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麻績村

長野県東筑摩郡の村 ウィキペディアから

麻績村map
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麻績村(おみむら)は、長野県東筑摩郡

概要 おみむら 麻績村, 国 ...
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冬の聖山
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冬の麻績村
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地理

長野県のほぼ中央(中信)の筑摩山地の北寄りに位置する高原の村である[1]。村は山岳地帯にあり、北端の聖高原、南端の四阿屋山、東端の一本松峠等はいずれも1,000 mを超す地点となっている[1]

江戸時代には松本藩預かりの天領で、北国脇往還の宿場町(麻績宿)であった[1]

村内には聖山(ひじりやま)があり、越後の高僧であるがこの山を修行山としたことが名前の由来であり、その後もいくつかの寺院が建立された。

隣接する自治体

歴史

行政

所轄広域連合

所轄警察署

所轄消防署

村政

村長
塚原勝幸 2022年1月16日就任、1期目

議会

村議会

  • 議長:塚原義昭(2019年10月2日就任)
  • 定数:8人(任期 2021年9月30日まで)

県議会

2021年長野県議会議員補欠選挙
  • 選挙区:松本市・東筑摩郡選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2021年10月31日
  • 当日有権者数:214,076人
  • 投票率:55.56%
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2019年長野県議会議員選挙
  • 選挙区:松本市・東筑摩郡選挙区
  • 定数:7人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:212,935人
  • 投票率:43.93%
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衆議院

さらに見る 当落, 候補者名 ...
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人口

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麻績村と全国の年齢別人口分布(2005年) 麻績村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 麻績村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
麻績村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 4,512人
1975年(昭和50年) 4,159人
1980年(昭和55年) 4,016人
1985年(昭和60年) 3,805人
1990年(平成2年) 3,622人
1995年(平成7年) 3,499人
2000年(平成12年) 3,347人
2005年(平成17年) 3,204人
2010年(平成22年) 2,970人
2015年(平成27年) 2,788人
2020年(令和2年) 2,593人
総務省統計局 国勢調査より
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地域

教育

小学校

中学校

交通

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聖高原駅

鉄道路線

バス

道路

  • E19長野自動車道
  • (6) 麻績インターチェンジ
一般国道
主要県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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聖博物館
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麻績神明宮
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福祉センター みたらしの湯

聖高原別荘地

1962年地方自治体としては例をみない地上権方式で別荘地の開発・分譲を始めた。村と賃貸借契約を締結して固定資産税の代わりに地代を納入する。閑静な高原を存続するため立木はなるべく伐採しないで別荘を建てることとした。聖山東方の聖高原の村有地300ha余りで、現在約1700区画(内別荘建築は約400件)ある。全域に道路、水道、電気、電話の引き込みがあり、別荘地の管理は株式会社聖高原管理センターが行っている。

合併からの離脱

平成の大合併が日本全国で進む中、麻績村も同郡内の「筑北地方」と呼ばれる本城村・坂北村・坂井村の近隣三村(現:筑北村)との対等合併の協議が進められていた。そして2002年には任意合併協議会が始まり、足掛け2年以上をかけた協議がほぼ終了し、後は調印するだけとなっていた。

ところが調印を翌月に控えた2005年9月12日に麻績村役場で記者会見が開かれ、麻績村長の依田政人(当時)により法定協議会からの離脱が表明された。この時の内容については麻績村公式サイト内の「村からのお知らせ」で公開されている。突然の合併離脱の発表に対し、三村だけでなく麻績村内でも大きな波紋が広がり、有志による質問状も出されている。(前述のサイト内で公開)

この決断の背景には、当時県内の市町村で三番目に低い公債費比率(8.6%)と健全な財政を維持していた麻績村と三村での財政格差による合併後の財政面での負担の可能性もさることながら、本城村が事前協議を経ないまま合併前の駆け込み事業を進めてしまったことが合併離脱の決定的要因とされている(読売新聞の記事)。また合併後の町名について、麻績村が望む「聖町」が住民アンケートで「筑北町」に僅かに及ばず、共に過半数に達していないことから二案による再アンケートを求めるも、三村の賛成多数で「筑北町」に決定したことも大きな影響を与えている。

尚、麻績村も含めて四村での合併が成立した場合には「」として発足する予定だったが、最も人口の多い麻績村(約3千人)の離脱により、町制施行に関する人口要件(長野県の場合、八千人以上)を満たすことが出来なくなり、結局三村合併後(約六千人)も「村」のままとなってしまうことになった。

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脚注

関連項目

外部リンク

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