龍ケ崎市
茨城県の市 ウィキペディアから
茨城県の市 ウィキペディアから
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.
龍ケ崎市(りゅうがさきし)は、茨城県南部の県南地域に位置する市である。東京都市圏(東京通勤圏)。
りゅうがさきし 龍ケ崎市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 08208-2 | ||||
法人番号 | 2000020082082 | ||||
面積 |
78.59km2 | ||||
総人口 |
75,038人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 955人/km2 | ||||
隣接自治体 | 牛久市、つくば市、稲敷市、取手市、つくばみらい市、稲敷郡河内町、北相馬郡利根町 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 | キキョウ | ||||
市の鳥 | ハクチョウ | ||||
龍ケ崎市役所 | |||||
市長 | 萩原勇 | ||||
所在地 |
〒301-8611 茨城県龍ケ崎市3710番地 北緯35度54分42秒 東経140度10分56秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
市の名前については様々な表記をされるが、正式には「龍ケ崎市」で、「龍」・「ケ」を使用する。ただし、関東鉄道の駅は「竜ヶ崎駅」、県立高等学校は「竜ヶ崎」の文字を使用するなど、施設によって表記が異なる(詳細は後述)。
郵便番号の上3桁は301。
東京都心から約45kmの位置にあり、ベッドタウンとして市北部の丘陵地帯に竜ヶ崎ニュータウンが開発された。1954年(昭和29年)市制施行。
平安時代末期、この地の地頭に任ぜられた下河辺政義が、鎌倉時代に源義経の姻戚であったことから、領地を没収された後、氏を龍崎と称したことが由来とされる。その他に「龍ヶ崎市史」によると竜巻が多い土地だったから、千葉県に伝わる言い伝えから龍が降って来た土地の先にあった土地だったから、『新編常陸国誌』によると町が龍の形をしていたから等の諸説がある[1]。
本自治体の正式表記は「龍ケ崎市」(旧漢字の「龍」、大きいカタカナの「ケ」)である。これは1954年に自治体ができたときに官報に載った表記であり、1996年から市の公文書は「龍」で統一されている。一方茨城県は、公文書には常用漢字を使うという文書管理規定があるため、県の施設名を「竜」で統一している[2]。関東鉄道は、開業免許状などの古い文献で「龍」、1965年に合併したあたりから「竜」である。また、筑波銀行は「龍ケ崎」、常陽銀行は「竜崎」である[2]。
さらに、施設名や企業名などでは小さい「ヶ」を使った表記も見られる。
冬の冷え込みは厳しく、1984年(昭和59年)1月20日には-15.5°Cを記録している。これは、近年の関東平野部の最低気温では最も低い部類に入る。
龍ケ崎(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.2 (66.6) |
24.4 (75.9) |
25.9 (78.6) |
28.9 (84) |
34.0 (93.2) |
35.9 (96.6) |
36.6 (97.9) |
38.5 (101.3) |
35.6 (96.1) |
32.5 (90.5) |
27.7 (81.9) |
24.1 (75.4) |
38.5 (101.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
10.2 (50.4) |
13.5 (56.3) |
18.6 (65.5) |
22.9 (73.2) |
25.4 (77.7) |
29.4 (84.9) |
30.9 (87.6) |
27.2 (81) |
21.8 (71.2) |
16.7 (62.1) |
11.7 (53.1) |
19.8 (67.6) |
日平均気温 °C (°F) | 3.3 (37.9) |
4.3 (39.7) |
7.8 (46) |
13.0 (55.4) |
17.8 (64) |
21.0 (69.8) |
24.6 (76.3) |
25.8 (78.4) |
22.5 (72.5) |
16.9 (62.4) |
10.9 (51.6) |
5.5 (41.9) |
14.5 (58.1) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.3 (27.9) |
−1.2 (29.8) |
2.3 (36.1) |
7.5 (45.5) |
13.5 (56.3) |
17.5 (63.5) |
21.2 (70.2) |
22.2 (72) |
18.8 (65.8) |
12.6 (54.7) |
5.6 (42.1) |
0.0 (32) |
9.8 (49.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −15.5 (4.1) |
−8.5 (16.7) |
−5.9 (21.4) |
−2.5 (27.5) |
2.9 (37.2) |
10.1 (50.2) |
12.7 (54.9) |
15.2 (59.4) |
6.6 (43.9) |
0.3 (32.5) |
−3.9 (25) |
−7.6 (18.3) |
−15.5 (4.1) |
降水量 mm (inch) | 55.4 (2.181) |
52.9 (2.083) |
103.3 (4.067) |
109.0 (4.291) |
122.6 (4.827) |
135.1 (5.319) |
128.1 (5.043) |
99.4 (3.913) |
182.8 (7.197) |
212.8 (8.378) |
87.5 (3.445) |
53.4 (2.102) |
1,352.8 (53.26) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.3 | 6.2 | 10.0 | 10.4 | 10.4 | 11.6 | 10.3 | 7.2 | 11.2 | 10.5 | 7.9 | 5.7 | 107.4 |
平均月間日照時間 | 190.8 | 172.3 | 174.3 | 178.4 | 179.9 | 125.7 | 155.7 | 183.5 | 133.9 | 134.0 | 148.4 | 169.1 | 1,927.9 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
昭和50年代後半からの竜ヶ崎ニュータウン造成により人口が増加し、1995年(平成7年)には人口増加率で全国第2位を記録した。2015年(平成27年)前後に減少傾向に転じたと見られる[4]。
龍ケ崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 龍ケ崎市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 龍ケ崎市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
龍ケ崎市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
旧川原代村と旧北文間村(長沖、長沖新田、羽黒、豊田、須藤堀、北方)および旧高須村(高須、大留)は北相馬郡、すなわち下総国であった。それ以外は元来常陸国河内郡であった。小貝川が現在より東を流れ国境を形成していたのである。
旧龍ケ崎町中心市街は、関東鉄道竜ヶ崎線竜ヶ崎駅から東に2km程度伸びている。その中には薬師堂・八坂神社・竜泉寺などの古い寺社があるほか、当時の豪商「小野瀬家」の店舗兼住宅が残されており、国の登録有形文化財に登録されて保存されている。江戸時代以前から地域の商業都市として栄えた。
805年に常陸国府に向かう東海道の経路が変更され布佐付近から北上し龍ケ崎付近を通った。その後も武蔵国から常陸国および東北に向かうルートだった。江戸幕府によって水戸街道が制定された際に、水戸街道は龍ヶ崎より西の取手宿・藤代宿・若柴宿・牛久宿を抜けるルートになり、龍ヶ崎は正式な街道筋からは外れた。
その後も、藤代宿と若柴宿の間にある追分から脇街道が分岐し、龍ヶ崎を通ったのち現千葉県の布佐・木下・安食を経由して成田に至っていた。また小貝川・利根川・江戸川の水運もあって、交通の要衝・物資の集積地であることに変わりなかった。
また、旧水戸街道の若柴宿は現在の龍ケ崎市内に含まれている。若柴宿は、南東端の八坂神社、北西端の金竜寺に挟まれ、両端にクランクを持つ古い宿場町の立地をよく残す街並みとなっている(ただし建物は、度重なる火災によって失われた)。
特記なき場合「歴代市長」による[7]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 富塚橋一 | 1954年(昭和29年)3月20日 | 1955年(昭和30年)4月30日 | |
2 | 荒井源太郎 | 1955年(昭和30年)5月1日 | 1963年(昭和38年)4月30日 | |
3 | 岡田宇三郎 | 1963年(昭和38年)5月1日 | 1975年(昭和50年)4月30日 | |
4 | 中村忠雄 | 1975年(昭和50年)5月1日 | 1981年(昭和56年)5月30日 | 在任中に死去 |
5 | 岡田昭守 | 1981年(昭和56年)7月12日 | 1992年(平成4年)5月30日 | 在任中に死去 |
6 | 海老原龍生 | 1992年(平成4年)7月19日 | 1997年(平成9年)12月3日 | 公選法違反で逮捕 |
7 | 串田武久 | 1998年(平成10年)1月18日 | 2010年(平成22年)1月17日 | |
8 | 中山一生 | 2010年(平成22年)1月18日 | 2022年(令和4年)1月17日 | |
9 | 萩原勇 | 2022年(令和4年)1月18日 |
その他、テニスコートなど
市西部に位置する龍ケ崎市駅・佐貫駅が玄関口となる。
※定期便は無し
この節に雑多な内容が羅列されています。 |