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吉行和子

日本の女優、エッセイスト、俳人 (1935-2025) ウィキペディアから

吉行和子
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吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年昭和10年〉8月9日 - 2025年令和7年〉9月2日)は、日本女優エッセイスト俳人東京府(現:東京都)出身。

概要 よしゆき かずこ 吉行 和子, 本名 ...

父は作家吉行エイスケ、母は美容師吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人吉行理恵

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来歴

要約
視点

2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。1948年3月、千代田区立番町小学校卒業[1]

父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山の祖父の元に預けられていた。

1954年、女子学院高等学校を卒業。なお、卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所[2]。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された[3]

1955年、初舞台を踏む。同年、津島恵子主演の『由起子』でスクリーンデビュー。

1957年、民藝所属となる。『アンネの日記』のアンネ・フランク役に抜擢され、主役デビューも果たすが、その後は地味な「農民の娘」役ばかりであったという。

1959年、民藝所属のまま日活と契約。同年、『にあんちゃん』『才女気質』での演技で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。

1969年、33歳で退団してフリーになる[4]

1974年の舞台『蜜の味』で、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。

1978年、性愛を大胆に扱った大島渚の監督映画『愛の亡霊』に主演して(40歳を過ぎての出演には周囲の反対があった[5])世間を驚かせ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。

2002年には『折り梅』などで毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。

テレビドラマのほか、かつては『おかあさんといっしょ』でのお話のお姉さんとしても活躍していた。

文筆の世界では、1983年にエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』を出版し、1984年の第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。2000年には母の日に贈った五行歌が『朝日新聞』で大きく紹介された。

私生活では28歳のときに結婚するも、4年ほどで離婚[6]、以降は独身。子供はなし。

舞台俳優としては2008年の『アプサンス〜ある不在〜』を最後に舞台から引退することを表明したが、好評を博したため、2009年にアンコール公演が決まった(吉行自身はこのことに関して「女優って嘘つきですね」とコメントしている。一応、この作品のアンコール公演をもって引退するというが、その撤回も考えていると『徹子の部屋』でその複雑な胸中を明らかにした)。

2025年9月2日未明、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。90歳没。訃報は同月9日、所属事務所より公表され、葬儀は近親者のみで執り行われたとしている[7][8]。2月までは映画出演の仕事もこなすなど体調に大きな変化はなかったが、メディアによる事務所への取材によれば、持病の悪化により夏以降は都内の病院に入院しており、亡くなる10日前までは病室内でタウン誌への原稿執筆などの仕事もこなしていたが体調が悪化し、臨終は近親者に看取られたという[9]。遺作は2026年2月公開予定の映画『金子文子 何が私をこうさせたか』となる[10]

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エピソード

  • 母・あぐりは和子について「(幼少期から)ものすごく手先が器用だったんです。お人形さんのお着物を作りましたり、編み物をしましたり。うまく作るんです」と語っている[11]
  • 成年しても喘息は治らず、ずっと喘息の薬を飲んでいたが、52歳のとき鍼治療でよくなったと語っている[4]
  • 実際の性格はお茶目で温厚である。『タモリのジャポニカロゴス』では演じ分けを行い、タモリから絶賛された。
  • 1960年(昭和35年)6月22日ベルリン国際映画祭に出席のため、日活の堀久作社長らと共に西ベルリンへ出発。同7月14日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なドイツ訪問となった。
  • 俳優の岸田今日子冨士眞奈美と親しく[注釈 1]、しばしば3人で座談会やテレビに出演した。2000年には共著『ここはどこ』『わたしはだれ』を出版。
  • 長年の趣味でもある俳句は岸田と富士に誘われて始めた。俳号は窓烏(まどがらす)[12]伊藤園お〜いお茶新俳句大賞では審査員も務める[13]
  • タレントのピーコとも親交が深く、ピーコが癌で入院した時には、毎日見舞いに行っていた。ピーコが家族以外に癌であることを真っ先に知らせた人物でもある[要出典]
  • 家庭的な母親役や祖母役のイメージが強いが、私生活では家事が苦手であると告白している。『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」や『徹子の部屋』にゲスト出演した際に「家にはやかんすらない」と語っていた。また、「キッチンを汚したくないから」と料理を一切拒否したため、それが原因で離婚された。80代になってようやく包丁を購入したという。但し、前述のように裁縫は得意であり、幼少期から編み物やお人形の着物を縫うなど手先が器用なエピソードを母のあぐりが語った事がある。
  • 2003年に始まったイラク戦争に関して、「もう本当に世の中には馬鹿が多いなと思っています。みんなが不幸になると分かり切っているのにやるのは何か得する人がいるんでしょうね。」とテレビインタビューに答えて戦中派、反戦の矜持を見せた。当時67歳。
  • ベスト映画アンケートで『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を1位にしスティーブン・スピルバーグ激突!』やサム・ペキンパーの『ガルシアの首』、ドイツ映画の『ブリキの太鼓』、『ローズマリーの赤ちゃん』、『映画に愛をこめて アメリカの夜』、『グロリア』などを入れ、『ガルシアの首』で木の下で主人公ベニー(ウォーレン・オーツ)が愛や夢を語らうシーンで泣いたと書き、好きな男優バート・ランカスター女優ミア・ファローを挙げた。同アンケートでは兄の淳之介やピーコ、おすぎも参加しており、淳之介も『激突!』、おすぎ&ピーコも『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を入れている[14]
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受賞歴

出演

テレビドラマ

NHK総合

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

テレビ朝日系

テレビ東京系

WOWOW

  • ドラマW 双葉荘の友人(2016年3月19日) - 寺田直子 役[21]

映画

劇場アニメ

吹き替え

バラエティ

教養番組

ラジオ

朗読

CM

配信ドラマ

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著書

  • 『どこまで演れば気がすむの』(潮出版社、1983年11月/潮文庫、1985年)
  • 『気分は夕焼け色』(潮出版社、1986年4月)
  • 『男はみんなハムレット』(文藝春秋、1989年6月)
  • 『兄・淳之介と私』(潮出版社、1995年7月)
  • 『楽園幻想』(堀文子画、講談社、1997年5月)
  • 『老嬢は今日も上機嫌』(新潮社、2008年6月)のち文庫 
  • 『ひとり語り 女優というものは』(文藝春秋、2010年5月)「浮かれ上手のはなし下手」文春文庫
  • 『質素な性格 欲は小さく野菊のごとく』講談社, 2011.6 のち講談社+α文庫
  • 『そしていま、一人になった』ホーム社, 2019.

共編著

  • 『吉行エイスケとその時代 モダン都市の光と影』(齋藤愼爾と責任編集、東京四季出版、1997年7月)
  • 『ここはどこ 時に空飛ぶ三人組』(岸田今日子冨士眞奈美共著、文春文庫、2000年5月)
  • 『わたしはだれ? 櫻となって踊りけり』(岸田今日子、冨士眞奈美共著、集英社、2000年6月)
  • 『東京俳句散歩』(冨士眞奈美共著、光文社知恵の森文庫、2004年5月)
  • 『あぐり白寿の旅』(吉行あぐり共著、集英社、2006年6月/集英社文庫、2009年)
  • 『吉行和子・冨士眞奈美おんなふたり奥の細道迷い道』集英社インターナショナル, 2018.
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脚注

外部リンク

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