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エルビス・アンドラス
ベネズエラの野球選手 (1988 - ) ウィキペディアから
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エルビス・オーガスト・アンドラス・トーレス(Elvis Augusto Andrus Torres,[注 1] 1988年8月26日 - )は、ベネズエラのアラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手(遊撃手、二塁手)。右投右打。愛称はエル・コマンド[3]。代理人はスコット・ボラス。
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経歴
要約
視点
プロ入りとブレーブス傘下時代
2005年1月26日、16歳の時にアマチュア・フリーエージェントでアトランタ・ブレーブスと契約を結び、プロ入り。この年からマイナーリーグ(ルーキー級)でプレーを始め、52試合に出場の上、打率.293、出塁率.377の好成績を収め、ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスのチーム内MVPに輝いた[4]。
2007年はA+級マートルビーチ・ペリカンズにおいて126試合に出場して40個の盗塁を決め、7月8日にAT&Tパークで行われたオールスター・フューチャーズゲームでは「世界選抜チーム」の一員として代打に起用され、遊ゴロに倒れた。
レンジャーズ時代
2007年7月31日にマーク・テシェーラ、ロン・メイヘイとのトレードで、ジャロッド・サルタラマッキア、マット・ハリソン、ネフタリ・フェリス、ボー・ジョーンズと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した。シーズン終了後にはアリゾナ・フォールリーグに派遣され、15試合に出場して好成績を挙げ、オール・プロスペクト・チームに選出された。
2008年2月3日にレンジャーズ・ファーム組織内のトップ・プロスペクトとベスト・ディフェンシブ・インフィルダー、ベスト・インフィールド・アームの3部門に選定される[4][5][6]。シーズンでは傘下のAA級フリスコ・ラフライダーズで118試合に出場して打率.295、出塁率.350、54盗塁(テキサスリーグ2位、レンジャーズ組織内では最多盗塁)。7月13日にヤンキー・スタジアムで開催されたフューチャーズ・ゲームでは世界選抜チームの遊撃手として先発出場を果たし、1四球、1盗塁、1得点を記録した。12月8日、プロスペクト・リストの4位にランクされ、前年に引き続きベスト・ディフェンシブ・インフィルダーとベスト・インフィールド・アームに選定される[5][7]。
2009年のスプリングトレーニング中のプレシーズン・ゲームでチーム最多の30試合に出場して好成績を収め、4月6日のクリーブランド・インディアンスとのシーズン開幕戦に「9番・遊撃手」で先発出場を果たした。そして、第1打席でクリフ・リーからキャリア初安打となる右翼線二塁打を放つなど、4打数1安打、1得点の結果でデビュー戦を終えた。なお、アンドラスが正遊撃手に抜擢されたがゆえに、看板選手のマイケル・ヤングは三塁へとコンバートを余儀なくされた。ヤングは当初これに難色を示し、一時はトレード論も浮上したが、最終的には本人が三塁転向を受け入れチームに残留した。更に、レンジャーズはベネズエラ人遊撃手の先達であるオマー・ビスケルと契約を交わし、弱冠20歳であるアンドラスの指南役に充てた[8][9]。1年目から145試合に出場し、守備防御点+15はジャック・ウィルソンに次いで全遊撃手で2位だった。新人王の投票ではアンドリュー・ベイリーに次ぐ2位に入った。
2010年はオールスターに初選出された。四球が増加して出塁率は上がったが、本塁打はレギュラーシーズン、ポストシーズン通して0本だった。この年は開幕してから一度も髪を切らずに伸ばし続け、終盤にはアフロヘアーになっていた[10]。シーズン終了後には元通りに頭を丸めた。
2011年は自己ベストの打率.279を記録し、2年ぶりの本塁打も放った。主に「2番・遊撃手」としてチームのリーグ連覇に貢献した。
2012年2月8日にレンジャーズと総額1440万ドルの3年契約に合意した[11][12]。7月には2年ぶり2度目のオールスター選出を果たした。1番、3番を担当したイアン・キンズラーとジョシュ・ハミルトンの間で繋ぎ役に徹し、2年ぶり2度目の最多犠打を記録した。
2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された[13]。シーズンでは、4月4日にレンジャーズと総額1億2000万ドルの8年契約(2022年、2023年の球団オプション付き)に合意した[14][15]。この年は156試合に出場して打率.271、4本塁打、67打点、42盗塁を記録した。
2014年も遊撃手のレギュラーを務めたが、オフシーズンにトレーニングをさぼった[16]ため、走攻守全てに成績が低下し、特に盗塁死はリーグワーストの15個だった。
2015年は自己最多となる160試合に出場した。自己最多の7本塁打に加え、二塁打も34本放ったが、打率と出塁率は更に低下し、自己ワーストを更新した。走塁面では、25盗塁とやや少なかったが盗塁死を8つ減らした。また、通算200盗塁も達成している。遊撃守備は、アメリカンリーグの遊撃手ではワースト2位の22失策を犯したが、248刺殺と516補殺と114併殺は、いずれもア・リーグトップ(遊撃手部門)を記録した[17]。
2016年5月15日に起きたトロント・ブルージェイズ戦での乱闘[18]で、17日にMLBから暴力行為を行ったとして、1試合の出場停止処分が科せられた[19]。最終的に147試合に出場し打率.302、8本塁打、69打点、OPS.800とキャリアハイの成績を残した。遊撃手の守備は、147試合で17失策、守備率.974という成績ながら、前年と同様に刺殺(229刺殺でア・リーグ2位)と補殺(413補殺で同5位)ではリーグ上位にランクインした。
2017年9月6日に初となるシーズン20本塁打を記録し、シーズン20本塁打・20盗塁を達成した[20]。オフには球団年間最優秀選手賞を受賞した[21]。
アスレチックス時代
2021年2月6日にクリス・デービス、ジョナ・ハイム、デーン・アッカーとのトレードで、アラミス・ガルシア、金銭と共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[22]。
ホワイトソックス時代
2022年8月19日にシカゴ・ホワイトソックスと契約した[24]。オフの11月6日にFAとなった[25]。
2023年2月21日に1年総額300万ドルでホワイトソックスと再契約を結んだ[26]。 自身初めて正二塁手として起用される。 4月13日に現役選手ながらベースボール・ユナイテッドの共同オーナーとして参入した[27]。 オフの11月3日にFAとなった[28]。
ホワイトソックス退団後
2024年3月3日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[29]。アリゾナでのスプリングトレーニングから招待選手として、チームに合流する[29]。しかし開幕ロースターに残れず同月22日にリリースとなった[30]。
9月4日に現役引退を表明し[31]、同月6日にレンジャーズと1日契約を結んだ。
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選手としての特徴
快足を最大の武器とし、「ウィリー・タベラスの遊撃手バージョン」「レンジャーズの機動力を担う存在」「将来の1番打者候補」と嘱望されていた[32][33][34]。
人物
目標とする憧れの選手は、デレク・ジーターとオマー・ビスケルの両遊撃手[35][32][33][34][5][8][36]。
2024年に野球殿堂入りを果たしたエイドリアン・ベルトレ。彼が現役だった頃は、彼との「怒りパフォーマンス」が人気であった。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2023年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 2023年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 球団年間最優秀選手賞:1回(2017年)
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:2回(2007年、2008年)
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:2回(2010年、2012年)
背番号
- 1(2009年 - 2020年、2022年途中 - 2023年)
- 17(2021年 - 2022年途中)
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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