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日本の女性政治家 ウィキペディアから
西村 智奈美(にしむら ちなみ、1967年1月13日 - )は、日本の政治家、国際関係学者。立憲民主党所属の衆議院議員(6期)、立憲民主党新潟県連代表[2]、立憲民主党ジェンダー平等推進本部顧問[3]。夫は元立憲民主党衆議院議員の本多平直で[4][5]、戸籍上の姓は本多。
西村 智奈美 にしむら ちなみ | |
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2023年、立憲民主党本部にて | |
生年月日 | 1967年1月13日(57歳) |
出生地 | 日本 新潟県吉田町米納津(現:燕市) |
出身校 |
新潟大学法学部 新潟大学大学院法学研究科修士課程 |
前職 |
大学非常勤講師 NVC新潟国際ボランティアセンター事務局長 新潟県議会議員 |
現職 | 衆議院議員 |
所属政党 |
(民主党→) (民進党→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党(菅G) |
称号 |
法学士 修士(法学)(新潟大学) |
配偶者 | 本多平直(元衆議院議員) |
公式サイト | 西村ちなみチャレンジサイト |
選挙区 |
(新潟1区→) (比例北陸信越ブロック→) 新潟1区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
2003年 - 2012年11月16日 2014年12月19日[1] - 現職 |
選挙区 | 新潟市選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1999年4月30日 - 2003年4月29日 |
その他の職歴 | |
第3代 立憲民主党代表代行 (2022年8月20日 - 2024年9月24日) | |
第2代 立憲民主党幹事長 (2021年12月2日 - 2022年8月20日) |
厚生労働副大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、外務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、新潟県議会議員(1期)、立憲民主党幹事長(第2代)、立憲民主党代表代行[6]等を務めた。
新潟県吉田町米納津(現:燕市)生まれ[4]。吉田町立米納津小学校、吉田町立吉田中学校、新潟県立三条高等学校卒業。新潟大学法学部に入学。高校、大学時代は弓道に打ち込んだ[7]。大学在学中、1年間休学してタイ王国バンコク市ユニオン語学学校に留学[4]。多賀秀敏ゼミで政治学を志し、国際関係論を専攻した[8][4]。
1990年3月、新潟大学卒業。同年4月、同大学大学院法学研究科修士課程に進学し、同年9月から英国ブリストル大学法学部に留学[4]。1993年3月、新潟大学大学院を修了し、修士号を取得[4]。その後は専修学校(1993年4月~1996年3月)、新潟産業大学(1996年4月~1999年3月、1998年4月~1999年3月)や敬和学園大学(1997年4月~2003年10月)、新潟青陵女子短期大学(1998年4月~1999年10月)で非常勤講師を務める。その傍ら、自ら大学卒業時に創設したNVC新潟国際ボランティアセンター事務局長(~1998年9月)を務めていた[4]。
1998年11月、民主党に入党[4]。1999年、第14回統一自治体選挙新潟県議会議員選挙新潟市選挙区に立候補で初当選し、一期4年を務める[4]。
2003年、第43回衆議院議員総選挙に新潟1区から民主党公認で出馬し、自由民主党前職の吉田六左エ門を破り初当選した[4]。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、郵政解散により自民党に追い風が吹いていたが、新潟1区で自民党の吉田を破り、再選(吉田も比例復活)[9]。同年9月12日、民主党代表の岡田克也が、総選挙大敗の責任をとり辞任を表明[10]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[11]。
2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[12]。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[13]。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、恩師である多賀秀敏教授の支援も受け[8]、新潟1区で吉田を破り3選[14]。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣で外務大臣政務官に任命され、菅直人内閣まで務めた[4]。
2011年、野田第1次改造内閣で厚生労働副大臣に任命され、2012年、野田第3次改造内閣まで務めた[4][15]。民主党が下野した2012年の第46回衆議院議員総選挙では、新潟1区で自民党新人の石崎徹に敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックでの復活もできず、落選した[16]。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に新潟1区から民主党公認で出馬し、自民党の石崎に再び敗れるも、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活し、2年ぶりに国政に復帰した[17]。この選挙で民主党代表の海江田万里が落選。海江田の辞任に伴い2015年1月18日に行われた代表選挙では、自身が外務大臣政務官を務めた鳩山・菅内閣の外務大臣だった、元代表の岡田克也の推薦人に名を連ねた[18]。
2016年3月27日、民主党に維新の党などが合流し、民進党が結成[19]。西村も同党に参加。
2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明[20]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[21][22]。
同年の第48回衆議院議員総選挙に際し、前原誠司代表が9月27日、民進党を事実上解党し、希望の党からの立候補を容認する方針を表明[23]。西村は希望の党に合流せず、新潟1区から無所属で立候補する意向を示していたが[24][25]、10月6日に立憲民主党からの出馬を表明[26]。西村の出馬を受けて日本共産党は新潟1区に擁立していた候補者を取り下げて西村を支援し[27]、新潟1区で自民党前職の石崎を破り、5期目の当選を果たした(石崎も比例復活)[28][29]。
2019年10月には、立憲民主党の自治制度調査会会長に就任した[30]。
2020年8月24日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で合流新党を結成することで合意した[31]。同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[32]。10月24日、立憲民主党新潟県連の設立大会が開催され、西村が代表に就任した[2]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。自民党公認の塚田一郎、日本維新の会公認の石崎を破り、再び小選挙区で当選し6選(塚田は比例復活で当選)[33][34]。
2021年11月2日、枝野が立憲民主党の議席減少の責任をとり、党代表を辞任する意向を表明[35]。その直後から西村に党代表選挙出馬を促す電話が鳴り始めたという[36]。同日、小川淳也が出馬の意欲を示す[37]。11月4日、各紙は、立候補が取り沙汰される5人の顔触れを写真付きで掲載したが、「(野党第一党党首、すなわち政権交代を成し遂げた際に総理大臣を務めてもらう人物を決める選挙に)女性候補が1人もいないのはおかしい」と西村に出馬を求める声が立憲民主党支持者から相次いだ[36](なお、与党第一党党首である事実上の内閣総理大臣を選ぶ同年9月に行われた自由民主党総裁選挙では高市早苗と野田聖子の女性2人が立候補し、小池百合子が立候補した2008年総裁選以来、女性が立候補者に出た自民党総裁選としては2回目であり、複数の女性候補が出馬するのは初であった)。
しかし、党内最大グループのサンクチュアリからも西村を推す声が出ていたが、同グループ前会長赤松広隆・前衆院副議長らが経験不足などを理由に難色を示した[38]。10日前後から、西村も菅グループ内の仲間を中心に国会議員の推薦人20人を確保すべく動き出し、15日には複数の同僚議員を訪れて立候補への決意を伝えていたが推薦人の確保は難航した[36]。同じ立憲民主党内リベラル系として支援に期待をかけていた党内最大グループ「サンクチュアリ」は赤松らの意向を受けて、11月16日の夜、国会内で会合を開き、逢坂誠二を擁立する方針を正式に決めた[38]。「サンクチュアリ」が独自候補を擁立したことは西村に痛手となった[36]。
11月17日、「女性待望論」を背に西村は記者会見し、「推薦人を集め、必ず立候補したい」と推薦人20人は確保出来ていないが、枝野代表辞任に伴う第2代代表選挙に立候補する意向を固めたと述べた[36][39]。翌18日、推薦人20人にめどが立ったとして、選対本部顧問に菅直人元首相、本部長に社民党出身の阿部知子衆院議員を充てるなど国のかたち研究会(菅グループ)中心とした推薦人・陣営で正式に出馬表明した[37][40][41]。西村が立候補したことで1996年以降の旧民主党系の代表選挙で女性が立候補者になったのは、蓮舫が立候補し当選した2016年民進党代表選挙以来で2回目となった。
同年11月30日、代表選挙が実施。1回目の投票では決まらず、決選投票により泉健太が代表に選出された。12月1日、泉は党骨格人事を発表。西村を幹事長に起用した[42]。12月2日に開かれた両院議員総会で幹事長に正式就任[43]。女性幹事長は自民党では例がなく、旧民主党が源流の政党でも初めてのことであった[44]。
2022年8月26日、立憲民主党は両院議員総会を開き、新執行部が発足。幹事長は岡田克也になり、西村は現職の逢坂と共に代表代行に就任することになった[6][45]。
12月13日の立憲民主党の常任幹事会で、次期衆院選において(新)新潟1区からの出馬が内定した[46]。
2024年立憲民主党代表選挙では、菅直人元首相から立候補を促されるも、自身が泉執行部で代表代行を務めていることを理由に固辞した[47]。代表選後の党役員人事で代表代行を退任。
2016年4月25日の午前7時過ぎ、新潟市西区松美台の市道交差点で、西村が運転する乗用車が横断歩道を横断中の中学3年の女子生徒をはね、生徒は顔やひじに軽いけがを負った。交差点で前の車に続いて右折しようとした際、前方をよく見ておらず、横断歩道を左側から歩いてきた女子生徒に気づかずにはねたと見られ、西村は「事故を起こし、深くおわび申し上げる」とのコメントを出した[70]。
2017年3月18日に記者会見を開き、当時会計事務を担当していた民主党新潟県第1区総支部の元職員により、約3360万円の政治資金を着服されていたことを明らかにした。元職員は総支部の他、西村が代表を務めていた資金管理団体「西村ちなみと100人委員会」、後援会「智水会」から、政党助成金を含む政治資金を着服し、2013年に退職した際、後任者への引き継ぎで着服の事実を打ち明け、「知人が投資に使った」と説明。2019年2月8日、新潟地方検察庁は元職員を業務上横領罪で在宅起訴した[71][72]。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に際し、西村への投票を呼び掛ける文書を約2万人の有権者に対して公示前に送付した公職選挙法違反(事前運動、法定外文書頒布)の疑いで、西村の後援会関係者2名が書類送検され、うち1人が略式起訴され罰金30万円の略式命令を受けた[73][74]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 新潟県議会議員選挙 | 1999年4月11日 | 32 | 新潟市選挙区 | 民主党 | 1万9310票 | 9.80% | 11 | 2/14 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 36 | 新潟1区 | 民主党 | 11万9297票 | 51.08% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 38 | 新潟1区 | 民主党 | 13万6391票 | 49.67% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 42 | 新潟1区 | 民主党 | 16万9389票 | 60.15% | 1 | 1/4 | / |
落 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 45 | 新潟1区 | 民主党 | 7万8283票 | 35.56% | 1 | 2/4 | / |
比当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 47 | 比例北陸信越(新潟1区) | 民主党 | 8万4573票 | 42.87% | 1 | 2/3 | 3/3 |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 50 | 新潟1区 | 旧立憲民主党 | 12万8045票 | 53.11% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 54 | 新潟1区 | 立憲民主党 | 12万7365票 | 52.57% | 1 | 1/3 | / |
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