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サイレントディール
日本の競走馬 ウィキペディアから
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サイレントディール(Silent Deal、2000年3月19日 - )[1]は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は2003年のシンザン記念、武蔵野ステークス、2007年の佐賀記念[2]。芝・ダート双方の重賞戦線で活躍し[3]、2歳9月のデビューから8歳の引退まで息の長い活躍を見せた[4]。
馬名の意味は父名と母母名より連想(カードを静かに配る)。 全姉にエリザベス女王杯優勝馬のトゥザヴィクトリーを持ち[2]、芝とダートでJRA重賞を勝利した唯一のサンデーサイレンス産駒である[5]。
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競走馬時代
要約
視点
デビューまで
父は1995年から2007年まで総合チャンピオンサイアー[3]のサンデーサイレンス[2]、母フェアリードール[2]は1991年生のアメリカ産馬(イギリス出走馬)[3]で、全姉にエリザベス女王杯優勝馬のトゥザヴィクトリーがいた[3]。トゥザヴィクトリーの全弟として注目を集めたサイレントディールは、同年7月に開催されたセレクトセールに「フェアリードールの2000」として上場され、金子真人に1億1550万円で落札された[3][6]。
2歳戦からクラシック
2002年9月15日、阪神競馬場で行われた新馬戦でデビュー[7]。中館英二騎乗のサイレントディールは、この芝1600mのレースを1番人気で逃げ切り、2着メイショウマルスに2馬身半差をつけて勝利した[8]。続く武豊が騎乗した萩ステークス(京都・芝1800m)では5着に敗れるが、同条件の黄菊賞(500万下、上村洋行騎乗)を2番手からの競馬で勝利する[9]。12月8日の朝日杯フューチュリティステークスで重賞初出走。武豊騎乗の3番人気サイレントディールは、強力な先行馬が不在の中でハナを主張するが、同じく掛かり気味に先行したマイネルモルゲンと1000m通過56.9秒のハイペースを作り出したのちに失速[10]。勝ったエイシンチャンプから0.9秒差の8着に敗れた[11]。
2003年1月12日、サイレントディールは1番人気に推されたシンザン記念で重賞初勝利を挙げる。道中6番手追走からスローの流れに乗り、早めのスパートから2着マッキーマックスをクビ差で抑えた[12][13]。前半47.9-後半46.9秒のレースラップと1分34秒8の勝ち時計は、前年の勝ち馬でありダービー馬、タニノギムレットのそれと全く同じ数字だった[13]。この時点で陣営はドバイで行われるUAEダービー出走のプランを持っていた[14]。続くきさらぎ賞は重馬場の中、後方からの競馬で3番人気ネオユニヴァースの2着[15]。この後、サイレントディールは有力馬の一頭としてクラシックへ向かうが、皐月賞、日本ダービーともにネオユニヴァースの6着、4着に敗れた。馬の評価には常に激しい気性からくる折り合い面への不安が伴い、武豊はのちに「今にして思えば、2400mでよく折り合ったものだ」とダービーを回顧している[15][16][17]。その後、6月には3歳馬ながら宝塚記念へ出走するが、ヒシミラクルの10着に敗れた[18]。
ダート転向
秋は調整の遅れから菊花賞を回避し、池江はサイレントディールをダート重賞の武蔵野ステークスへ登録する[19]。レースでは4角を2番手で曲がると一気に突き放し、2着ハギノハイグレイドに4馬身差をつけて勝利[20]。池江は精神面の成長を評価した[19]。続くジャパンカップダートでは2番人気に推されたが、先団追走も直線伸びず、アメリカ馬フリートストリートダンサーの7着に敗れた[21]。騎手のオリビエ・ペリエは「今日は返し馬からノメっていた。馬場が全て」と雨の影響が見えた馬場に敗因を求めた[21]。ペリエとサイレントディールのコンビは、次走の東京大賞典も1番人気に応えられず、7着に敗れている[22]。
2004年2月、サイレントディールはドバイワールドカップミーティングの3競走(ワールドカップ、デューティーフリー、シーマクラシック)へ登録され、シーマクラシック出走馬に選出された[23]。ドバイへ向けたステップとなるフェブラリーステークスは内で揉まれる厳しい競馬になったが、直線伸びてアドマイヤドンの2着に好走[24]。レース後、新たにワールドカップへの招待が発表された。結果的にレースには武豊が騎乗したが、オリビエ・ペリエは「この馬には2400mのシーマクラシックは気性的に苦しい。出られるならワールドカップの方が力は出せるだろう」と出走を熱望していた[25]。
3月27日、サイレントディールは、アドマイヤドン、リージェントブラフの日本馬2頭と共にワールドカップへ出走した。枠順は12頭立ての6番、サイレントディールは7番人気だった[26]。レース前、池江は馬の状態や馬場との相性に自信を見せていたが[27]、スタートで躓き落馬寸前となり、終始後方のまま勝ち馬プレザントリーパーフェクトから10秒以上離された最下位に沈んだ[28][29]。
晩年
ドバイからの帰国後、サイレントディールが再び重賞を勝利するまでには3年の時間を要した。2005年は芝の中距離路線で走り、4月23日のオープン特別オーストラリアトロフィーに勝利した[30]ほか、6月12日のエプソムカップ(4着)では1番人気の支持を集めた[31]。2005年秋以降は芝・ダートを問わず走り、2007年の佐賀記念で3年3か月ぶりの重賞勝利を飾っている[32]。このレース、サイレントディールは中断追走からペースが落ちた1周目のスタンド前で一気に先頭へ進出、迫るクーリンガーを半馬身抑えてレコードタイムで勝利した[32]。佐賀記念後の勝利はなく、2008年12月13日、ダート2000mのベテルギウスステークス13着を最後に、12月16日付けで登録を抹消された[33]。JRA、地方、海外を走り、50戦7勝。芝とダートのJRA重賞を勝利した唯一のサンデーサイレンス産駒である[5][34]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容はnetkeiba.com[35]の情報に基づく。
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種牡馬時代
2009年から北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入り[36]。初年度は53頭に種付けしたが、年々頭数を減らし、2013年の種付け頭数は3頭まで落ち込んだ[3]。元々体高170cm、体重500kgを超える大型馬だが、引退後は570kgほどの馬体となっているという[37]。
2020年をもって種牡馬を引退、2021年より功労馬繋養展示事業の助成対象馬となり、ホーストラスト北海道で余生を送る[38]。
主な産駒
母父としての主な産駒
- 2019年産
- 2022年産
- ワンダーウーマン(2025年フロイラインスプリント)
血統表
サイレントディールの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | サンデーサイレンス系 |
[§ 2] | ||
父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 |
父の父 Halo1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Wishing Well1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | ||
Pretty Ways | ||||
Mountain Flower | Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
母 *フェアリードール Fairy Doll 1991 栗毛 |
Nureyev 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
母の母 Dream Deal1986 栗毛 |
Sharpen Up | *エタン | ||
Rocchetta | ||||
Likely Exchange | Terrible Tiger | |||
Likely Swap | ||||
母系(F-No.) | (FN:9-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Almahmoud 4×5、Native Dancer 5・5(母内) | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
外部リンク
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