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可愛かずみ

日本の女優 (1964-1997) ウィキペディアから

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可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日[1] - 1997年5月9日)は、日本女優。本名、久我 知子(くが ともこ)[1][2]

概要 かわい かずみ 可愛 かずみ, 本名 ...
概要 プロフィール, 生年月日 ...

東京都杉並区高円寺出身[3]

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略歴

要約
視点

2人姉妹で3歳年上の姉がいる[3]。幼少の頃に両親が離婚、1年ほど母親と住んだ後に父親に引き取られる[3]。子供の頃は両親の離婚と父親の仕事で転校を繰り返した。可愛自身、自分の性格を「感化されやすい」と言っており[3]、転校先でもすぐに馴染んだようである。その分、転校の時は友達と別れるのが辛く、寄せ書きを見てはよく涙ぐんでいた。この頃、父親に「転校はもうしたくない」と言っており、転校のなかった港区立港中学校時代を「落ち着いた気持ちで過ごせた」「すごく暖かい生活だった」と語っている[3]

中学時代はバレーボール部に所属。その後、都内の女子高に進学。高校時代はレストランアルバイトをしていた。幼少の頃は比較的大人しかったが徐々に元気で活発な少女に育っていった。また母親とは両親の離婚から生き別れになっており、姉が母親代わりだったと可愛の19歳時の取材で語っている[3]

芸能界にあまり興味はなく、元々は美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受けてモデルクラブに登録。日活の宣伝用ポスターの仕事が舞い込み、引き受けるが、可愛は、脱がないといけない仕事だと知らなかった。「話が違う」と一旦は断ろうとするが、日活の担当者が怒られているのを見て同情してしまい、最終的に引き受ける。この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護・脚本ガイラ)で女優デビューした[4]。日活ロマンポルノの主演の話がきたとき、いったん「考えさせてほしい」と告げた。モデル事務所から「次のステップに繋がる」という勧めもあり、きわどいラブシーンをしないという条件で、承諾した。「可愛かずみ」の芸名は、渡辺監督によって命名された。ロマンポルノ映画出演はこの1作のみだったが、キュートな顔立ちと抜群のスタイルで注目を浴びる。テレビドラマは、1983年テレビ東京のドラマがデビュー作になっている。

続いて、映画『Blow The Night 夜をぶっとばせ』[5]シブがき隊主演の『ヘッドフォン・ララバイ』に出演し、その後すぐにグラビアアイドルとして人気を博す。

以降はテレビのバラエティーやドラマで活躍をする。ポルノ映画の出演は『セーラー服色情飼育』だけだったが、デビュー作であったこともあり、世間からは『ポルノ女優』と形容された。映画雑誌記者によれば、可愛本人は『ポルノ女優』と呼ばれることを嫌がっていた。しかし、彼女の人気が高まるにつれ、可愛と同じくロマンポルノを足掛かりに一般の映画やテレビなどに出演し、人気を集めていた美保純と並ぶ扱いを受けるようになっていった。 可愛は「昔の仕事は自分で考えてしたことで後悔はしていないし、昔があるから今の自分がいるのも分かっている。私自身偏見はないけど、昔の仕事のことで人として軽く見られるのは辛い」と語っている[3]。ただし日活ロマンポルノには田中登神代辰巳らの作品で、キネマ旬報などで上位に入り、高く評価された映画作品もある。なお、共演した下元史朗は後に「魅せられた女優」として可愛かずみを挙げている。渡辺監督は、可愛を「生きた恥じらいのある女優」と評価している。監督は可愛の芸名を名付けた理由を「可愛いから、可愛かずみにした」と語っている。1983年11月、脱ぐ仕事をしたくないという理由で、オフィス・アンからマーカスに所属事務所を移籍。

ヘッドフォン・ララバイ』の出演が決まった時には嬉しくて台本を抱いて寝たと言う。この頃から「セーラー服色情飼育」出演時には非難していた友人たちも応援してくれるようになり、期待に応えたいという気持ちからプロ意識が芽生えてきたと本人が語っていた。

歌の方では「春感ムスメ」でシングルデビューをし、その後「天使のデザート」「メディテーション」のアルバムもリリース。レコーディングの時に、スタッフから「歌手じゃないんだから鼻歌まじりの歌声でいいんだ! 力むような歌声じゃ駄目だ」といかにもアイドルらしい頼りない歌唱を強いられ、可愛は不本意だったという。可愛の歌については「歌のレッスンを受けているアイドルよりも上手いし、本格的にレッスンを受けたらアイドルとしてではなく、プロの歌手として充分やっていける」と和田アキ子は評価していた。グラビア時代の可愛の人気は絶大で、毎週、特集を組んでいた雑誌もある。また、可愛のファンだったという芸能人もいて、髙嶋政宏などがテレビで公表している。

バラエティ番組に多数出演しており、1983年頃『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」のコーナーで中森明菜のものまねをしていた。また歌番組のアシスタントやバラエティー番組での活躍も増え、タレントとしての地歩を確立していった。1984年から1986年には、深夜帯ドラマ『トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)に出演し、とんねるず、川上麻衣子らと共演。この作品で女優としての仕事も増えていった。テレビ朝日系深夜番組『トゥナイト』では山本晋也のアシスタントを長く務めた。可愛がアシスタント最終回の際、山本と司会の利根川裕が話をしていて、ふと可愛の方を見ると大量の涙を流していて、二人は絶句した。繊細な性格を視聴者に印象付けた瞬間だった。山本晋也は「僕は、女優可愛かずみを評価します」と声をかけていた。

片岡鶴太郎主演の『季節はずれの海岸物語』ではシリーズ全話を通じて、新井徳子(とっこちゃん)役で鶴太郎がマスターの喫茶店を手伝う役柄を演じた。1992年、実力派女優として認められ、日活80周年記念作品『女猫〜美しき復讐者〜』の主役に抜擢される。この頃、チャームポイントだった八重歯を抜いている。

1995年、当時ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎投手との交際が判明する。川崎は学生時代から可愛の熱烈なファンで、6歳の年の差はあったが交際は順調であった。当時、川崎はマスコミに対しても交際宣言をしている。だが、川崎の故障から二人の関係に擦れ違いが生じ、破局。後日、破局の理由を「(川崎が)治療に専念するため」と述べた。

1997年5月9日午後6時30分頃、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃に川崎が住んでいたマンションの7階から身を投げた[6]。午後7時14分頃に「マンションの前に人が倒れている」と119番通報があり、救急車が到着した時には既に心肺停止状態であった。その後、新宿の東京医科大学病院に搬送されるが午後7時59分に死亡が確認された。32歳没。自宅を出た時間から真っ直ぐ自殺現場に向かったものと推察された。当初は事故面でも調査がされたがすぐに自殺と断定された。当時は遺書が見つかっていなかったこともあり様々な憶測を呼んだが、父親宛のメモを残していたことが2014年4月11日に報道された[6]

亡くなった翌日の5月10日、可愛は都内の自動車販売会社を経営する実業家と正式に婚約し、2か月後に結婚する予定であったことが判明する。当初は可愛の誕生日である7月9日に入籍するつもりだったが、その日が仏滅だったため、七夕の7月7日に籍を入れる予定だった。棺には挙式で着用する予定だった白いウェディングドレスがかけられた。

友人が多く、芸能界では特に香坂みゆき川上麻衣子岡本かおり森尾由美と親交が深かった。川上は可愛の住むマンションの隣の部屋に転居したほどである。志村けんとも親交が深く、『志村けんのだいじょうぶだぁ』などのコントでも共演した。志村と川上麻衣子の3人で酒を飲み、酔って雑魚寝をするほどのフランクな間柄であった。人柄については、タモリ山田邦子片岡鶴太郎などが「素直」「明るい」「優しい」と、可愛のことを番組内で語ったことがある。また、渡辺美奈代が、自身のイベントで「かわいがってくれた先輩」と生前の可愛のことを話している。

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出演

要約
視点

テレビドラマ

映画

  • セーラー服色情飼育(フィルムワーカーズ/にっかつ配給 1982年11月19日 併映作品「受験慰安婦」「恥辱の部屋」※1987年再公開時改題「可愛かずみ 制服色情飼育」*WOWOWなど衛星放送用にR15版があるが、本編カットや上映時以外の修正は行われていない。)
  • “BLOW THE NIGHT!”夜をぶっとばせ(フィルムワーカーズ/ジョイパックフィルム配給 1983年3月19日)
  • ヘッドフォン・ララバイ(1983年)
  • さよなら、こんにちわ(1990年)
  • 一杯のかけそば(1992年)- 昌代 役
  • 望郷(1993年)
  • 難波金融伝・ミナミの帝王劇場版III
  • 難波金融伝・ミナミの帝王劇場版IV
  • 難波金融伝・ミナミの帝王劇場版V
  • 難波金融伝・ミナミの帝王劇場版VI

舞台演劇

ビデオシネマ

歌番組

  • 週刊ポップマガジン(テレビ東京)MC[1]

バラエティ

(フジテレビONE,TWOで放送されたもの) 1983年

  1. 第76回 1983/4/16 (ひょうきん族、初登場)「2分の1の神話」先生と再会
  2. 第78回 5/7 「2分の1の神話」ファンの前でライブ
  3. 第86回 7/9 「トワイライト」風邪をおしてコンサート
  4. 第87回 7/30 「トワイライト」不明 (CS未放送)
  5. 第88回 8/13 「タケちゃんマン」初出演
  6. 第92回 9/17 ひょうきん連続小説「ふぞろいの竹輪たち」
  7. 第93回 9/24 「禁区」フラワーダンサーズと花畑で歌う
  8. 第94回 10/1(秋のひょうきんスペシャル) 「禁区」お神輿でワッショイ
  9. 第96回 10/15 「禁区」明菜の恋人選び
  10. 第98回 10/29 「禁区」動物ショー
  11. 第102回 11/26 「禁区」銭湯から衛星中継
  12. 第105回 12/17 「ひょうきん歌謡大賞」
  13. 第106回 12/24 「北ウィング」スケート場から衛星中継

1984年

  1. 第110回 1984/1/21 「北ウィング」水上演芸大会
  2. 第112回 2/4 「北ウィング」コンピューター占い&初懺悔
  3. 第114回 2/18 「北ウィング」歌謡ドラマ「スチュワーです物語」
  4. 第117回 3/10 「タケちゃんマン」
  5. 第119回 3/24 チェッカーズと共演&懺悔
  6. 第121回 4/7 「タケちゃんマン」
  7. 第122回 4/14 「オールナイトひょうきん族」&「TAKEチャンマン」
  8. 第124回 4/28 「オールナイトひょうきん族」&歌謡ドラマ「サザン・ウインド」
  9. 第125回 5/5 「TAKECHANマン」芸者役
  10. 第126回 5/12 「ひょうきんベストテン」歌謡ドラマ「サザン・ウインドPART2」、懺悔2回目
  11. 第131回 6/30 「ひょうきんベストテン」歌謡ドラマ「サザン・ウィンド(明菜の恐怖体験)」&スイカ懺悔
  12. 第133回 7/14「ひょうきんベストテン」歌謡ドラマ「娘よ」(片岡鶴太郎と共演)、「TAKEちゃんマン」
  13. 不明回 7/?「ひょうきんベストテン」「十戒(1984)」明菜の休日(恐らく最後の明菜役)

ラジオ番組

声優(吹替)

  • 女囚物語2〜炎の復讐〜英語版(1987年11月21日 CX「ゴールデン洋画劇場」ミシェル・ニューカーク役)
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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

オリジナルアルバム

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ベストアルバム

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映像作品

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イメージビデオ

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写真集

  • かわいい、カニ座の女の子(1983年4月5日松文館)撮影:原栄三郎
  • アイドル(1983年5月15日白夜書房)撮影:青岩有信
  • 光の中の少女(1983年6月5日、松文館)撮影:原栄三郎
  • ふり向かないで(1983年11月10日ワニブックス)撮影:小沢忠恭
  • 微笑みパレット(1984年4月10日リイド社)撮影:おびつ亘弘
  • 別冊スコラ32 KAZUMI KAWAI ALBUM(1986年7月30日、講談社)撮影:善本喜一郎
  • おひさしぶり Long Time No See(1988年10月19日ワニマガジン社)撮影:玉川清
  • 可愛かずみ写真集(2014年7月10日竹書房ISBN 978-4-81-248800-3)撮影:山内順仁
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脚注

関連項目

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