『奇兵隊』(きへいたい)は、1989年12月30日・12月31日に日本テレビで放映された『日本テレビ年末時代劇スペシャル』の第5作である。 『平成』では初の回。
概要 年末時代劇スペシャル奇兵隊, ジャンル ...
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これまでの本シリーズの各作品で主演、および準主演を務めた里見浩太朗に代わり、本作は松平健が主演を務めている。
映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』を視聴したスタッフのオファーにより武田鉄矢が特別出演している。他にも中村雅俊や高橋英樹が特別出演し、山岡久乃も友情出演している。
脚本も、従来の本シリーズに参加していた杉山義法に代わって、本シリーズでは唯一、野上龍雄が担当している。
1986年の『白虎隊』から前年の『五稜郭』までは、22時前にNNNニューススポット・あすの天気(系列局は各地のニュース・天気予報・おしらせ・交通情報。新春番組の案内など)をはさんで放送していたが、本作第一部はニュース後の21時から放送し、第二部も19:54[1]に放送したため、中休みの時間がなくなり、一気に鑑賞が可能になった。
本作第一部の放送された12月30日において、クロスネット局および、土曜22時以降のローカル枠に他系列の番組を編成していた局における本作のネット状況は以下の通り(系列は当時のもの。特記のない場合は日本テレビ系単独加盟局)。
- 土曜22時以降の通常編成はテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』を放送していたが、本作第一部を優先したため、『土曜ワイド劇場』は31日13:00 - 15:30に放送された。
- RAB同様、土曜22時以降の通常編成は『土曜ワイド劇場』を放送していたが、本作第一部を優先したため、『土曜ワイド劇場』は30日14:00 - 16:30に先行放送された[1]。
- 山形放送(YBC、テレビ朝日系列とのクロスネット局)
- RAB・ABSとは異なり、30日の21時台は単発番組で穴埋めし[2]、22時から通常編成で『土曜ワイド劇場』を放送したため、第一部は31日15:00 - 17:55に放送された。
- 両局とも、21時以降は通常編成でテレ朝系同時ネット枠として『土曜ワイド劇場』を放送したため、第一部は31日14:00 - 16:55に放送された。
- 両局とも、21時以降は通常編成でフジテレビ系同時ネット枠[4]として『ゴールデン洋画劇場』枠で1987年公開の映画『吉原炎上』を放送したため、第一部はTSB・TOS同様に、31日14:00 - 16:55に放送された。
- テレビ宮崎(UMK、フジテレビ系列メインでテレビ朝日系列とのトリプルネット局[3])
- KTN・KTS同様に、21時以降は通常編成でフジテレビ系同時ネット枠[4]として『吉原炎上』を放送したため、第一部は31日12:00 - 14:55に放送された。
いずれも、31日放送の第二部に関してはキー局同時ネットで放送されたため、第二部は当時の日本テレビ系列全29局[3][5]での同時ネットとなった。これにより、YBC・TSB・KTN・TOS・UMK・KTSの各局では、31日に第一部と第二部の両方が放送された。
- YBCの当時の日曜19:00- 23:00の通常編成はテレ朝系同時ネット枠[6]だったが、31日の19時台は30分枠の単発番組2本[7]で穴埋めし、20時からは第二部をキー局同時ネットで放送した[8]。
- 日曜21:00 - 23:00の通常編成がYBC同様にテレ朝系同時ネット枠だったTSB[6]、日曜21:00 - 22:30の通常編成がフジ系同時ネット枠だったKTS[9][10]の2局とも、そのまま21時台以降も今作第二部を引き続き放送した。
クロスネット局含めて、日本テレビ系列局の存在しない沖縄県では、琉球放送(RBC、TBS系列局)が約1年遅れで1990年12月28日(金)の16:00~17:55に第一部、翌29日(土)の12:00~16:30に第二部を放送したが、同局での放送分は本放送版とは編成が異なり、前編は約2時間枠、後編は約4時間半枠での放送となった。
- 第一部「京洛の花に舞う-決起の章-」
- 安政の大獄から2年後の文久2年(1862年)、大獄で処刑された吉田松陰の松下村塾に学んだ長州藩の若者たちは、尊王攘夷を実行すべく政治活動を行っていた。だが、当時長州藩は長井雅楽指導の下、藩論はまるで逆の開国となっていた。そんな中、松下村塾系の若者高杉晋作は、幕府が派遣した使節に随行し、上海の地を訪れ、欧米列強に支配される現地人の哀れさを痛感する。帰国後、周布政之助や桂小五郎(のちの木戸孝允)の周旋により長井は失脚。高杉は仲間の久坂玄瑞・井上聞多(のちの井上馨)・伊藤俊輔(のちの伊藤博文)らとともに建設中の英国公使館を焼き討ち。また将軍上洛工作などに関わり、尊王攘夷を推し進めていく。
- 孝明天皇の命を受けた幕府は、やむを得ず文久3年5月10日を期限に攘夷の実行を約束するが、京都で尊王攘夷のかけ声を元に狼藉の限りを尽くす不逞浪士の乱行を目にした高杉は失望し、突如出家して「東行」と名乗り、故郷へ帰ってしまう。また井上と伊藤は、村田蔵六(のちの大村益次郎)の仲介により、藩が極秘にロンドンに派遣した留学生の中に加わる。残された久坂は5月10日、公約通り攘夷を実行すべく馬関海峡を航行中の外国船に砲撃をしかける。しかし、数日後外国の連合艦隊に逆襲され、砲台を占拠されてしまった。
- 下関に来襲する外国兵に対して激昂する百姓らの姿を見て、高杉は師・松蔭から学んだ「草莽崛起」を実践すべく下関の商人白石正一郎を口説いて庶民からなる軍隊・奇兵隊を結成する。いっぽう、京都では会津藩・薩摩藩らの企てにより、長州が追放される事件が起きた。年号も改まった元治元年(1864年)、池田屋事件で長州を中心とした各藩の志士たちが新撰組に斬られ、来島又兵衛ら過激派は兵を率いて上京することを主張。高杉は久坂・来島らを説得するが聞き入れられず、周布は高杉を野山獄へ監禁。ついに長州は無謀な兵を挙げ、一敗地にまみれ、久坂らは戦死した。
- 第二部「四境ことごとく敵-回天の章-」
- 禁門の変で敗れた長州藩を待ち受けていたのは、さらに過酷な運命だった。前年の下関砲撃に対する報復として英・仏・蘭・米の四国連合艦隊が来襲するというのである。この件を知った井上・伊藤は急遽ロンドンから帰国し、長州藩要路を説得するが、攘夷派の幹部は受け入れない。高杉の説得を受け、井上らもいったん攘夷派に戻り、奇兵隊ら諸隊とともに連合軍と戦う。
- 案の定、惨敗した長州藩は、急遽英語を解する井上らに和睦の使者を命ずる。井上は、高杉を長州藩家老宍戸家の養子・宍戸刑馬と名乗らせ、全権大使として随行させる。高杉は敗北を潔く認めたが、賠償金はすべて幕府に転嫁した。また、上海の悲劇を知る高杉は海峡にある彦島の租借を断じて拒絶する。こうして和睦は成立した。
- しかし、幕府から長州征伐軍が派遣されるに及び、これまで長州を主導してきた周布らの改革派は失脚し、椋梨藤太ら保守派が権力を握って、毛利敬親・定広父子も山口から萩に移る。やがて改革派の粛清が始まり、周布も自害に追い込まれ、高杉も藩外への逃亡を余儀なくされた。井上も襲撃され全身に傷を負うが、一命は取り留めた。奇兵隊ら諸隊にも解散命令が下る。山県狂介(のちの山縣有朋)・伊藤らもその命令に従うほか無かった。だが、そこへ潜伏中の高杉が現れ、藩政府に対して挙兵を促す。諸隊の隊長らは反対するが高杉は一人でも立つと強硬に主張した。
- 翌朝、功山寺に現れたのは高杉と伊藤だけだった。だが、2人だけ行こうとした矢先、諸隊の兵たちが次々押し寄せる。勝利を確信した高杉は小郡の代官所を襲い勝利を得ると、その勢いで萩へ攻め寄せ、ついに保守派の軍勢を破って主導権を取り戻した。年号が慶応に改まり、禁門の変後行方不明だった桂も村田の知らせにより長州へ戻り、幕府へ対抗する体制が整えられた。
- しかし、長州単独では武器の調達もままならない。そこで土佐の浪士坂本竜馬の仲介により薩摩藩との同盟が模索されるが、藩内の抵抗は強く、桂は諸隊の隊長を連れて京都へ赴き、双方の誤解を解いて薩長同盟の締結に至った。恭順を示さない長州藩に対し、幕府は第二次長州征伐を企てるが、薩摩藩はこれに従わなかった。村田指揮の下、整然たる作戦に裏打ちされた長州軍は幕府軍を各所で退け、勝利する。高杉も小倉口の戦いに参戦。急傾斜地の企救半島で幕軍の火砲に晒され苦戦するが龍馬の協力により幕府の旗艦富士山丸を撃破するなど活躍するも、この時すでに高杉の体は労咳に蝕まれていた。長州軍の勝利が確定してまもなく、高杉は息を引き取った……。
- 高杉の死から3年後の明治2年(1869年)、大村益次郎(村田蔵六)が暗殺され、その知らせを伊藤博文(俊輔)から受けた木戸孝允(桂小五郎)は時代の残酷さを嘆く……。
- 製作総指揮:北川信
- 制作:梅谷茂、田中正雄
- プロデューサー:須永元(日本テレビ)、荒木功、佐藤丈(ユニオン映画)今井正夫(東映)
- 脚本:野上龍雄
- 監督:齋藤武市
- 音楽:山本直純
- 主題歌:さだまさし「冬の蝉」
- 撮影:原田裕平
- 照明:武邦男
- 録音:神戸孝憲
- 編集:河合勝巳
- 記録:小川加津子
- 美術:鈴木孝俊
- 助監督:和田圭一
- 撮影計測:作村龍二
- 擬斗:谷明憲
- プロデューサー補:西牟田知夫
- 製作担当:北村良一
- 〈特殊撮影スタッフ〉
- 制作協力:東映太秦映像
- 制作:日本テレビ
- 製作著作:ユニオン映画
- 風間杜夫主演、2時間枠のテレビ時代劇スペシャル。キャストは異なるが、本作のプロローグに位置づけられる作品。
- 武田鉄矢が本作の特別出演と同じ役で、主演した長編映画作品。
YBCの土曜21時台の通常編成は、クロスネット時代も含めて、一貫して日テレ系の同時ネット枠である。
クロスネット時代のTSB・KTNおよびUMKはNNSには非加盟。 KTN・UMKの土曜プライムタイムは、クロスネット時代も含めて、一貫してフジ系の同時ネット枠である。
石川県のNNSフルネット局のテレビ金沢(KTK)は1990年4月に開局したため、当時は未開局であった。ただし、北日本放送(KNB)・福井放送(FBC、テレビ朝日系列とのクロスネット局)など、隣県のNNN・NNS系列局を受信していた場合は同時ネットで視聴できた。 19:00 - 19:30は『夢の未来車'89 ソーラーカー・ラリー』、19:30 - 20:00は『ザ・テレビ演芸』の30分の単発版を放送した。 YBCのクロスネット時代、当時フジテレビ系列だった山形テレビ(YTS)が日曜19・20時台および、22:00 - 23:30に日テレ系の番組を放送(22:30 - 23:30は21時台の番組を1時間30分遅れで時差ネット)していたが、YBCが第二部を同時ネットで放送したため、31日のYTSの20:00 - 22:25は、日テレ系の『金曜ロードショー(YTSでは『火曜ロードショー』として火曜21 - 22時台に放送していた)』で12月29日に放送された『白蛇抄(1983年公開の映画)』を代替として放送した。これにより、日テレ系の番組が2局で重複していた。 当時の九州地区における日テレ・フジ両系列のクロスネット局(KTN・TOS・UMK・KTS)のうち、日曜プライムタイムの通常編成が日テレ系同時ネット枠に統一されているTOS・UMKおよび、クロスネット時代のKTNとは異なり、KTSの当時の日曜19:00 - 20:54は上記3局同様に日テレ系同時ネット枠だったが、21:00 - 22:30はフジ系同時ネット枠であった。
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