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アーケードゲームのタイトル一覧 (1980年代)

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アーケードゲームのタイトル一覧 (1980年代)(アーケードゲームのタイトルいちらん 1980ねんだい)では、1980年代に稼働開始されたアーケードゲームのゲームタイトルを列挙する。

本項目で扱うタイトルは、ビデオゲームトレーディングカードを使用する作品を含む)と大型筐体ゲームのみとし、メダルゲームプライズゲームエレメカプリクラピンボールなどは扱わない。

特徴・変遷

要約
視点

1980年代はアーケードゲームにとって躍進の時代となった[1]。まず、1980年代初頭には画面スクロールができるようになり、アクションゲームやシューティングゲームに影響を与えた[1]。コナミから1981年に登場した『スクランブル』は横スクロールシューティングゲームの基礎となった[1][2]。また、ナムコの『ギャラガ』(1981年稼働)は2年前に稼働した『ギャラクシアン』の流れを汲みつつも、自機のパワーアップという要素を追加したことでゲームファンに驚きを与え、ロングセラーとなった[3]。さらに同じ年に任天堂から発売されたアクションゲーム『ドンキーコング』はゲームセンターで人気を博し、ゲームクリエイター宮本茂にとっても大きな第一歩となった[4]。そして、1983年にはナムコから縦スクロールシューティングゲーム『ゼビウス』が世に送り出された[5]。画面の縦スクロール自体が当時としては画期的だったことに加え、背景に森や地上絵などを採用していたことでも話題を呼んだ[5]

そのころ、アピエス創業者の辻本憲三は同社を去り、タイトーの社長ミハイル・コーガンから提供された資金を元手にカプコンを立ち上げた[6]。創業当初はビデオゲームの開発技術が十分ではなかったため、難易度の低いメダルゲーム『リトルリーグ』(1983年7月)でアーケードゲーム業界に参入し、少し後の1984年5月には『バルガス』でビデオゲームの供給を始めた[7]。やがて『1942』(1984年12月)や『魔界村』(1985年9月)といったヒット作を生み出した[7]。また、この時期は『空手道』(データイースト,1984年)や『スパルタンX』(アイレム,1984年)、『イー・アール・カンフー』(コナミ、1985年)など、格闘技を題材とした作品が登場し、のちの対戦型格闘ゲームやベルとスクロールアクションに影響を与えた[1]。一方、家庭用ゲーム機の登場により、汎用筐体で遊ぶタイプのビデオゲームの人気が落ちつつあった。そのさなかの1985年に登場した大型筐体ゲーム『ハングオン』(セガ)は、本物のバイクを模した外観に加え、ゲームの展開に合わせて筐体が動くことで臨場感を出した[8]。のちに同作は「体感ゲーム」としてシリーズ化され、以降ドライブゲームの『アウトラン』(1986年)や、戦闘機を題材とした『アフターバーナー』(1987年)などが登場した[8]

また、1984年の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下:風営法)の改正によってゲームセンターが風俗業種に含まれたことに伴い、以前のような深夜営業ができなくなってしまったため、アーケードゲーム業界は客層の拡大に追われた[9]。このような背景から、『テトリス』や『上海』といった一般客が気楽に遊べるパズルゲームが登場したほか、テーブル筐体からの脱却が試みられた[9]

1986年以降はグラフィックが強化された一方、新ジャンルの開拓がひと段落し、ゲームの進化は難易度の向上へと向かい始めていた[1]。1987年7月に稼働した『R-TYPE』(アイレム)は、敵弾をはじく「フォース」、溜め撃ちである「波動砲」、そして巨大な敵キャラクターなど、それまでのシューティングゲームにはない要素を取り込み、プレイヤーたちに衝撃を与え、後世のゲームにも影響を与えた[10]

また、システム基板が一般化するようになったのもこのころである[1]。うち、カプコンは『ロストワールド』(1988年)から自社基板であるCPシステムを採用したことで、表現力に磨きがかかった[7]。また、1989年にはこの基板を用いた『ファイナルファイト』が世に送り出され、ベルトスクロールアクションの定番として認知されるようになった[11][注 1]

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一覧

要約
視点

並び順は日本と日本国外を含めた稼働時期の初出としている。

さらに見る 稼働時期, 作品名(日) 作品名(日本国外) ...
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脚注

参考文献

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