トップQs
タイムライン
チャット
視点
星野良生
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
Remove ads
星野 良生(ほしの よしたか、1988年8月10日 - )は、将棋棋士・プロe棋士。西村一義九段門下[1]。棋士番号は295[1]。埼玉県上尾市出身[1]。
棋歴
将棋を始めたきっかけは、5歳の時に買ったリバーシの裏に将棋盤があって興味を持ったことからであった[1]。
2001年9月に、6級で奨励会に入会。半年後に成績不振で7級に降級するなど、入会当初はもたついたものの、19歳で三段に昇段し、2007年度前期(第41回)より三段リーグに参加。好不調の波が激しくなかなか自力昇段のチャンスを迎えられずにいたものの、2013年度後期(第54回)では序盤から好調を維持し、リーグ首位(順位2位で12勝4敗)で残り2局を連敗しない限り優勝という状況の下、1勝1敗として四段昇段を果たした[1][2]。同時昇段は宮本広志[1][2]。
なお、三段在籍中に出場した第39回新人王戦では、当時既にプロとなっていた及川拓馬や中村太地らに勝利し、奨励会三段としては史上二人目となる決勝三番勝負に進出。佐藤天彦に連敗し、史上初の奨励会三段優勝は阻まれた。
プロデビュー後
第76期(2018年度)順位戦にて2勝8敗と大きく負け越し、初の降級点が付いてしまった。
第70回NHK杯(2020年度)で予選を突破し、本戦に初出場を果たした(1回戦で本田奎に敗退)。
第33期(2021年度)竜王戦にて6組ランキング戦の決勝に進出し、5組への昇級を決めた(決勝で高野智史に敗れる)。
第29期(2021年度)の銀河戦本戦Bブロックの最多勝者となり、決勝トーナメントに初進出。1回戦では永瀬拓矢王座を破る「強豪キラー」ぶりを見せ、ベスト8まで勝ち進んだ[3]。
第80期(2022年度)順位戦では再び2勝8敗の成績で終わり、2回目の降級点となってしまった。
Remove ads
棋風
人物・エピソード
- 2004年6月25日、第63期順位戦B級1組2回戦の行方尚史と中川大輔の対局で、持将棋・千日手による2度の指し直しが発生し、決着が着くまで一日弱を費やす激闘となった[注釈 1]。当対局の記録係を担当したのが、当時15歳・奨励会2級の星野だった。星野は終局後も指し直し局を含む3局の感想戦に立ち合い、当該3局の記録用紙を清書するなどして、翌日の午後3時頃まで“仕事”を続けた。
- 2014年7月5日の第8回朝日杯将棋オープン戦では当時アマチュアであった今泉健司に敗れたが、今泉はこの勝利で連続14局の成績を10勝4敗とした結果、プロ編入試験の受験資格を満たし、制度化されたプロ編入試験の第一号の受験者となった。さらに、編入試験の試験官(対局相手)は棋士番号の大きな方(プロ入りが遅い順)から5人が選ばれるが、星野は直前の4月1日にプロ入りしたばかりであったため、第2局の試験官となった[7]。10月5日に編入試験第2局として今泉と再戦したが、再び敗れ、結果的に今泉は3勝1敗で合格し、プロ入りを果たした。
- 2015年には長男が誕生し、「歩九(あるく)」と将棋にちなむ命名をした事を発表した[8]。2022年現在、2児の父。
- 2020年には妻の退職に伴い、副収入を得るべく、棋士活動と並行できる職種に正社員として就職する意向を自身のTwitterにて明示した[9]。同年3月10日、ゲームソフト『銀星将棋』や『リアルタイムバトル将棋』で知られる株式会社シルバースタージャパンへの入社が発表された[10]。将棋ゲームはもちろん、ボードゲーム全般の開発、企画、普及に関わる[11]。
- 2021年10月3日、株式会社シルバースタージャパン主催のリアルタイムバトル将棋『プロe棋士決定戦』でプロe棋士四段として認定された[12][13]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
一般棋戦
- 第39回(2008年度) 新人王戦 準優勝
将棋大賞
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads