『平成教育テレビ』(へいせいきょういくテレビ)は、1992年、1993年に生放送された長時間スペシャル番組(FNSの日)。この項目では、1994年についても扱う。
1991年まで放送されていた『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』の内容を全面的に見直し、当時の高視聴率クイズバラエティ番組『平成教育委員会』を軸とした内容で放送された。
総合司会は『平成教育委員会』の司会であったビートたけし[注釈 1]と逸見政孝。『平成教育委員会』同様、たけしは「北野武」名義で出演した。『テレビ夢列島』後期はフジテレビのアナウンサーが総合司会(1990年は須田哲夫と河野景子、1991年は有賀さつき・八木亜希子)を務めていたが、この年から芸能人中心の番組構成・タレントが総合司会という『テレビ夢列島』前期の路線が復活した。
1993年12月25日に逸見が逝去したのに伴って、1994年は『平成教育テレビ』の内容を一部受け継ぎたけしが総合司会を務めたが、結局番組の軸の一人だった逸見を失ってしまったことで企画自体が成立しなくなり1994年限りで終了、翌年から、たけしメイン体制は残したものの、ふたたび『テレビ夢列島』に戻された。
番組のメイン企画としてはFNS各局対抗の「全国一斉模擬試験」があった。土曜深夜から日曜夕方にかけて4回にわたって『平成教育委員会』のクイズを実施。当時の河田町・フジテレビ本社の第6スタジオにいるFNS各局女性アナと中継先のFNS各局代表一般解答者20人の合計点を競い、もっとも優秀な成績を修めた系列局を決めた。
- 製作総指揮:
- 総合プロデューサー:王東順
- 演出:
- 1992年︰三宅恵介 / 上川伸廣(イースト)
- 1993年・1994年︰山縣慎司、三宅恵介 / 上川伸廣(イースト)、今井康之(イースト)
- プロデューサー:
- 1992年︰山縣慎司、丸山史 / 越真一(イースト)
- 1993年︰丸山史 / 波多野健(イースト)、角井英之(イースト)
- 1994年︰丸山史、桜井郁子 / 角井英之(イースト)
- フジテレビコーナー担当プロデューサー:
- 1992年︰森英昭、西山仁紫、松永剛、杉浦優子、永山耕三、加藤友和、佐藤義和 / 梅本満(イースト)、吉田宏(イースト)、阿部恒久(4/g)、中山和記(共同テレビ)
- 1993年︰森英昭、西上均、石川幹雄、佐藤義和、木村基子 / 梅本満(イースト)、吉田宏(イースト)
- 1994年︰石井正幸、港浩一、荻野繁、木村基子 / 梅本満(イースト)、吉田宏(イースト)
- フジテレビコーナー担当ディレクター:
- 1992年︰手塚久、加田光宏、内田宏昌、吉田正樹、中村則之、丹羽信幸、高橋鉄、豊島浩行、木村基子、天野晃宏、加茂裕治、小杉雅博、田辺恵造、鈴木恵悟 / 今井康之(イースト)、立川英弘(イースト)、安藤正俊(イースト)、芳住昌之(イースト)、つきざわけんじ(MEN'S)、小島俊一(4/g)、黒河博之(4/g)、藤田明二(共同テレビ)
- 1993年︰大野高義、中村則之、清水淳司、時澤正、豊島浩行、上田健、高橋真人、西山仁紫、小杉雅博、小林利光 / 安藤正俊(イースト)、河合優(イースト)、つきざわけんじ(MEN'S)
- 1994年︰大野高義、杉山均、丹羽和重、平林長務、佐々木宗彦、時宗大、豊島浩行、上田健、窪田豊
- フジテレビ中継ディレクター (1994年のみ)︰大平司、矢延隆生、池田邦夫、込山正徳、吉田雅司、阿南修、横山隆晴、天野晃宏、青木淳一郎、奥田あけみ、小杉雅博、神原孝、夏野亮 / 河合優(イースト)、安井健(イースト)、三嶋尚子(イースト)
- 構成:
- ナレーター:島津冴子 / 平野義和(1993年・1994年 平成GIダービー) ほか
- フジテレビ技術:
- 1992年︰笹川一男 / 堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、馬場直幸、伊佐憲一、大河真、大西幸二、和田千穂、池田昌隆、岡田正徳
- 1993年︰青木一夫 / 堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、馬場直幸、金涌博行、白戸義之、加藤文也、大河真、三井登、大西幸二、和田千穂、池田昌隆、岡田正穂、島村勇、木村好信、和賀井隆
- 1994年︰小林勇 / 堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、加藤文也、白戸義之、森田修、大河真、三井登、佐藤光雄、足谷明美、島村勇、藤井秀奇、和賀井隆
- フジテレビ照明:澤田篤宏
- フジテレビ美術:
- 1992年︰永本允、水上啓光、山本修身、伊藤則緒、山形憲一 / 金子俊彦(アックス)
- 1993年︰石鍋紳一郎、山本修身、水上啓光、伊藤則緒、近藤研策、山形憲一 / 金子俊彦(アックス)、丸山覚(アックス)
- 1994年︰永本允、山本修身、水上啓光、金子隆、伊藤則緒、山崎吉広、原野真理子
- 大道具:樋口雄一郎(ビッグ3コーナー 大道具の雄さん)ほか
- 衣裳:高野知子 ほか
- メイク:アーツ、山田かつら
- スタイリスト:佐藤ミサキ ほか
- タイムキーパー:土田芳美、三田真奈美
- 制作デスク:栗田美奈子
- 企画編成(平成教育委員会):鈴木哲夫、水口昌彦、小川晋一、高橋松徳
- VTR編集:大内一学(RVC)、石丸健一(RVC)、井戸清(ヴィジュアルベイ・たけしの平成ファンクラブ)、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター、ARTPLAZA1000(1992年・カルトQ)
- MA:松元祐二(RVC)、豊田浩(RVC)、林光伸(RVC)、石塚宇生(RVC)、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター
- 音響効果:有馬克己(東京サウンド企画)、川崎恵介(東京サウンド企画)、橅木正志(東京サウンド企画)、OCBプロ、OKK(音響企画株式会社)、第一音響、プロジェクト80、4-Legs、佳夢音、サウンド・デザイン・キュービック
- 技術協力:
- 1992年︰ニューテレス、八峯テレビ、共同テレビ、渋谷ビデオスタジオ(ビデオスタッフ)、バスク、DELICIOUS、中部システム(TUBE・現 東京チューブ)、RVC(六本木ビデオセンター)、共立照明、東京サウンド企画(現 スカイウォーカー)、O.C.B、O.K.K、第一音響、プロジェクト80、4-Legs、佳夢音、FLT、フジアール、SATT、フジミック、アックス、東新
- 1993年︰ニューテレス、八峯テレビ、共同テレビ、DELICIOUS、TUBE、エイケイ、RVC、東京サウンド企画、O.C.B、O.K.K、プロジェクト80、FLT、ニッポン放送プロジェクト、SATT、フジミック、フジアール、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター
- 1994年︰八峯テレビ、ニューテレス、共同テレビ、TUBE、エイケイ、RVC、東京サウンド企画、DELICIOUS、O.C.B、プロジェクト80、第一音響、O.K.K、サウンド・デザイン・キュービック、FLT、ニッポン放送プロジェクト、SATT、フジミック、フジアール、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター
- 制作協力:
- 1992年︰4/g(フォーグラムビジュアルデパートメント)、MEN'S、メビウス、マンダラハウス、スペースエムワイ、共同テレビ、日能研、日本教育アカデミー、フォーチュンスープ
- 1993年︰日能研、FCIニューヨーク、MEN'S、office"B"、Ajito、アックス、カセヤマ、DAIDEN、FNS倶楽部
- 1994年︰日能研、日本教育アカデミー、FCIニューヨーク、地方競馬全国協会、グローバルスポーツ医学研究所、office"B"、Ajito、D3 Company、スペースエムワイ、FNS倶楽部
- 企画協力:オフィス北野、三木プロダクション(1992年・1993年)
- 制作協力:イースト
- 制作著作:フジテレビ/フジネットワーク26社(1992年)、25社(1993年・1994年)
BIG3
1992年 『平成教育テレビ「タモリ・たけし・さんまビッグ3世紀の教育スペシャル」』
「車庫入れ」
- 前半は車庫入れ。前年の仕返しとばかりに、日本テレビ「スーパーJOCKEY」生出演から河田町フジテレビに戻ってくるたけしの車(黒いロングボディのセンチュリーと伝えられていた)にブロックをぶつけようと待ち構えるさんまの前に現れたのは、助六姿で自転車に乗ってやって来たたけし。あ然とするさんまを尻目にさんまのレンジローバーに尺八を叩きつけ、自転車をぶつけるたけし。結局この年もさんまの車はボロボロになってしまった。
- 逸見の仕切りでBIG3の小中高時代を振り返るはずだったが、最初は前半「車庫入れ」を振り返るトーク。タモリ「自転車をぶつけた程度では保険は降りないよ」、たけし「あそこで止めたら「意気地なし!」と言われる」、さんま「自転車が入ってきた時、チャップリンの映画かな?と思った」。続いて本題に入り、それぞれの小中高時代を秘蔵写真等で振り返る。
「タモリ・たけし・さんまの小中高時代」
- タモリ:学級委員をクビになる(小学校)、片思いの人現る(中学校)、長崎までヒッチハイク(高校)
- たけし:「~だった」だらけの卒業文集の文体を、さんまが「ダッタマン」と呼んでからかった(小学校)、坊主にされる(中学校)、教頭先生を5円玉で引っ掛ける(高校)
- さんま:ムササビを捕まえる(小学校。以前からデタラメ説が唱えられていたが、証拠写真提出)、相撲部で準優勝(中学校。当該記事をスタッフが奈良まで調べに行ったがなかった)、失恋。リレー事件(高校)
- 締めは「(話の流れから)性格は変わるってことですね」という逸見の発言に対し、三人が「変わったわけじゃないと思うなぁ」「いや、性格はかわらんでしょ」と発言[注釈 2]。
1993年 『平成教育テレビ「タモリ・たけし・さんま ビッグ3恒例車庫入れ大会」』
- 表向きは、タモリ・たけし・さんまの3人に関するクイズを3人が解き、一番の得点の低い人が車庫入れをする形式ではあった。しかし、実際はタモリ・たけしが有利になるルールで、タモリが30点、たけしが60点で、さんまだけ得点が入らない理不尽なものであった。クイズ終了後に、逸見から「(さんまさんは)逆転不能でしょう」と言われた。
- クイズでは、さんまの曲「ウイスキー・コーク」(オリジナルは矢沢永吉)も頻繁にかかった。また前年のたけしの「ダッタマン」もクイズとなって登場していた。
- さんまの愛車レンジローバーのボンネットとバンパーが駐車場内で外され、雨ざらしになっていた。結局、篠原のオブジェ作品になった。何度か逸見が「車庫入れしましょう!」と発言したが、実際は行われなかった。
- なおこのコーナーが、BIG3と逸見が共演する最後の放送となった(逸見が同年12月に死去したため)。
1994年『平成夏休みバラエティー「ビッグ3ホールインワンチャレンジ」』
- この年はBIG3枠の司会進行は、亡くなった逸見に代わり川端健嗣アナが正月特番同様に担当。またこのコーナーのオープニングで川端アナに「来年はどうやって(総合司会を)逃げようかと、今から真剣に考えているたけしさんです。」と紹介されたたけしだが、結局翌年も逃げられず司会をすることになる。
- ホールインワンチャレンジは、当時の河田町本社玄関前の駐車場に67.5ヤードの特設ショートホールコースを設けた。優勝商品には箪笥と着物、2位には軽トラック、3位には台車とまな板[注釈 3]を賭け、競った。平成夏休みバラエティ内の得点として50点を賭けた「BIG3クイズ」を実施するも、全員不正解で終わった。しかし、グリーン自体が、板のようなものに人工芝を貼り付けただけのため、ボールが大きくバウンドしてしまい、なかなかホールインワンには至らず苦戦。そのため、急遽マットが数枚設置され、最終的にはカップの穴を広げて対処した。その後、たけし・さんまがホールインワンに成功するも、タモリだけが取り残され、先にホールインワンに成功したたけしとさんまは、カップから外す度にタモリの顔に塗料を塗った。最終的にはタモリもホールインワンに成功した。
- 「ホールインワン対決」中、「今年はやらない」と聞かされていたさんまとは裏腹に、たけしがさんまの愛車レンジローバーをグリーン前に勝手に駐車。車外から出る際にも鍵も折られ、タモリやたけしがレンジローバーの車体に目掛けてボールが当てられ、車体が凹む目にあった。
- BIG3としては、このコーナーを放送した直後の1994年8月にたけしがバイク事故を起こしたため、翌年の1995年7月の『超夢列島』放送まで約1年間休止となった[注釈 4]。
視聴者参加クイズ
- 夜明けの全国一斉模擬試験・教科編(1992年、1993年)
- 夜明けの全国一斉模擬試験・地方編(1994年)
- 山形県では、山形テレビが1993年4月1日付けで、テレビ朝日系列局に移行したため、同局においては、1992年度の「平成教育テレビ」が最後の「FNSの日」となった。
- 1993年までフジテレビ系列局だった山形テレビでの「FNSの日[注釈 9]」の対応については、同年3月31日まで、山形放送がテレビ朝日系列同時ネットという関係だったために、山形テレビではNNS非加盟でありながら、日曜19・20時台は基本的に日本テレビ系列の番組を同時ネットすることになっていたが、『FNSの日』に関しては同時ネットで、本来、山形テレビが同時ネットすべきだった日本テレビ系の番組は別の日に振り替え放送していた。また、国政選挙(衆院選または参院選)が実施される日に放送される選挙特番を含む報道特別番組が放送される場合も同様である[注釈 10]。
- 山形テレビのネットチェンジから4年後(1997年)に、さくらんぼテレビが開局し、山形県でも「FNSの日」が再開された。
- 鹿児島テレビは、日本テレビ系列の鹿児島読売テレビ開局まで、土・日曜日の19・20時台と土曜日の23時台前半は基本的に日本テレビの番組を同時ネットしていたが、『FNSの日』編成に限り、フジテレビ系同時ネットとなり、日本テレビ系列の番組は別の日時に放送された。鹿児島テレビは鹿児島読売テレビが開局した1994年4月1日に、フジテレビ系列フルネット局へと移行している。
注釈
また、たけし関連の物は翌年以降もしばしばネタにされ、2001年にたけしが『さんまのまんま』に出演した際にもダッタマンネタを指摘され、「こんなバカな小学生が世界の北野だなんだ言われて」と言われた。
1994年7月当時、結婚したばかりのヒロミと松本伊代の結婚式の際の引出物。
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山形テレビは開局から一貫してNNNに加盟しておらず、同局では日本テレビの選挙特番を含む報道特別番組をネットすることができないため。
出典
そのため、当日の『スーパーJOCKEY』を欠席する形になった。
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