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マイネルアムンゼン
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マイネルアムンゼン(欧字名:Meiner Amundsen、1999年3月5日 - 2021年5月13日)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に2003年のエプソムカップ、2004年のエプソムカップ、新潟大賞典。
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戦績
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[4]
2001年12月2日、中山競馬場での2歳新馬戦でデビューし、6着。2戦目で勝ち上がり、京成杯5着を挟み500万下戦を3走して5月の新緑賞で2勝目を挙げる。プリンシパルステークス9着の後は休養に入り、セントライト記念3着の後西下して菊花賞に出走もヒシミラクルの14着に終わる。自己条件に戻ってオリエンタル賞は10着だったが、その後徐々に着順を挙げていき、2003年4月の鹿野山特別で3勝目を挙げると、昇級戦となった府中ステークスも勝って連勝。エプソムカップではローマンエンパイアをタイム差なしで退け、3連勝で重賞初制覇となった。秋以降はしばらくの間勝ち星からは遠ざかるが、2004年4月のオーストラリアトロフィーでメジロマイヤーにクビ差の2着に入り、次走、新潟大賞典では追い込んできたハレルヤサンデーを半馬身抑え優勝、重賞2勝目を手にした[5]。エプソムカップは好位からの競馬から押し切って重賞3勝目、エプソムカップの連覇を達成した[6]。その後は3着以内の成績を挙げることも無くなり、長期休養を経て2006年のエプソムカップでの復帰が予定されたものの6月10日付けでJRAの競走馬登録を抹消した[3][7]。
引退後は福島県の菅野牧場で乗馬となり[3]、相馬野馬追では野馬追御行列での総大将乗馬や野馬追甲冑競馬で2着などの働きがあった[8]。2011年3月11日発生の東日本大震災や福島第一原子力発電所事故の影響で菅野牧場が警戒区域内に入ったため、4月にマキバスナイパーとともに相馬中村神社に移動[8]。2012年12月には、南相馬市原町区の仲山トレーニングセンターに再移動[8][9]。その後、2019年10月に菅野牧場に戻った[10]。2021年5月13日に繋養先の菅野牧場で死亡した[11][2]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[4]およびnetkeiba.com[12]に基づく。
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血統表
マイネルアムンゼンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ノーザンダンサー系 |
[§ 2] | ||
父 *ペンタイア 1992 鹿毛 |
父の父 Be My Guest1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | |||
Rare Treat | ||||
父の母 Gull Nook1983 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | ||
Milan Mill | ||||
Bempton | Blankey | |||
Hardiemma | ||||
母 ダイナマッケンジー 1984 栗毛 |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Lady Victoria | Victoria Park | |||
Lady Angela | ||||
母の母 *マッケンジーデルタ1969 栗毛 |
Pretendre | Doutelle | ||
Limicola | ||||
Sybil's Comb | Honeyway | |||
Sybil's Niece | ||||
母系(F-No.) | マッケンジーデルタ(USA)系(FN:14-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer 3 × 3 = 25.00%、Lady Angela 5 × 5 × 4 = 12.5% | [§ 4] | ||
出典 |
- 主な近親はプリティーポリー#シスターサラ系を参照
脚注
外部リンク
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