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喜びも悲しみも幾歳月
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『喜びも悲しみも幾歳月』(よろこびもかなしみもいくとしつき)は、1957年に松竹が制作・公開した木下惠介監督の映画作品である。
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解説
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。
1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。
若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
観音崎、御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山、五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーの一種としても楽しめる作品である。
後年、3度に渡りテレビドラマ化されたほか、1986年には木下監督自身により時代の変化を加味したリメイク版『新・喜びも悲しみも幾歳月』も映画化されている。
夫が転勤になると、画面に日本地図が映り現在の勤務地から次の勤務地へ移動してその所在地が示される。
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映画の舞台となった灯台

劇中の地図に出てきた灯台
- 1. 観音埼灯台 - 三浦半島/神奈川県
- 2. 石狩灯台 - 石狩/北海道
- 1933年(昭和8年)頃 - 雪野・光太郎の生誕
- 3. 伊豆大島灯台 - 伊豆大島/東京都(※赴任せずに通過)
- 4. 水ノ子島灯台 (地図の表記は水子島)- 豊後水道水ノ子島/大分県(※赴任せずに通過)
- 5. 女島灯台 - 五島列島/長崎県
- 6. 弾埼灯台 - 佐渡島/新潟県
- 7. 御前埼灯台 - 御前崎/静岡県
- 8. 安乗埼灯台 - 志摩/三重県
- 1950年(昭和25年)
- 9. 男木島灯台 - 瀬戸内海/香川県
- 1954年(昭和29年)
- 10. 御前埼灯台 - 御前崎/静岡県(※再赴任)
- 1955年(昭和30年) - 四郎、灯台長として着任
- 11. 日和山灯台 - 小樽市祝津/北海道
太平洋戦争中に殉職者が出た灯台(空撮、機銃掃射の効果音あり)
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ストーリー
1932年(昭和7年)、新婚早々の灯台守・有沢四郎と妻・有沢きよ子は、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始める。北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子を授かり、九州の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居も経験する。その後、弾崎灯台で日米開戦を迎え、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津と野津の妻・真砂子に励まされながら勤務を続ける。また、空襲を逃れて東京から疎開してきた一家と親しくなるなど、新たな出会いもあった。
戦後、男木島灯台勤務の時、息子の光太郎が不良とのケンカで刺殺される。しかし、そうした悲しみを乗り越えた先には喜びも待っていた。御前埼灯台の台長として赴任する途中、戦時中に知り合った疎開一家の長男・進吾と娘の雪野との結婚話がまとまったのだ。御前埼灯台から四郎ときよ子の2人は灯台の灯をともして、新婚の雪野と進吾がエジプトのカイロに向かうために乗り込んだ船を見守る。遠ざかる船を見ながら、四郎ときよ子は「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、感慨深く涙ぐむのだった。娘夫婦を燈台の光と霧笛で見送る両親に、娘夫婦は船長に依頼した汽笛で応える。
キャスト
スタッフ
テレビドラマ版
要約
視点
1965年版
1965年4月6日 - 9月28日、TBS系列の『木下恵介劇場』(火曜21:00 - 21:30。大正製薬一社提供)で放送。全26回。
キャスト
有沢家
観音崎灯台
石狩灯台
女島灯台
弾埼灯台
御前崎灯台
安乗埼灯台
男木島灯台
有沢家関係者
その他
- すしや店員:荒瀬友孝
- 船長:山本幸栄
- 宿の女中:戸川美子
- 宿の番頭:吉村辰雄
- 食堂の店員:千葉晃一
- 勇:河野繁樹
- 船員:松原直
- 松井:和地広幸
- 牧師:山吉鴻作
- ナレーター:石原良
スタッフ
1972年版
1972年7月10日 - 8月25日、TBS系列の花王 愛の劇場枠で放送。全35回。
キャスト
スタッフ
- 演出:桜井秀雄、菱田義雄
- 制作:木下恵介プロダクション
1976年版
1976年9月28日 - 1977年1月4日、日本テレビ系列「火曜劇場」枠で放送。全15回。
キャスト
スタッフ
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楽曲としての「喜びも悲しみも幾歳月」
- 劇場映画版が公開された1957年(昭和32年)9月にコロムビアレコードよりリリース。
- 前述の通り、作詞・作曲は木下惠介の実弟である木下忠司、歌唱は若山彰。
- 本曲は『喜びも-』映像化の際、その全ての作品において主題歌として使用された。また、同じ木下惠介の手によるリメイク版『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986年)公開の際には、同じ若山の歌唱によって再録音・再リリースされた。
- 曲調がフォークダンスの定番曲『オクラホマミキサー』の短調のパートによく似ていることから、往年の名音楽バラエティ番組、日本テレビ『シャボン玉ホリデー』における植木等がメインのコント(お呼びでない…)のネタにも使われたことがある(詳細はオクラホマミキサーの項目を参照のこと)。奇しくも、植木は前述のリメイク版に出演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞につながった。
- コロムビア・トップ・ライトの六大学校歌の持ちネタで、「東大の歌」として使われた。
- 漫画「プレイボール」で部員が送別会などの会を開くとき、本曲を定番にしていた部員がいた。
- 若山が本曲を歌唱するVTRは、特にこれまでなつメロ番組を多数放送してきたテレビ東京(旧・東京12チャンネル)に数多く保存されており、現在でも時折同局系にて放映される『昭和歌謡大全集』や『名曲ベストヒット歌謡』で度々紹介されている。
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脚注
外部リンク
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