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1990年の福岡ダイエーホークス

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1990年の福岡ダイエーホークス
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1990年の福岡ダイエーホークスでは、1990年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年の福岡ダイエーホークスは、田淵幸一監督の1年目のシーズンである。

概要

田淵監督はヘッドコーチに黒田正宏、打撃コーチに大田卓司、スコアラーに豊倉孝治を招聘した。大きな期待の中でスタートを切ったのも束の間、ドラフト会議で1位指名した元木大介に早々と入団を拒否され、いきなりつまずくとシーズンにおいても開幕4連敗を喫するなど低迷し、4月28日に早くも最下位に転落。さらに助っ人のウィリー・アップショートニー・バナザードが田淵監督と衝突し相次いで退団、急遽獲得したリッチ・ゴセージはMLB通算307セーブの片鱗を見せることができず、先発投手陣も2桁勝利ゼロに終わり、チーム防御率は5年ぶりに5点台まで落ち、打撃陣も両外国人の退団もありチーム本塁打が116本まで落ち込み、チーム打率も.251で12球団最下位に転落するなど誤算が相次いだ。特に2位のオリックスと相性が悪く、4月10日から1分を挟んで7連敗。6月6日の試合でようやく初勝利も3連敗、1つ勝って7連敗で20回戦時点でわずか2勝、さらにビジターで同一カード12連敗と散々で最終的に3勝22敗(1分)の惨敗で、26回戦中8試合で2ケタ失点と投手陣もボロボロだった。チーム防御率5.56は12球団ワースト。結局、田淵監督の1年目は優勝の西武から40ゲーム差を付けられ、5位のロッテにも15ゲーム差を付けられて最下位という惨憺たる結果に終わった。この年の勝利数(41)、敗北数(85)、勝率(.325)はいずれも2リーグ分立以降、2022年終了時点で球団ワースト記録である。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/8, 5/1 ...

[1]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1990年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位西武ライオンズ81454 .643優勝
2位オリックス・ブレーブス69574 .54812.0
3位近鉄バファローズ67603 .52814.5
4位日本ハムファイターズ66631 .51216.5
5位ロッテオリオンズ57712 .44525.0
6位福岡ダイエーホークス41854 .32540.0
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オールスターゲーム1990

  • 選出選手
さらに見る ポジション, 名前 ...
  • 取消線は出場辞退。

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 登板 ...

打撃成績

  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 試合 ...
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できごと

  • 5月9日 - 間柴茂有が通算500試合登板を達成、この後に引退して二軍投手コーチとなる。
  • 6月5日 - オリックス戦で松永浩美に続いて、1回裏に松林和雄が両軍先頭打者本塁打を記録。
  • 6月11日 - ウイルソン外野手が解雇。
  • 6月15日 - 山内和宏と中日・杉本正、高島覚投手のトレード成立。
  • 6月16日 - 山本和範が通算100本塁打を達成。
  • 6月29日 - ゴセージと契約。
  • 7月7日 - 藤本博史がサイクル安打を達成。
  • 9月26日 - オリックス戦(阪急西宮球場)で広永益隆山沖之彦から日本プロ野球通算6万号本塁打を記録[2]
  • 10月28日 - 監督田淵幸一がセレクション会議に提出する他球団リストを公表、球団は厳重注意、減俸10%の処分を科した[3]
  • 12月7日 - オリックスの門田博光がダイエーに移籍[4]。 

選手・スタッフ

[5]

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー ...
さらに見る ベストナイン, ゴールデングラブ賞 ...

ドラフト

さらに見る 順位, 選手名 ...

出典

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