日立製作所硬式野球部
日本の社会人野球チーム ウィキペディアから
日本の社会人野球チーム ウィキペディアから
日立製作所硬式野球部(ひたちせいさくしょこうしきやきゅうぶ)は、茨城県日立市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。
チーム名(通称) | 日立製作所、日立、日製 |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1916年 |
チーム名の遍歴 |
|
本拠地自治体 | |
練習グラウンド | 日立製作所会瀬野球場 |
チームカラー | オレンジ色 |
監督 | 林治郎 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 40回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 準優勝 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 9回 |
最近の出場 | 1970年 |
最高成績 | 4強 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 13回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 8強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
運営母体は、電機メーカーであり日立グループの中核企業である日立製作所。都市対抗野球大会では、スタンドを埋め尽くすオレンジ色のウェアでの大応援団が名物となっている。
1916年、日立製作所の硬式野球部として創部。関東では、最古参チームの1つである。かつては、同じ茨城県日立市に本拠地を置いていた日本鉱業日立と代表権を争っていた。創部も同時期であるためお互い切磋琢磨しあう間柄であり、2チームの定期戦は「お山の早慶戦」とも呼ばれ地元で親しまれていた[1]。
日本鉱業日立が廃部した後は、日本製鉄鹿島(茨城県鹿嶋市)、SUBARU(群馬県太田市)と共に北関東3強の一角を担い、毎年熾烈な代表権争いを繰り広げている。
1955年に都市対抗野球に、1974年に日本選手権にそれぞれ初出場している。2大大会には数多く出場しているが、まだ優勝経験がない。
近年は、元プロ野球選手を積極的に受け入れチーム力の向上に務めており、創部100周年となった2016年の都市対抗野球では初めて決勝に進出しトヨタ自動車と対戦したが、0-4で敗れ準優勝となった。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.