は持ち直して最後は2位で終了。投手陣では前年同様山沖之彦星野伸之が先発陣の軸となり、ガイ・ホフマンドン・シュルジーもまずまずの成績を残したがそれ以外のリリーフ投手が不調に終わり、チーム防御率は4.30でリーグ4位だった。打撃陣では4番のブーマーが自打球を当てて欠場するハプニングがあったが、チーム本塁打は186本とブルーサンダー打線は健在だった。この年は福岡2年目のダイエーに22勝3敗1分、5位のロッテには16勝9敗1分とそれぞれ勝ち越したが、優勝の西武に9勝16敗1分と負け越した。山沖・星野といった投手陣の二枚看板に加えて門田、石嶺、藤井康雄らブルーサンダー打線の破壊力で優勝を期待されながらも救援陣の不調で2位に終わったこともあり、シーズン終了後「ブレーブス」の愛称消滅とともに上田監督は勇退した。担当記者たちははじめ後任には二軍監督の福本豊が最有力だと思っていたが[1]巨人OBの土井正三を迎え、チームの再構築が始まることになる。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/8, 5/1 ...

[2]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1990年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位西武ライオンズ81454 .643優勝
2位オリックス・ブレーブス69574 .54812.0
3位近鉄バファローズ67603 .52814.5
4位日本ハムファイターズ66631 .51216.5
5位ロッテオリオンズ57712 .44525.0
6位福岡ダイエーホークス41854 .32540.0
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個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 登板 ...

打撃成績

  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 試合 ...
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1990 サンヨー オールスターゲーム

さらに見る ポジション, 名前 ...
  • 太字はファン投票で選ばれた選手。

できごと

9月

  • 9月10日 - 門田博光がメジャーリーグでも前例の無い、日本プロ野球初の40歳代でシーズン30本塁打を記録[3]

10月

12月

選手・スタッフ

[5]

  • 背番号変更
    • 南牟礼豊蔵 32→0
    • 二宮正己 56→22
    • 山本和男 45→79
  • 登録名変更
    • 山森眞幸→山森雅文

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー, 選手名 ...
さらに見る ベストナイン, 選手名 ...

ドラフト

さらに見る 順位, 選手名 ...

脚注

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