トップQs
タイムライン
チャット
視点
ニホンピロサート
ウィキペディアから
Remove ads
ニホンピロサート(欧字名:Nihon Pillow Cert、1998年4月19日 - )は、日本の競走馬[1]、誘導馬。主な勝ち鞍に2003年のガーネットステークス、2004年のプロキオンステークス、サマーチャンピオン、2005年のさきたま杯、兵庫ゴールドトロフィー。
Remove ads
経歴
要約
視点
3歳(2001年)
3歳になってからのデビューであり、2月24日の3歳新馬を小林徹弥鞍上でデビューし、2着に入る。2戦目、折り返しの新馬戦を2馬身差で勝利し初勝利を挙げる。続く3歳500万下を3馬身半差で逃げ切り連勝。3戦とも舞台は阪神ダート1200mだった。芝のレースを2戦使われたのち、ダートの8月の苗場特別で3着に入ると、芝の仲秋特別も3着、ダートに戻った藤森特別で4馬身差の快勝で3勝目を挙げる。次走、初の1400m戦となったブラジルカップをクビ差の2着とすると、貴船ステークスもクビ差の2着、昇級3戦目の元町ステークスを1.8倍の人気に応え逃げ切り、オープン馬となる。
4歳(2002年)
昇級初戦、すばるステークスは僅差の3着。次走、久々の芝のレースが初重賞となった阪急杯は14着と惨敗する。以降、芝は使われていない。続く、京葉ステークスは3着、栗東ステークス、欅ステークスと連続2着に入る。4歳の6月、降級戦となった安芸ステークスを1.4倍の断然人気に応え逃げ切る。3か月半の休養後、神無月ステークスは2着、太秦ステークスはハンデ58.5 kgを背負い、ビワシンセイキと1着同着となり、再びオープンに戻る。再昇級となった霜月ステークスは好位から抜け出し2馬身差で勝利し、連勝を飾る。次走、初の交流重賞出走となったとちぎマロニエカップは1番人気に推されるも3着に敗れる。
5歳(2003年)
年明け初戦、ガーネットステークスはトップハンデタイの57 kgを背負うが、ダート短距離で4馬身差の圧勝、重賞初制覇となる。次走、根岸ステークス[注 1]は1.5倍の人気を集めたが、中団から伸びるもサウスヴィグラスをクビ差交わせず2着。その後長期休養に入り、7か月ぶりのレースとなったエルムステークスで復帰。前走から500mの距離延長と調整不足が相まってブービー12着に敗れる。適正距離に戻ったシリウスステークスは6着。次走、武蔵野ステークスは11着、霜月ステークス5着とやや不本意な競馬が続いたが、ギャラクシーステークスをのちの重主戦のひとりとなる小牧太が騎乗し、3/4差で制す。
6歳(2004年)
4か月の休み明け、コーラルステークスは別定59 kgを背負い7着と凡退。次走、サウジアラビアロイヤルカップ[注 2]はハンデ58 kgを背負い3着に入る。続く欅ステークスは2着に入り、次走、プロキオンステークスは4番手につけると直線抜け出し、1馬身半差をつけ1着。重賞2勝目を飾った[2]。1.4倍の1番人気で迎えたサマーチャンピオンは逃げるロングカイソウを向正面過ぎで早々と捕らえると、4コーナーで満を持して先頭に抜け出しインタータイヨウに5馬身の差をつけて快勝。小牧を背に重賞連勝となった[3]。次走、重賞3連勝を狙ったさきたま杯はスタートで出負けをして4着に敗れる。6歳にして初の統一GI出走となったマイルチャンピオンシップ南部杯は6着に敗退。その後休養に入る。
7歳(2005年)
半年の休養後、復帰初戦、別定61 kgと酷量を背負ったコーラルステークスは10着と惨敗。開催時期が5月の変更となったさきたま杯は中団やや後方待機から早めに仕掛け、ゴール寸前で逃げ粘るブルーローレンスを捉えてダート重賞4勝目を挙げた[4]。しかし、次走プロキオンステークスは先行するも8着に敗れる。次走、東京盃は中団から追い込むが、勝ったアグネスジェダイに1馬身差の2着。名古屋競馬場で施行されたJBCスプリントは12頭立ての5着に終わる。ハンデ59 kgを背負った霜月ステークスは7着に沈んだが、続く兵庫ゴールドトロフィーは4コーナーで先頭集団に並びかけると後方から迫ってきたメイショウボーラーに1馬身半差をつけ優勝。重賞5勝目を挙げた。
8歳(2006年)
年明け初戦、根岸ステークスは9着、フェブラリーステークス14着と惨敗が続いたが、黒船賞で3着に入る。4か月の休養後、サマーチャンピオンは6着。次走、東京盃は上がり最速の脚で前に迫り3着となる。続く武蔵野ステークスは13着と大敗し、連覇を狙った兵庫ゴールドトロフィーはリミットレスビッドに3馬身差の2着となる。
9歳(2007年)
9歳になっても現役を続け、ガーネットステークスは10番人気で4着に入ると、根岸ステークスは13番人気で出走し、後方から追い込み3着と好走。次走、黒船賞は再びリミットレスビッドに離された2着となる。その後休養に入り、10月の東京盃で復帰するも10着。このレースが最後となり、10月18日に競走馬登録を抹消し現役を引退した[5]。
引退後
2025年現在、競走馬のふるさと案内所によれば、繋養先は「道外の乗馬クラブ」となっている[6]。
Remove ads
競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[7]およびnetkeiba.com[8]に基づく。
Remove ads
血統表
ニホンピロサートの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | カロ系 |
[§ 2] | ||
父 *スターオブコジーン Star of Cozzene 1988 黒鹿毛 |
父の父 Cozzene1980 芦毛 |
Caro | *フォルティノ | |
Chambord | ||||
Ride the Trails | Prince John | |||
Wildwook | ||||
父の母 Star Gem1978 鹿毛 |
Pia Star | Olympia | ||
Inquisitive | ||||
Soonerland | Fleet Nasrullah | |||
Hill Indian | ||||
母 ニホンピロポリーナ 1990 鹿毛 |
ニホンピロウイナー 1980 黒鹿毛 |
*スティールハート | Habitat | |
A.1. | ||||
ニホンピロエバート | *チャイナロック | |||
ライトフレーム | ||||
母の母 ニホンピロクリア1984 鹿毛 |
*ブレイヴェストローマン | Never Bend | ||
Roman Song | ||||
ニホンピロアスター | *インファチュエイション | |||
ツルシマ | ||||
母系(F-No.) | アストニシメント(GB)系(FN:7-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Sir Gaylord 5×5 = 6.25%、 Nasrullah 5×5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads