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下塚誠

日本の俳優(1953−2018) ウィキペディアから

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下塚 誠(しもつか まこと、1953年9月5日[1][3][4][5][6] - 2018年7月7日[7])は、日本俳優。下塚 諒(読み同一)での活動歴もあり[6]。本名、下塚 一二(しもつか かつじ)[1][3][5][6][8]

概要 しもつか まこと 下塚 誠, 本名 ...

兵庫県[5]神戸市出身[3][4][9]兵庫県立鈴蘭台高等学校[1][3][4][9]放送大学卒業[10]兵庫教育大学中退[5]。柊企画[5]、サン・プロモーション[6][11]、エムスリーを経て[1]、アイ コンティネンスに所属していた[12]

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来歴・人物

大学受験のために上京したとき、劇団「東京小劇場」の関係者と知り合いとなったのをきっかけに[13]、俳優養成所「東京新社タレント養成所」に入り、東京小劇場聴講生となる[3]。劇団の公演やテレビドラマのゲスト出演を経て芸能事務所「柊企画」の所属となり、1974年に『スーパーロボット マッハバロン』(日本テレビ)のオーディションに合格[13]。主人公・嵐田陽役で主役デビューを果たす[3][4][9]

1977年関西テレビのテレビドラマ『志都という女』で主演の十朱幸代に思いを寄せる若者を演じて注目され[4]NHK銀河テレビ小説『昭和の青春シリーズ4 早春の光』で主演を務めたほか、フジテレビ銭形平次』などのテレビドラマや映画小説吉田学校』などに出演[3]1987年10月には演出・出演を兼ねる「求道塾」を結成し、1988年に旗揚げ公演『霊界通信・地獄物語』を上演[3]。1976年のプロフィールでは、「芯が通った素直な青年」と評されており、今後の目標について「徐々に自分の居場所をつかんでいきます」と答えている[9]

特技は、油絵[6][11]。趣味は、メディテーション[3]。霊能宗教家の家に生まれ、自身、幼少期から強い霊感を持ち、「鎮魂法」という瞑想行を修得している[14]。26歳で結婚し一男一女をもうけるも、のちに離婚[15]。息子の下塚恭平1979年8月17日[16] - )は、ビーコンラボエンターティメントに所属して[16]、俳優として活動していた[7]

2003年1月より、東京都町田市飲食店「洋風居酒屋 レモンタイム」を経営していた[17]

2015年秋に咽頭がんを発症し手術、翌2016年には肺に転移。その後末期の肺がんを罹患していることを公表し、闘病生活を続けていたが[7][17]2018年7月7日、都内の病院で死去[8]64歳没

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出演

テレビドラマ

映画

舞台

ラジオドラマ

CM

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著書

  • 神の選択 - 終末への序曲(2010年、たま出版ISBN 978-4-8127-0301-4

脚注

参考文献

外部リンク

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